第17話 還る者たち
小道の向こうから、馬の足音が近づいてくる。
ゆったりとした歩調。軽装の騎乗。誰かがその姿に気づいた。
「ウィン……フレズさん?」
誰かが名を呼ぶ。ヘズレアの静かな日常に紛れるように聞こえたその名は、エルフスリスの耳にも届いた。
——帰ってきたのだ。
◇ ◇ ◇
「予想より、ずいぶんかかったのね」
診療所の裏庭で、エルフスリスは短く声をかけた。
「早く帰りたかったんだけどな。そうもいかなかった」
ウィンフレズは軽く応じたが、その顔には疲労の色が濃かった。
鎧には乾きかけた血痕が残り、鞄は半ば潰れていた。いつもなら隙のない彼の姿としては、どこか“らしくない”。
「魔獣が“いつも通り”じゃなかった。変異種かもしれない。瘴気の残留も強かった。勘でしかないが……何かが変わってきてる」
思い描いていた不安が、ウィンフレズの言葉で形を成した。
エルフスリスはゆっくりと頷いた。
「変わってきてるといえば、ヘズレアの近くでも癒しの届かない人が出てる。これまでと同じ祈りでは、癒やせなかった」
「これまでと違うことが重なっておきているということか……、偶然とは思えないな」
二人はそれ以上、言葉を交わさず、しばし夕空を見上げた。
◇ ◇ ◇
その夜、村の広場を通りかかったエルフスリスは、焚き火の向こうに腰を下ろした一人の老人の姿を見つけた。
色褪せた外套。手元には、束ねられた巻物のような書物。
眼差しは静かでありながら鋭く、ただの旅人には見えなかった。
「ここ、初めてです?」
声をかけると、老人は顔を上げた。
七十は超えていそうだったが、目には若者のような光が宿っていた。
「初めてではないな。だが、ここを訪れるのはずいぶん久しぶりだ。……寄る辺ない旅の途中でね。この辺り、空気の流れが妙に偏っている気がしてな」
「空気の流れ……ですか?」
「風や気温の話じゃない。もっと根っこの方……世界の“呼吸”みたいなものだ。気づく者は少ないが、兆しはもう見えている」
詩のような、しかしどこか確信に満ちた言葉だった。
「お名前をうかがっても?」
「フィネアス。名乗るほどの者でもないが……祈り手たちには、昔から世話になっていてね」
「世話に……?」
その問いに答えることなく、フィネアスはゆるやかに立ち上がった。
「引退した年寄りの戯言だ。聞き流して構わんよ。……夜は長い。君も気をつけて」
そう言って、老人は焚き火の光からすっと離れ、闇の中へと消えていった。
◇ ◇ ◇
「誰と話してた?」
背後から現れたウィンフレズが、やや警戒するように問う。
「さっき広場で会った人。旅の研究者みたいな雰囲気だったけど……」
「……なんとなくだが、見覚えがある。昔、王都で見かけた男に似てる。あれが本人なら、もう引退してるはずだが……」
彼は少し考え込みながら、ゆっくり言葉を選んだ。
その声には、まだ輪郭を持たない疑念が滲んでいた。




