8.館長室?からの反撃
外には、冷たい雪が降り続いている。
今年の冬は特に雪が多くて、いつまでたっても降り止まない。
これ見よがしに落ちてくる窓越しの雪は、いつまでも終わらない映画のエンドロールを見せつけられているようで苛々する。席を立ちたくても、上手いタイミングを計りかねている自分がもどかしい。
”灯油がなくなりました。灯油がなくなりました”
石油ストーブから聞こえてくる女性声の警告音が、ものすごく耳障りだ。
「オバさん、うるさい。黙ってろ。今は給油なんてしてる場合じゃないんだから!」
予想外の攻撃を”下界”から受けてしまった”声の主”は、もう寒さも感じなくなってしまっていた。
「ありえないっ、何で灰色猫の電撃がこっちに飛んでくるのよ」
ライティングデスクの上に置かれたノートパソコンに向かうと、先程まで閲覧していた小説サイトには"403 Forbidden"エラーの文字が表示されて、アクセスが出来なくなってしまっている。
ピリッとした痛みが指先に残り、デスクの上を見てみると、先程まではなかった茶色く焦げたような小さな跡が何個も付いている。
まさか、灰色猫の鞭からの電撃がデスクを突き抜けて、こっちにも飛んできたとか……これはマズい。このまま、あいつの好きにさせていたら、じわじわとこちらの世界に干渉されて、いつかは魔法の国を盗られてしまう。
「冗談じゃないわ! そんなことが許されるもんですか。これは、全精力を注いで書いてる”私”の作品なんだから」
ネットにアクセスできなくたって、ちゃんとバックアップはとってある。
「過去の内容を書きかえてしまえばいいんだ……あいつが灰色猫を名乗ることができないように」
”声の主”は慌ててライティングデスクの引き出しを開けると、バックアップ用のメモリースティックを取り出し、パソコンのUSBポートにそれを差し込んだ。
画面に読み込んだ文章の目次から、敵の勢力を最も削ぐことができそうな箇所を探し出す。
「ここだ! 『第3話 忘却の時』 この回で、猫からあいつは、灰色猫に名を変えたんだから」
”声の主”が指で奏でるキーボードの音がカタカタと鳴った。
……が、
― 今更、おかしな真似はするな! 分かってんだぞ。お前、図書館の館長室にいるんだろ! ここの戦いが終わったら、 次はそっちの番だからなっ ―
「館長室? えっと、それ何のことかしら……ん」
― こらぁっ、とぼけるのもいい加減にしろっ。お前が謎の館長なんだろって、俺は言ってんだよっ ―
灰色猫の声が轟いた瞬間に、ライティングデスクの机の引き出しから、超低温の烈風がドライアイスの欠片と一緒に吹き上がってきた。
「ひゃぁああっ、痛いっ、冷たいっ、熱いっ」
“声の主”は、頬にくっついて離れない氷の欠片を振り払ために、顔をふるふると振り回し、キーボードから手を離す。
それを笑う魔法使いの声が、下の方から響いてくる。
「怖っ、もう嫌っ。とりあえず、今は負けといてやるけど、これは逃げるんじゃないからね、グレイ・マウザーっ、あんたの弱点はよく分かってる。また戻って来た時には絶対に勝つんだから、覚えてなさいよっ」
”声の主”は、ついに根をあげて部屋から出ていってしまった。
* * *
天上からの声が消えてしまうと、灰色猫は、ちっと舌を鳴らし、今度は意識を中空に向けた。
厚雲の上で、口をぽかんと開いたまま硬直している白魔女は、未だに天上からの縛りが解けないでいるらしい。
ふん、この機会を逃す手はないってか。
「ベルベット、行けるか」
手にした一本鞭にそう言うと、灰色猫は、くるりと振り返って、控えていた魔法のバスタブに遠慮がちの笑みを見せた。
「リンナイ、お前もだ。けっこう待たせて悪かった。でもな、お前の出番を忘れていたわけじゃないから」
白魔女を指差して、灰色の魔法使いは声を高める。
「ベルベット、リンナイっ、alternating copolymer(交互共重合体)! ベルリン、浮上!」
その瞬間に、鈍色の光を放ちだした一本鞭のボディと、バスタブが醸し出した白光が、形を変えながら合体した。
灰色の翼を持つ白鹿 ― ベルリン ― 現る。
灰色猫は、鞘からすらりと流星刀を引き抜くと、その背に飛び乗った。
「よし、行けっ! あの性悪の白魔女を仕留めるのは、あいつが動けない今だ!」
だが、顔をしかめると、ゆらりと胴体を揺すって抗議したベルリンを叱咤した。
「 動けない敵を狙うなんて、正々堂々と勝負をしていないって? お前ら阿呆か。よく聞けよ。勝者っていうのはな」
― 真の好機を逃さなかった者のことを言うんだよ ―




