5.戦いの火蓋を切って落とす時
白薔薇城の城門を猛スピードで通り過ぎて行った白鹿。
「あれは、マウザーでも、シーディでもなかったわ!」
百合香は、泣き出しそうな声をあげた。
頬を貫くような風の冷たさが、通り過ぎていった青年の表情と相まって、心の奥を悴ませる。
「 マウザーを名乗っていても、あいつには”シーディっぽさ”が残っていたのに……らしくもない長い黒髪を風になびかせて、あんな恐い目で私を見るなんて!」
同じ漆黒の瞳でも、マウザーの瞳の中の煌めきは、冬の夕暮れに一際明るく輝く一番星。シーディの瞳は、夏の朝に見える柔らかな光の明け星。
だが、百合香の横を通り過ぎていった魔法使いの青年の瞳は、太陽と地球がちょうど重なった”合”の時の星。そこには一切の光が隠されてしまっていたのだ。
― 内に秘めた光はまだ、見せない。見せるわけにはゆかない ― と。
憔悴した様子の姉とは反対に京志郎のテンションは上がる一方だった。
「姉ちゃん、どうして、そんな湿気た顔をしてるんだよ。この瞬間を僕はずっと待ってたんだ。あれは灰色猫だ! この世で最高の魔法使い。あいつは、ついに大魔法使いの名を名乗ったんだな」
だが、ミラージュは、
「 灰色猫? 馬鹿を言うな! あの老いぼれは白魔女に敗れて、今はこの南の森の墓の中だ。孫のシーディが名を名乗ったとしても、それが何だっていうんだ。剣の腕は多少は立つが、奴の魔法はポンコツで、どうあがいたって白魔女に敵うようなものじゃない」
「おいこら、ミラージュ、お前、僕に対してタメ口になってるし」
「うっ、それはっ……」
ミラージュは慌てて襟を正そうとする。
「まぁ、実をいうと、初代グレイ・マウザーは、今頃は僕んちのゴミ箱の中なんだけどね」
京志郎の台詞にミラージュが首を傾げる。その時、耳を聾さんばかりの雷鳴が、空から轟いてきたのだ。
最高潮にブチ切れた音 ― それを聞いた全員が、ぞっと身を縮みこませるほどの。
ぎらめいた稲妻が空に走った。
間髪いれず、凄まじい落雷の音。その振動が、離れた南の森にいる京志郎たちの足元まで伝わってきた。
「くそっ、灰色猫の再臨に気づいた白魔女が脅しをかけてきやがった。ヤバいぞ。ミラージュ、町を守れ! このままじゃ城下町がぶっ壊される」
「御意!」
あ・うんの呼吸も滑らかに、ミラージュは即座に京志郎を自らの馬に乗せ、後続の部下の馬に百合香をあずけて、城下町に向かって疾走する。
「 あそこには俺たちの家族もいる。みんな、城下町に戻れ! あの場所だけは死守するんだ!」
そんな彼らをあざ笑いながら、雪雲の中で生まれた新たな雷鳴が、ごろごろと唸りを上げ始めた。
* *
城下町。
「火事だ! 早く火を消せ!」
突然の落雷で、町と北の皇宮を繋ぐ石橋付近の家々が炎上している。町の人々は、慣れぬ手付きでバケツや、ホースを手に右往左往を繰り返している。
その時、巨大な白鹿に乗り、灰汁色のマントをたなびかせた青年が、街道を猛スピードで駆けてきたのだ。
彼を見知った城下町の女が、通り過ぎざまに大声を上げる。
「止まってえっ! あんた、南の森の魔法使いのシーディでしょっ! ミラージュや近衛兵たちは、どこっ。あんたの家に行ったんじゃなかったの!」
聞き覚えのある声に眉をしかめて、小柄な魔法使いは、白鹿の速度を緩める。
頭に結い上げたブルネットの髪を乱した女が、きつい眼差しでこちらを睨みつけていた。城下町の中でも極めつけに美しい女。それは、まだ、彼がシーディの名前で、近衛兵たちが白魔女に雪だるまに変えられる前の頃、多少なりとも知っていた相手だった。
「やっぱり、シーディね! そんな長い髪をしてるから見違えそうだったけど、白魔女をあんなに怒らせて……北の丘に急に現れたあの氷柱の塔は何? あんた、皇宮におかしな魔法でもかけたんじゃないの。ねぇ、 お願いだから、ミラージュを困らせるようなことは止して!」
「ミラージュ? ふん、あの死に損ないがどうしたって?」
「え……? 今、何て言ったの?」
女は怪訝そうに眉をひそめた。変だ。あのお人好しで、いつも弱気なシーディが、こんな話し方をするなんて。
その時、また、雷鳴が空から響いてきた。恐怖で両耳を抑えた女に冷ややか視線を送ると、魔法使いの青年は言った。
「さっさと逃げろ。これから、ここは戦場になる」
「ね、ねぇ……あんた、本当にシーディなの? 」
こちらを見下ろす切れ長の目。その瞳の色は、冬の夜の湖に張った氷のごとく硬く凍りつき、出会った者の心の奥を震え上がらせる。
突然、白鹿から降りて目前に立った青年に気圧され、二、三歩、女は後退った。
「俺の名は大魔法使い、灰色猫。もう、シーディ(とるにたらない者)などという者は、ここにはいない。だから、金輪際、俺のことをその名で呼ぶな!」
踵を返すと、ぺたんと座り込んでしまった女をその場に残して、灰色猫は北の皇宮へ続く石橋の方へと歩いていった。
それを待っていたかのように、稲妻が空を二分して宙を縦に割った。間髪入れず、石橋の袂に落雷の大轟音が響き渡った。
「ふん、白魔女の奴、俺に脅しをかけてやがる」
灰色猫は、身につけた灰汁色のマントをおもむろに脱ぐと、
「ベルベット、Alteration! (変化)」
声高らかに呪文を唱えた。以前の彼なら1度使った呪文は2度は発動しなかった。だが、そんな呪縛は灰色猫を名乗ったとたんに、消え失せていた。
くるりと一回転させたマントが、見る見るうちに5~6mの長さの一本鞭に姿を変える。
一本鞭の長いボディは細かな灰色革でマクラメ状に編み込まれ、グリップには、白い薔薇が一輪、あしらわれている。それは、漲る魔法の力を身に宿す一本鞭。
灰色猫は、グリップを回し、頭上に鞭で弧を描きながら石橋を渡り始めた。
長いテールを振り回す毎に、一本鞭の先端部分は音速を超え、ソニックブームの乾いた音がパシッと頭上に響く。
灰色猫は雷鳴が轟く空に向かって叫び声をあげた。
「白魔女よ、勿体ぶらず、今、お前の持てる限りの魔法力を注ぎ込んで、雷を撃ち落としてこい! いつまでも高見の見物を決めていると、人と街はあの少年に、あっという間に再生させられてしまうぞ」
静寂。
だが、次の瞬間、
雷鳴と稲妻と落雷。轟音と閃光と地響。
石橋を襲ってきた凄まじい音と揺れの中で、灰色猫は一本鞭をぐるぐると回しながら、かん高い笑い声をあげた。
「今こそ、戦いの火蓋を切って落とす時。これこそ、我が望んだ未来! さあ、どこからでも、かかってこいっ!」




