アーシャとウリ
アーシャという娘をベッドに寝かせ、大猪は誰にも手を出させないと約束をさせ、藁を敷いた簡易の寝床へと誘導した。それでも心配だということで、ベックとサラが見張りについている。サラに至っては見張りというよりも、大猪を撫でまわしていた。村長宅で、詳しい事情を聞くことにした。
「この度はアーシャをありがとうございました……。しかし、申し訳ないのですが、この村にあのような奇跡に報いる程のものはありません……」
「そのことについては勝手にやったことだ。気にするな。それよりも何があったのかを教えてくれ」
「……はぁ? よろしいので? ありがたやありがたや……」
「村長さん、こう言ってますし、そろそろ事情を聞かせていただけると……」
村人達から感謝されたり、拝まれたりするのがいい加減面倒に感じてきたトランスの様子を見て、ロブが催促するように話を促した。
「アーシャは活発な子でしてな。森へ木の実や、薬草などを取りによく出かけていってまして。小さい頃から度々猪の子と遊んでいるところを目撃した村人がよくいたんですじゃ。心配した村人が何度も猪と遊ぶのはやめるように言ったのですが、隠れて遊んでいたようでしてな。半ばあきらめておったんですよ。しかし、今回森からあの猪がアーシャを担いで連れて来まして、とうとう襲われてたのかと村人全員で応戦していたのですじゃ。そこへ皆様方がきたのですよ」
「そうか、だが、あの傷は獣が負わせるような傷ではない。明らかに動きを封じてどうにかしようとした物だ。おそらく、ゴブリンやオークだろう」
「今思えばあの猪は何かを訴えるようでございました。頭に血が上っていたとはいえ、全く手を出さないのにわたしたちは攻撃を加えてしまった。騎士様の言う通り、魔物の仕業でございましょう。もう少しで手遅れになるところででした。アーシャと猪の両方に関して、重ね重ねお礼を申し上げますじゃ……」
深々と村長が頭を下げる。猪の誤解が解けてよかったと、トランスは胸を撫でおろした。
「今日は是非家へお泊りください。歓待させていただきますじゃ」
「お願いします。それではいつも通り、わたしは必要なものを商談させていただきます」
「いやー到着して早々びっくりしたぜ。村長さん、来るとき狼とってきたからさ。使ってくれよ」
「おぉ、助かりますじゃ、使わせて頂きます」
ひと悶着あったものの、ロブはいそいそと行商の準備に出かけていった。トニーは雰囲気にのまれていたのか、やっと口を開けると、安堵した様子で狼を村長に手渡す。夕飯の準備をするということで、自由にすごしていいらしいので、一旦大猪の様子を見ようと、トニーとトランスは村長宅を後にした。
「しっかし、トランスってすげぇなぁ。治癒まで出来るなんてしらなかったぜ」
「なんとなく出来る気がしてな。俺も今しがた知ったところだ」
「へっへっ、ほんと変な奴だよな。自分のことを知らないなんてさ」
トニーに言われて確かにそうだなと思うトランスだったが、気を使うわけでもなくさらっと言ってのけるトニーに、あまり深刻さを感じず静かにうなずいた。腫物を触るような感じよりはいいだろうと思う。
「あ、トランスさーん。どうでしたー?」
「こっちは大人しいもんでな。あまりいる意味はなかったぞ」
サラが大猪に身体を埋めながらトランスに気付き声をかける。見張りというより戯れているようにしか見えない。ベックは壁に背を預けながら、腕組みをしてサラを呆れるような目で見ていた。
ロブが村で行商をし、今夜は村長宅で泊まる旨を伝える。アーシャの傷は明らかに魔物の物であったことを伝えると、ベックは難しい顔をした。
「ここを立つ前に討伐しておいたほうがよさそうだな。ゴブリンだけなら村の衆でどうにかなるだろうが、オークは不味い。被害が必ず出るだろう」
「っていうか、よくこんなところに村があるよな? 普段襲われたりしないわけ?」
トニーが、ふとトランスが疑問に思ったことを口にだす。
「ハガイは辺境の辺境だろう? その周囲の村なんていうのは集落みたいなものだ。いきなり出来ることもあるし、いきなりなくなるものもある。このあたりに騎士が遠征して治安維持なんてしないからな」
チラリとトランスをベックが横目に見ながら話を続ける。
「したがって、村の名前なんてものもない。見捨てられた村なのさ。バラックさんがギルドを立ち上げてこうやって流通を始めちゃいるが、ロブさんみたいなもの好きな商人ぐらいしか来ないしな。定期的に村をまわっちゃいるが、次来た時になくなっていることなんてざらだ。だから辺境の護衛といえど、銀級が派遣されるってわけだ」
「なるほどー、色々あるんですね。お父さん何も言わないから知らなかったです。王都には小さい頃からいたし、戻るときも直行しちゃいましたから」
「あーバラックさんの娘さんなんだっけか? 多分、余計な情報を与えて先入観をもたせたくなかったんじゃねぇかな」
「サラちゃんにはサラちゃんの思うように感じて欲しいって感じじゃね? バラックさんらしいぜ」
「きゅ!」
「わわっ!」
雑談していると、急に大猪が立ち上がりトコトコと歩き出す。埋もれていたサラが慌てて体制を直し、何事かと思っていると、歩きだした方向に、杖をつきながらゆっくりと歩いてくるアーシャがいた。その周囲には4人程子供達が一緒に歩いてきた。
「きゅぅぅぅぅ」
「あはは、くすぐったい。助けてくれたんだってね。ありがと」
大猪がぺろぺろとアーシャの顔を舐めまわしたり、擦り寄ったりしている。かなりの懐きっぷりだ。少しよろけたところを周囲の子供たちが支えている。
「まだ安静にしておくべきだと思うが?」
思わずトランスが声をかける。アーシャは真っ直ぐにトランスを見つめると、姿勢を正して頭を下げた。
「わたしもウリも助けてもらったって聞いた。ありがとう」
「ありがとう騎士さまー!」
「かっこいいー!」
「またぴかーってして!」
ウリとは大猪のことらしい。アーシャがお礼を言うと、堰を切ったように子供たちがお礼をいい、トランスに抱き着いたり、よじ登ったりしてくる。
「ちょっちょっとあんたら! 失礼だよ!」
「これぐらい構わない」
拝まれたり頭を下げっぱなしにされるよりはマシだと、トランスは苦笑しながら子供を抱き上げたり、腕にぶら下げたりしていた。リーゼはおろおろとしがみついたままだ。子供が兜に手をかけ、思い切り体重をかけて外そうとすると、、兜ごとすっぽ抜けたので支える。
「おっと、大丈夫か?」
「あはははは」
「ちょっと! いい加減に――」
アーシャは子供たちを叱ろうとして声をあげようとするが、兜が取れ、素顔を晒したトランスを見ると、頬を赤く染めて、押し黙ってしまうのだった。