6. 北の丘の戦い ― 赤い妖精 ―
北の丘に聳え立つ氷柱の塔が、城下町の方向に凍えついた影を落としている。
その最上階で、白魔女の怒りのボルテージは最高潮に達していた。
「許すまじ。許すまじ! 我の邪魔をする憎き灰色猫も、目障りな魔法大皇帝も!」
いいや、森にいる、ちっぽけな雪の化身でさえも、我の意に添わぬ者は殺す!
この国もきれいさっぱり消し去ってやる!
その時は、”滅びの歌”を歌うまでだ。
なぁに、すべてが消えたとしても、何百年の時が経っても、我の記録を誰かが紐解けば、我だけは、ここへまた蘇ってこれる。
白魔女の怒りと焦りが、上昇気流になって空に蓄積され始めた。
灰色猫は、石橋の上でふんと鼻を鳴らしてそれを見上げ、一本鞭をひゅんと空に撓らせた。
今にも、こぼれ落ちてしまうそうに厚さを増した雪雲。負と正の電気がぶつかりあった雲間では、ぎらついた短い閃光が飛び散り、帯電したひび割れを幾つも作り出している。
「ベルベット、見たか? 品の欠片も持ち合わせない魔女ごときが、ヒステリーじみた演出で、俺に脅しをかけてきやがる」
その直後に、凄まじいまで雷鳴と怒涛の稲妻が空で炸裂した。
閃光と地鳴り。鼓膜が破れてしまいそうな衝撃!
だが、灰色猫は怯まない。
頭上で旋回させた一本鞭が、頭を直撃するはずの落雷を次から次へと巻き取ってゆく。
「ベルベット、楽しいな!」
両唇が裂けそうなほど口角をあげて笑うと、灰色猫は一本鞭を回しながら、ゆっくりとした足取りで石橋を渡りだした。
雷のパワーを溜め込んだ渦は、灰色猫の頭の上で巨大な円を描き、赤紫色、あるいは青、白やオレンジに次々に色を変えながら、彼の後を着いていった。
* *
「おのれ、おのれ、おのれっ、我の怒りの雷をいとも簡単に絡め取るとはっ。だが、このままで済むと思うなよ!」
苛立ちをつのらせた白魔女の叫びが新たな雷鳴と交わり合って、城下町の空を震わせた。
灰色猫が、それをせせら笑う。
「白魔女よ、お前ってよっぽど雷が好きなんだな。だけどな、そのままで済むと思ってんのか?待ってろよ。そこにある氷柱の塔に俺が何十倍にしてお返してやる!」
氷柱の塔からの声は何も聞こえない。
ところが、にわかに塔の上空に厚ぼったい雲が広がりだした。危険を察知した白魔女が、空に雲の避難所を作り始めたのだ。
小癪な小男め! やれるものなら、やってみろ!
急速に発達する厚雲に刺激された空から、雪とも霙ともつかぬ、氷の欠片が落ちてくる。それが、白魔女の焦りのように思えて、灰色猫は、ご満悦そうに目を細める。
「ベルベットよ、ほんっとうに、楽しいな」
ぺろりと舌なめずりを一度する。
「お生憎さま、白魔女よ、雷っていうのは、上から来るとは限らないんだぜ。特にそんな雲と近い高い塔にいる時なんかは……」
それを逆さ雷。またの名を”赤い妖精”とも言う。
なかなか洒落た名前だよな。
灰色猫は瞳をずる賢く輝かせた。
そして、パチパチと火花を放ち出した一本鞭をひゅるんっと振り上げ、
「さあ行けっ、赤い妖精っ!」
飽和状態にまで大きく膨らんだ雷まじりの渦を、力任せに雪原に叩きつけたのだ。
* * *
「大変だぁっ、城下町が炎上してるっ。急げ、町のみんなを救うんだ!」
ミラージュと京志郎を乗せた馬を先頭に、近衛兵たちの騎馬が全速力で城下町に向けて疾走する。
百合香も、ミラージュの部下の近衛兵に抱えられながら、後続の馬で城下町に向かっていたのだが、
「ふん、ミラージュって、私を嫁にしたいって激白した割には、馬に一緒に乗せるのは、私じゃなくって京ちゃんの方なのねー」
けれども、言葉とは裏腹に、頭に浮かぶのは、イケメンのミラージュと馬に乗り、彼の胸元に恥じらいながら寄りかかるお顔の良い京志郎の1シーン。
うふふと肩を揺らしている少女。
百合香と共に馬に乗っている近衛兵は、そんな様子に首を傾げた。その近衛兵は前に百合香をミラージュの部屋に連行したこともある、北の城の門番だった男だ。
この娘って、可愛い顔をしてるけど、つくづく、おかしな奴だな。あの時は太った娘と思ったけれど、こうして一緒に馬に乗ってみると、意外にスレンダーな体型だ。だが……
「きゃぁっ、揺れるっ!」
馬が激しく揺れた時に、門番だった男の手に触れる柔らかな感触。
「あっと、ム、ムネがっ」
「あーっ、触った! あんたには、嫁との濃厚な時間があるんでしょうがっ」
「いや、馬が揺れてっ、決して、わざとではなくーっ」
そんな二人の様子を先程から気にしていたのは、前の馬にミラージュと相乗っている京志郎だった。
「皇帝陛下、いかがなされた?」
「お前の部下、姉ちゃんにくっつきすぎ。ああ見えても、姉ちゃんは男には全然免疫がないんだから、注意しとけよ」
その時、上空から氷柱の塔から放たれた氷の刃が飛んできた。ミラージュはさらりと腰の剣を抜き、一刀のもとにそれを叩き切る。
エメラルドような緑の瞳を輝かせて振り向き微笑む様は、京志郎でさえ、どきりとするような格好の良さだ。しかし、その後の一言が悪かった。
「おや、姉君は、俺の前では大胆な裸体を見せてくれたが」
「え?」
ミラージュは事も無げに笑う。
「お気に召さるな。妻になればそんなことは日常茶飯事だ」
「……?!」
京志郎は、その瞬間に固く決心した。
どんなに格好良く立って、姉ちゃんが熱をあげてたって、ミラージュには絶対、姉ちゃんはやらねーっ! と。




