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1-1 寝て起きたら災厄の魔女

 目を開けて最初に見えたのは広い青空だった。私は空を見上げて寝転がっている。

 果てしない青を鳥が数羽横切って、自由気ままに羽ばたいている。好きに飛ぶのは気持ちよさそうだ。羨ましい。

 そう思って、はて? 何で私は鳥を羨ましいと思ったんだろうか。

 空を飛べること? 確かに。

 でもそれだけではしっくりこない。じゃあ、自由なところ?


「……ああ。それかも」


 酷い声だ。久しぶりに発したのだから喉はぺたりと閉じているような感覚があるし、しっかり発音できているか微妙なところだ。

 聞くに堪えない声。とりあえず喉には潤いが欲しい。

 すぐ側に湖がある。コロコロと身体を転がせば落ちてしまえる距離だ。

 これって飲んでも大丈夫なんだっけ。

 それと同時に、また疑問が浮かぶ。

 私はどうしてここにいる?


「おーい。さすがに生きてはいるよな?」


 晴れやかな空を阻むように、私の顔に影が落ちる。

 視界の端から男が一人顔をひょっこり覗かせてきた。ぴこぴこと動いている黒い耳は獣のそれで、ふさふさの尻尾はゆらゆらと揺蕩っている。

 紅い瞳孔はキュッと鋭く、牙もある。

 人間ではない。獣の民。

 獣人。


「俺の名前はラスカ。見ての通り、お前の封印を解いた――」

「――死ね」


 目覚めるまでの記憶があやふやだが、私はたった一つだけ重要なことを思い出した。

 なので、目の前の獣人を排除しようと手を横に払う。すると大きな空気の塊が私の目の前を通過していった。

 獣人はそれに巻き込まれて遠く飛ばされる。ベキバキと木々が折れていく音。

 起き上がって周辺を見回せば、ここは見たところ森の中であった。中心の湖はそれほど広くなく、魔物が潜んでいるような気配もない。


 ひとまず森を抜けたいのだが、どちらへ行くべきか方角がわからない。

 そもそも今はいつだ? 私の記憶ではここはこれほど生い茂っていなかったと思う。ただこの記憶は寝起きでボーっとしているせいかもしれないので、完全に信用できるものではない。

 断片的にしか思い出せない。さて。どうしたものかな。


 とりあえず歩き回ってみるかなと思って足を動かすと、膝から崩れ落ちるかのようにべしゃりと転んだ。

 なんとも情けない。恥だ、恥。

 長く眠っていたせいで、身体の動かし方を忘れてしまったんだろうか。老いてはいないようなので、単純に私が馬鹿で愚かしいってことだけが発覚した瞬間である。

 救いは、誰にも見られていないってことで――。


「……」

「……」

「…………」

「見た?」

「み、みみみ見てないです!」


 顔を上げたら、木を盾のようにして潜んでいる獣人と目が合った。先ほど吹き飛ばしたのとは別個体である。

 私は起き上がってニコリと笑む。


「お前も死ね」

「うわああああん見てないですううううう!」

「絶対見てる奴の反応でしょうがっ!」


 こんがりジューシーに焼いて、この辺の魔物どもの餌にしてやる!

 私は指を鳴らして炎の塊を作り、それを蛇のような形に変えて怯えている獣人へ放った。

 森への被害は最小限に。獣人だけを燃やすように。


「――おっと。少し目を離すとすぐ死にかけるな、お前は」

「ラスカ様ァ!」


 吹き飛ばした獣人のほう――ラスカが、怯えている獣人を庇うように前へ出る。そして手に持っている剣で炎蛇を真っ二つに叩き切った。すると炎蛇は魔法構成を失い、光の粒子を伴って消えていく。

 ラスカは満足げにそれを見ると、剣を腰の鞘に納めた。

 ……いや、というか。あの。


「魔法を切った……?」


 魔法って切れるものなの? そんな不可思議なこと、私は見たことも聞いたこともない。

 え。もしかして、これがこの時代では普通? そうなると私、とっても長い歳月を封印されていたってことになる。

 魔法を使えることが唯一の才能で、攻撃手段で、防衛手段だったのに? このままだと獣人に惨たらしく殺される羽目になる。

 考えろ、考えろ、考えろ!

 いまのところ厄介なのはあのラスカという獣人だけ。その背に守られている弱っちいほうは少なくとも魔法に対する抵抗手段を持っていない。

 二対一であるが、お荷物を抱えているラスカのほうが不利といえる。私が弱っちいほうを狙い続ければ、ラスカは防戦一方となるからだ。卑怯だが、生き延びるためには手段を選んでいられない。


「トール。だからついてくるなと」


 ラスカの意識が弱っちいほうへ向いた瞬間、私は息をふっと吹いた。

 それはキラキラとした氷のつぶてとなって、四方八方からラスカを襲う。当然、トールと呼ばれた弱っちいほうへもつぶては襲ってくる。


「これはなかなか……」

「あわわわわ」

「トール黙っていろ。気が散る」


 なんだあいつ。背中に目でも付いてるわけ?

 死角から襲ってくる氷のつぶてを振り向きざまに剣で切り払っている。目で見えている分はそれよりももっと早いスピードで対処しているし、あまり対処に困っているようには見えない。

 パラパラと散っていく氷のつぶてが哀れでならない。致命傷までいかずとも、もっとこう……わずかでも傷くらい与えられるはずだったのに。

 結局すべての氷のつぶてを攻略されてしまって、しかしラスカは汗一つかいた様子がない。息も上がっていない。


「ふう、いい運動にはなったな」


 純粋に腹立つな、こいつ。

 私だってべつにこれだけで殺せるとは思っていなかったけれど。じわじわと翻弄して体力を削るくらいはできるだろうと思っての選択だったのに。

 やっぱり獣人はクソ。殺すに限る。


「なあ、俺の話を聞いてくれないか。まずお前の封印を解いた件だが……」


 というかこいつは何で私に対してさも友人かのように話しかけてくるのか。

 私の封印を解いたから何だっていうのか。

 それを恩に着せようとでも? それで奴隷のようにこき使うつもりなのか?

 私は内側から湧き出る怒りを抑えられず、強く噛んだ唇から血が流れる。


「私を封じたのはお前たちのくせに」


 湖の底に封じられた記憶だけが鮮明に脳に焼きついている。

 その他のことはおぼろげで、今ハッキリしているのはその事実だけだ。でもそれで私には十分だった。

 共に暮らしていた。好きだった。愛していた。

 でも、長く寂しい眠りを強いられた。殺されていたほうがまだマシだったのに。


「そうだ。俺たちの先祖がお前を封印した」


 忌々しい。

 獣人であるというあらゆる特徴が憎らしい。恨めしい。

 早く目の前から消え失せてほしいとさえ思う。


「だが、こうしてお前を封印から解放した。これですべてを水に流そうってわけじゃないが、少しくらい俺の話を聞いてくれてもいいんじゃないか? 災厄の魔女よ」


 ……誰が何の何?

 いやまて待って私。顔に出すな。冷静を保て。

 息を吸って、吐いて。初耳ですって表情は絶対に駄目。


「……私をそうと知っておきながら、軽々しく世間話ができるとでも?」


 なんかよくわかんないけどそれっぽく振る舞おう。

 侮られたら終わりだ。

 ラスカは目をスッと細めて、腰の剣に手を置く。いつでも動ける体勢だ。

 私も簡単な魔法はすぐ発動できるようにしておく。

 トールを背に庇ったまま、ラスカは口を開いた。


「あれからもう五百年も経った。先祖との確執は遠い過去のもの。災厄の魔女よ、お前が憎んだ相手は既に全員死んでいる。それでもまだ獣人を殺したりないと言うのなら、それはもう理性を失くした化け物の所業だろう」


 ぐうの音も出ない。それはそう……としか……。

 かなり歳月は経っているだろうなと思っていたけれど、五百年か。いまを生きている獣人たちにとっては、確かに私という存在から向けられる憎悪は身に覚えのない理不尽なのだろう。

 でも私には、五百年を実感できる思い出がない。ただ眠っていたのだから。

 獣人を憎みながら封印されて、その間ずっと意識はなくて、起きてみたら五百年経った世界。だからもうこの憎しみをぶつける相手はいなくて、はた迷惑な八つ当たりでしかなくて……。

 それなら私の受けた苦しみはただ一人で抱えるしかないのか?

 そんなの、先にやったもん勝ちじゃないか。


「もう十分だろう。災厄の魔女、我らにかけた呪いを解いてほしい」


 だから、誰の何が何でなんで!?

 五百年封印されて記憶がおぼろげだからって、身に覚えがなさすぎる!

完結まで執筆完了しています!

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