貴方に近づきたくて.4
これにて一章は終了です。
二章目からは隔日の更新になりますので、よろしくお願いします!
図書館でツヅリからオススメの本を紹介してもらって、おおよそ一カ月。私と彼女の仲は思っていた以上に深まった。
もちろん、恋人になれたわけではない。だが、ある種、特別だった。
基本、誰とも群れないツヅリが頻繁に行動を共にするというだけで、彼女にとって私がただのクラスメイトではないことは一目瞭然だったし、私自身、ツヅリには他のクラスメイトと過ごす時間以上のものを費やした。
話の中心はもっぱら小説のことだった。
ここにはない、作られたフィクションの世界。だがそれも、私と彼女の間で共有された世界になった途端、私には光り輝いて見えたものだ。
私以外と話すときは、往々にして淡白でコンパクトな会話しか望まない様子のツヅリも、そうして一つの物語について二人で語らうときは饒舌にもなった。
意外なことに、彼女は明るい主人公を好んだ。曰く、「自分にはないものだから」ということだったが、決まって物語の結末はシリアスで悲劇的で、時に微塵の救いもないものばかりだった。陰のあるツヅリらしい…というと、彼女は怒るかもしれない。
大事なことは、私と彼女の間に、確かな絆が芽生えつつあったということだろう。
他の人には見せない表情を自分に見せていると思うと、胸が焦がれる想いだった。今すぐにでも恋人になってほしいと言いたかった夕暮れが何度あったことだろうか。
それでも、ぐっと抑え込んできた。勇気が足りないのもあったが、ツヅリがそんな急速な変化を望んでいるとはとても思えなかったからである。
ツヅリは、私と話をしているときでも、ふと、遠い目をすることがあった。
何を考えているか分からない、閉ざされた深淵を垣間見ることのできる瞳は酷く魅力的だったが、そういうときツヅリは、だいたい深く、重いため息を吐いた。
彼女の胸に、自分に言えない悩みがあることは、なんとなくだが察しがついていた。それを自然と口にしてくれるまで…この想いは温めておこうと思ったのである。
ある日の夕方、私はいつも通りツヅリと寮への道を歩いていた。すぐに別れてしまうにはあまりにもったいない時間が続くものだから、私はツヅリにお願いして遠回りさせてもらっていた。…まぁ、遠回りするのは、その日で十日連続だったのだが。
「あのラストシーン、なんかこぅ、分かってるのに感動しちゃったよね。列車が遠ざかっていくのを追いかける姿がさぁ、こう、ありありと塑像できる感じで…」
「ええ。とても情景描写が繊細で…二度と相手は帰って来ないと分かっているがゆえの悲壮感と決意が、声を出さずに泣いている様を通してヒシヒシと伝わってきましたね」
「うん…あぁー…思い出したら、また泣けてきちゃったよ」
本当に感動的な作品だったのだ。小説って、読んでるだけなのにこんなにも人の心を締めつけることがあるから、不思議だ。私はつい最近、隣に並ぶツヅリのおかげでそれを学んだ。
ぐっと熱くなった目頭をしばらく押さえた後、目を開く。そうすると、こちらを不思議そうに、おかしそうに見つめているツヅリと目が合う。
「え、なに?どうしたの、ツヅリさん」
「いえ…別に」
どう見ても、別にという顔じゃない。
私は気になって、しつこく尋ねる。
「えぇー、気になるじゃん!教えてよ、ツヅリさん!」
彼女はしばらく渋ったが、私がツヅリのことを知りたい、と言ったことを覚えていてくれたのか、「怒らないで下さいね」と前置きしてから次のように語った。
「アイさんは、とても不思議な方だと思ったんです。喜怒哀楽がハッキリしていて、感情豊か」
「…それって、どっちかって言うと不思議じゃなくて単純?」
「いえいえ、なんというか、まるで、物語の主人公のよう」
「ちょ、褒めすぎだって!私はあんまり気持ちのブレーキが利かないだけ!」
「そこがアイさんの長所+です」
私の心臓は、ツヅリの率直な誉め言葉にドクンと強く拍動する。
「……時折、アイさんが羨ましくなります。貴方は、本当にバイタリティに満ちていて…生きている人間そのものだから……」
彼女の言いたいことは、正直、細かいところまでは分からなかった。しかし、ツヅリが私のことを心の底から褒めてくれいることだけは分かった。
胸の甘い疼きに私は足を止める。
好きだ、という幼稚で、でも激しい気持ちが渦を巻く。
足を止めた私に気がついて、ツヅリも振り返りながら足を止める。
「アイさん?」
夕焼けが彼女の頬を朱に染める。
とても綺麗な人だと思った。
「もしかして、何か気に障りましたか?」
違う。全然、違う。
むしろ、その逆だ。
「んー…別に」と私は両手を後ろにして、視線を地面に落とすと、独り言みたいに呟く。「めちゃくちゃ嬉しかった。ただ、そんだけ!」
弾かれたふうに顔を上げて、ツヅリの隣に追いつく。目を丸くしている彼女の胸に飛び込みたかったが、ぐっとこらえ、微笑みかけるぐらいに留めた。
「褒めてくれてありがと、ツヅリさん!」
「あ、いえ…」
幸せな時間だった。
その刹那に浸る私は、よもや数秒後に水を差されることになろうとは想像もしていなかった。
「随分と仲良くなったもんだな、アイ」
声の主に聞き覚えがあった。だからこそ、酷く白けた気持ちにさせられた。
声のしたほうを振り返り、私は眉をひそめる。
「げっ、レイジ…。空気読んでよ、馬鹿」
肩を竦め、どこか悪戯っぽく口角を吊り上げたのは、レイジだった。
帰宅途中に無許可で合流してきたレイジは、私がどっか行けと言っても、どこにも行ってくれなかった。それどころか、私がツヅリと話すはずだったのに、その居場所を軽々しく奪ってきたのである。
「ツヅリ、アイが何か迷惑かけたら俺に言えよ。引っ張って行ってやるから」
「はぁ…」
さっきからレイジが何か言う度、ツヅリは同じ返事を繰り返している。レイジだから、ではない。彼女はだいたい、多くの人間に対してこうだった。私が時間をかけて例外になりつつあるというだけで。
「レイジ、本当に邪魔なんだけど!」
「そう言うなよ。幼馴染を邪険にするのはよくないぜ」
「よく言うよ。レイジが逆の立場だったときは、私が近寄って来ただけで嫌な顔してたじゃん」
中学の頃から、レイジはよくモテた。男性らしい体つきに、腕っぷしも強い(らしい)。それでいて、強面でとんがった性格をしているくせに、いざというときは情に厚くて世話好きだから、同じようなタイプから、真面目なタイプにまで人気だった。
「そりゃそうだろ。お前がいると、相手を口説くに口説けないからな」
シニカルに微笑むレイジ。
なるほど、こういうギラギラした感じが男にモテるのか…。女の私には、きっと一生分からないが…野心的に見えて、憧れを持つ人間は少なくないのかも。
だったら私のときも邪魔しないでよ、とここまで出かかったが、それではツヅリを口説こうとしていると遠回しに言っているようなものだ。こんなロマンスの欠片もない伝え方はしたくない。
しょうがないから、私は唇を尖らせて現実を受け入れる。二人きりになったら、レイジには文句を、ツヅリには楽しい話の続きをしようと考えていた。
やがて、300mほど先に私たちの住んでいる寮が見えてきた。後少しで今日のツヅリとはお別れになってしまう。
だから私は、何か明日の約束をしたいと思ってツヅリの横顔を見つめた。
なんでもいい。また図書館に行く約束でもいい。最近は勉強も教えてもらっているので、それでもいい。たまには私からカラオケに誘ったりしてもいいかもしれない。
私がそんなことで頭をフル回転させているときだった。
「あれ?」
レイジとツヅリの向こう側…廃棄物処理区画――危ないから立ち入り禁止エリアになっている区画に、人影が見えた。
遠目だったが、間違いない。私たちと同じ制服を着ている生徒だ。白のシャツにネクタイがひるがえる。青のブレザーとズボンだった。
「あ?なんだよ」とレイジが振り向く。そうすれば、すぐに彼は目を細めた。「あいつ…」
「誰か分かったの?」
この距離じゃ、誰なのかまでは私には分からなかった。でも、レイジはかなり目が良い。
彼は頷くと、感情を押し殺した声で、「クラスのはみ出しもんだ」とぼやいた。
「はみ出しもん?」
「ルイだよ。陰気臭い、何考えてるか分からねぇ奴だ」
「ルイ…あぁ、あの頭良い人」
ツヅリやマキナを押しのけて、クラスで一番の成績を誇る男子生徒、それがルイだった。
頭こそずば抜けてよかったが、だからといってモテる人間でもない。彼はいつも制服が皺だらけで、着こなしがだらしなかった。話をするときも人の目は見ず、声も小さい。正直、不気味に見えてしまうタイプだった。
私はそんな彼が、立ち入り禁止区域に足を踏み入れていたことを素直に驚いた。
「なんか意外だね。ああいうことする人なんだ、ルイ君って」
「大人しい奴ほどなんとやらだな。まぁ、俺たちには関係ねぇ。余計な気を利かせて、俺らまで先生やマザーに叱られるのは割に合わね――」
不意に、ツヅリが足早に私たちから離れた。
あまりに突然の出来事で声をかけるのが遅れたが、彼女は次第に歩調を速めていくと、最終的には走り出してしまった。
「おい、お前、待てよ!」
レイジが声をかけるも、ツヅリは反応しない。
私もそれに重ねるようにして叫んだ。
「あ、ツヅリさん!どこに行くの!?」
いや、尋ねるまでもない。彼女の足は明らかに廃棄物処理区画に…ルイが消えた方向に向かっていた。
想像以上にツヅリは俊足だったため、彼女の背中に追いついたのは、もう立ち入り禁止区画のキープアウト標識が目前に迫るまでの位置に私とレイジが到着したときであった。
「お、おま、想像よりずっと足が速いじゃねえか…!驚いたぜ」
全速力で駆け抜けた私たち三人は、みんな、一様に肩で息をしていた。だが、ツヅリの背中を一点に見つめている私とレイジと違って、ツヅリは区画の奥へと視線を向けていた。
「どうしちゃったの、ツヅリさん。急に走り出して、私、びっくりしちゃったよ…」
依然として、ツヅリには反応がなかった。
不思議に思った私が、息も絶え絶えながらその背中に触れようと手を伸ばしたとき、ようやく私は、彼女の視線の先にいる者の姿に気がついた。
スクラップにされる順番を待つ義体の列。その物陰からこちらを覗いているのは、ルイだった。
「あ」と声が漏れる。
彼の眼差しは、言いようのない不安を抱いている私と違って、酷く無機質な感じがした。
私はツヅリの背中越しに、彼女が何か言おうとしているのを感じていた。
息を吸い、それを止め、吐き出し、また吸って、唇を開けたり、閉めたりしている。ツヅリは目まぐるしい迷いの中にあるのだ。
ツヅリが何かを告げる決心をする前に、この中で誰よりも遠慮のない男がズカズカと私たち二人の前に出てきて、声を荒げた。
「おい、てめぇ。こんなところで何をやってんだ!」
彼のことをよく知っている私でさえ、その怒声に身が縮むほどだったから、ツヅリはもっと怯えた様子で肩を丸めていた。
だが、ルイはどうだっただろう。彼はレイジの声に臆することなく、数秒、熟考する素振りを見せたかと思うと、ゆっくりと義体の列から出てきて、キープアウトの線を挟んだままで呼びかけに応える。
「君たちには関係のないことだ」
小さな声だったが、堂々としていた。レイジ相手にそれができるなら、たいしたものだ。
「何だと?おい、そこは立ち入り禁止区画だろうが!」
繰り返されるレイジの怒鳴り声。ルイはそれに対し、すうっと目を細めると、感情の読めない声を発する。
「そんなナリをしていても、義体や大人たちの作ったルールには従うか…。滑稽だな」
「あぁん!?てめぇ、それは俺のことを馬鹿にしてんのか!?」
さながら、牙を剥き出しにして威嚇する獣のようなレイジだったが、やはりルイは無関心な様子で睥睨している。
やがて、彼は私たち三人に対し、「君たちがそこから消えてくれれば、僕もここを出る。それで満足だろう」とこぼした。
レイジはルイの言うことに納得していない様子で憤慨しっぱなしだったが、ツヅリが怯えていたこと、私自身、ルイの不気味な態度が怖くなっていたこともあって、この場を立ち去ることを選んだ。
何だかんだ世話焼きのレイジも、私とツヅリの青い顔を見て、納得してくれたのである。とりわけ、ツヅリは酷かった。よほどクラスメイトが禁止区域に足を踏み入れていたのがショックだったのか、顔面蒼白で唇は震えていた。
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