7.一度、座って話をしないか
京志郎は悩んでいた。
ぎらぎらした殺意は身を潜めていたが、灰色猫は、まだ、必殺の流星刀を手に握りしめたままだ。
こんな時に一番頼りになるミラージュは、白魔女との戦いに駆り出してしまったし、さて、これからどうしようか。
「グレイ・マウザー、あのさ、一度、座って話をしないか」
京志郎は流星刀で斬られた机の下から、備え付けの椅子をずるずると引っ張り出すと、椅子の背もたれを灰色猫に向け、跨ぐようにして座った。
油断すると、あいつは、いつ襲ってくるか分かりゃしない。背もたれ程度でも、いざとなれば身を沈めて、防護壁くらいにはなるだろうと。だが、
ビビりやがって。こいつ、馬っ鹿じゃねぇの。
自分に注がれた灰色猫の冷ややかな眼差しが、やけに癪に障る。京志郎は、つんと取り澄まして意地の悪い声で言った。
「えっと、姉ちゃんはそこのベッドにも座って。そうだなぁ……何だったら、灰色猫は、姉ちゃんの膝の上にでも……」
きょとんと目を瞬かせた百合香は、ついノリで灰色猫に向かって自分の膝をぽんぽんと叩いてしまう。それから、ふとベッドに目をやり、ぽつりと呟く。
「あ、そういえば、私、このベッドでミラージュに襲われそうになって……」
そのとたんに、ベッドに力まかせに、突き立てられた流星刀の鋭い刃。
「テメェら、俺をおちょくってんのかっ! 京志郎っ、話があるってんなら、さっさとしろっ。さもないと、黒魔法で魂を体から引っこ抜いちまうぞっ!」
ヤバい。つい、挑発的なことを言ってしまった。京志郎は、ベッドの端に不貞腐れて腰かけた魔法使いを見据え、今度は真剣な声音で言った。
「僕たち共闘はできないだろうか」
「共闘? 白魔女を一致団結して倒そうって話か」
灰色猫はふんと鼻を鳴らす。
「……で、白魔女を排除した暁には、お前は俺たちをまた、ジオラマのちっぽけなお人形に戻すつもりか。仮にそうなったとしても、お前は足場にしていたあの図書館には、もう帰られないっていうのに」
「それって……どういう意味だ?」」
油断のない漆黒の瞳をぎらりと煌めかす。一瞬、戸惑いを見せた京志郎を灰色猫はせせら笑った。
「はん、その様子じゃ、ここの真の支配者が誰だったか、お前は全く、気づいていないんだな」
「真の支配者?」
突然の言葉に、京志郎は考えがまとまらない。灰色猫は、ここぞとはかりに、”大魔法使い”っぽく、低い声音を無理矢理に出して、マウントを取りにゆく。
「ここは3重に支配された頗るおかしな場所だ。(俺は認めたくはないが)一人目の支配者はこの国のジオラマ製作者のお前 ― 相良京志郎 ― 。そして、二人目は、いけ好かない白魔女。だが、3重支配の一番、天辺にいたのは、今も正体が分からない、あの図書館長だ」
「え? 図書館長って、僕のバイト先の? 」
灰色猫はこくんと頷くと、胸元から一冊のノートを取り出すと、京志郎にそれを投げてよこした。
「俺は以前にお前と図書館の館長室を訪れた時、このノートを見つけたのさ。これには、俺たちのこれまでの行動が、ある時点までは気色悪いくらいに事細かに記されている。京志郎、お前がいた図書館や自宅の構造、さらには、俺とミラージュとの戦いの顛末までもを。かいつまんで言えば、こちらの世界は、全部があの図書館長の想像が生み出した作りモノだったってことさ。ただ、番狂わせが起こったんだ。俺の爺ちゃん ― 初代灰色猫― がこの国に魔法をかけたせいで、こちらには図書館長が知り得ない広い世界が付け加えられ、俺が使った黒魔法で、あいつはこの国に二度と干渉ができなくなった」
京志郎はノートを開いてみる。色々な項目が時系列に書いてあり、所々に台詞っぽい記述もある。これは、まるで物語を書くための”設定表”みたいだ。ただ、何というか、途中で挫折して未完成のまま終わってしまっている……。
すると、今一つ、話についてゆけない百合香が、灰色猫に問いかけてきた。
「行動が書かれてるって? それって、私が、まだシーディだった頃のあんたと、雪の森で最初に出会った時のことも?」
きょとんとした甘茶色の瞳が本当に可愛い。けれども、灰色猫は、あえて尊大な低い声音のまま(少し辛くなってきたが)、百合香に言った。
「そんなこと、俺は知りはしない」
「あーっ、だって、そこっ、一番、大切なところでしょうがっ」
「……俺はし・ら・な・い」
灰色猫は、ぷいとそっぽを向いて、百合香との思い出を懸命に心の中に封印し続けた。
京志郎は、二人のやり取りを薄ら笑いで眺めながらも、灰色猫の言葉をもう一度、熟考してみた。
図書館の館長室か……
そういえば、あの館長室は、姉ちゃんの部屋とまったく同じだった。とすれば、姉ちゃんと館長は同一人物で、これまでのドタバタ劇は、姉ちゃんがこのノートを元に書き続けていた妄想話ってこと?
いや、それは絶対にあり得ない! 自宅の風呂場からジオラマの世界に迷い込んでから、そんな時間が何時あったっていうんだ?
だがその時、京志郎は、はたと灰色猫の方に目を向けて問うた。
「灰色猫、お前はさっき、僕らはもう、あの図書館には帰れないって言ってたな? それって、この館長のノートの件と関係があるってことなのか」
問われた魔法使いは、切れ長の目をきらりと輝かす。
「ようやく本題に辿り着いたか。そう、俺たちの世界だけでなく、京志郎とその姉! お前たちだって、支配されている側なのさ。俺が思うに、お前たちの存在自体も、館長の作りモノだ。あの狭い図書館と隣にあるという自宅の一角だけが、お前ら、二人の世界。あいつがこれ以上、話の先を書けないってことは、その場所へは戻れない。お前たちの居る場所はもう、ここ以外はどこにもない!」
「僕と姉ちゃんが、図書館長の作り物だって? 馬鹿なことを言うなよ!」
京志郎の心の中に、怒りのような焦りのような思いが詰まって積み上がってゆく。
騙されるな。これは小狡い灰色猫が僕たちに仕掛けてきた罠だ。けれども……
京志郎は、気づいてしまった。
姉と自分と、自宅のダイニング。そして、ダイニングの入り口とそこに続いているバイト先の図書館。頭の中に実像として浮かぶのはそれだけで、他のこと……例えば、学校や家のことを思い出そうとしてみても、”クラスメート”、”先生”、”学校への道”。”両親”? その顔も景色も何も分からない。それらは、ただの単語でしかなかった。
この国を支配している天辺の図書館長が書いた話には、それについての詳しい記述がなかったから……。
「くそっ、だからって、僕にどうしろっていうんんだよっ!」
その時だった。
チチチッチッ
一匹の小さな鳥がどこからともなく、姿を現し、甲高く囀りだしたのだ。
「ナイチンゲールっ!」
その場に居合わせた者が、誰とはなしにその名を叫んだ。
ところが、褐色の尾をふるふると振るわせて一回転すると、鳥はまた、どこかに消えていってしまった。
 




