2.白薔薇城の戦い①
ミラージュを先頭にした雪だるまの近衛兵軍が、城下町の街路樹をなぎ倒し、雪煙をあげて南の森へ雪崩れてゆく。
”さっさと、あの小賢しい魔法使いを殺しておしまい!”
皇宮を出ても、まだ白魔女の金切り声が背中の後を追いかけてくる。
白魔女に逆おうものなら、近衛兵軍は、雪だるま姿のまま火炙りの刑か。はたまた、首を切られて、体が溶けるまで陽光の元に晒されるか。いや、関係のない住民たちまで雪玉に変えられてしまう可能性だってある。
「もう沢山だ! あの白魔女のサディスティックな趣味にもて遊ばれるのは」
近衛兵長ミラージュは、慌てて家の中に避難した住民たちを横目で見て、眉根をひそめた。(雪玉の顔についた石炭の眉だが……)
ちっ、これがかつての国民の憧れだった近衛兵軍の成れの果てかよ。
まったく、まぬけな話だよ。
あの魔法使いの爺さんが、魔法大皇帝の書庫から魔法書を大量に持ち出して、この国を誰の支配も受けない楽園に作り替えようなんて、阿呆な夢を持ち込むものだから……。
あの白魔女までが、夢の副産物として召喚されてしまいやがった。
あげくの果てに、老いぼれた灰色猫は、ポンコツな跡取りを残して白魔女に倒され、国は雪に閉ざされて、近衛兵軍は全員、呪われて雪だるまに姿を変えられた。その日から白魔女はやりたい放題だ。
沈黙してしまった魔法大皇帝は、一体、どこにいるんだ? 俺には、 皆目、見当もつかない。
俺はこの国が、魔法大皇帝の意のままにしか生きられない国であったとしても、それはそれで良かったのに。
大皇帝は、町の建物を突然壊したと思えば作り替えたり、戦争を始めたかと思えば、適当に収束させたり、謎の支配者に管理されているのは心地いいとは言えなかったが、この国の秩序と平和は保たれていた。
多少の騒動が起きたとしても、俺はそれに目をつぶることができたんだ。
命令通りに皇宮を守って、敵がくれば敵を蹴散す。戦闘が終われば、次の命令が来るまでは、町の酒場で酒を飲み、女と遊び、夜は家でくつろぐ。
ああ、結構な話じゃないか。おかしな野心を持たなきゃ、この国は美しくて、豊かで、なかなかのいい国だった。
それなのに……何たるザマだ、今の俺たちは!
* *
「なんか、あっち、雪崩てるっー!!」
雪深いジオラマの国の南の森。白魔女を激怒させた優美な城のバルコニーで、百合香は、白薔薇の姫の姿にあるまじき、素っ頓狂な声をあげて、北の方向を指さした。
「雪崩っ!? マズイぞ。もう白魔女に目をつけられたのかっ」
その直後に、中庭に積もった雪の地面に幾つもの地割れができた。
吹きすさぶ吹雪と、どどどと、地中から響いてくる怒号のような地鳴りの音。
あっという間にホワイトアウトした視界が開けた瞬間、バルコニーに氷柱の砲弾が飛んできた。それは、白薔薇の城の下に到着した雪だるま軍団が噴き出した氷の塊。
「ユリカ、避けろっ!」
「えーっ、無理っ! 私、体育の成績は、先生が大甘でつけてくれたオマケの3!」
「ああっ、とろい奴っ!」
鋭い切っ先、おまけに重量もある氷柱の砲弾を撃ち込まれては、城もろとも、崩壊の憂き目にあうだけだ。
シーディは、慌てて、つい先ほど目を通したばかりの百合香の英語教本『ナイチンゲールと紅い薔薇』の一節を記憶の中から呼び起こす。
”Nightingale pressed closer against the thorn”(ナイチンゲールは、薔薇の棘に深く胸を押し付けました)
その単語の一つ一つが、強力な魔法の呪文なのだ。
シーディは声を荒らげた。
「ええっと、何とか頑張ってくれっ! The thorn(薔薇の棘)!」
その直後、城のバルコニーに絡みついていた白薔薇の花々が一斉に標的が来る方向に花弁を向けた。
”私たち、もしかして、呼ばれたのかしら?”
”召喚されたのは、100年ぶりかも”
シーディに頑張ってくれと鼓舞されたせいか、白薔薇たちの茎が力こぶでも作るようにむくむくと太ってゆく。
シーディはその様子に笑みを浮かべ、さらに呪文を重ね合わす。
「Pressed!」
次の瞬間、無数の棘が薔薇の茎から発射された。そして、それらは白銀の光を纏いながら、氷柱の砲弾を粉砕した。
大量の氷の欠片が頭の上から降って来る。城はまだ無事だ。バルコニーの隅で頭を抱えて身を守っていた百合香は、ほっと胸をなでおろし、目前に立つ小柄な魔法使いに尊敬の眼差しを送る。
「シーディ、見直したわ。あんたって、すごい魔法を使えるんじゃないの」
だが、
「ユリカ、お前って、運動神経だけじゃなくて、頭もとろいんじゃねぇのか。俺が前に言ったことをもう忘れたのかよ」
「はぁ? 前に言ったことって?」
「俺は一度使った魔法は二度と使えない。見てみろよ。その証拠にこの『ナイチンゲールと紅い薔薇』から俺の使った呪文が、消えてしまってるんだから」
シーディが差し出した英語教本。百合香がその冊子の中を覗いてみると、彼が今しがた使った単語どころか、他のページまでが、白く抜け落ちてしまっている。
「多分、俺って燃費が悪い魔法使いなんで、魔法を使った時に、その本の他の箇所の魔法の力まで、消費してしまったんだろうな。だからさ、次の攻撃が来ても、俺……防げるかどうか……自信ない……」
と、その時だった。
先ほどと、うって変わった泥色の雪玉が、バルコニーに向けて数十個も飛んできたのだ。
「避けろ、ユリカっ、あれは毒の雪玉だ! あれに 当たると、体が腐っちまうんだ!」
「えーっ、無理っ、私、体育はオマケの3!」
「ああっ、ちょっとは鍛えろよっ」
バルコニーの下には、毒雪玉を口に含んだ雪だるまの近衛兵たちが、ずらりと横並びになり、銃口めいた口元を白薔薇の城に向けている。
指揮をとっているのは、言わずとしれた超大型雪だるま ― 近衛兵長ミラージュ ― だ。
ちっ、また、あいつかよ。
シーディは、飛んでくる猛毒入りの雪玉を素早い動きでかわす。けれども、百合香守る余裕まではなかった。
畜生っ、さっきまで、騎士気どりの俺だったのに。お姫さまを守ることもできやしない。
シーディの頭上を通り抜けて猛毒の雪玉が飛んでくる。
騎士の守護から外れてしまったお姫様の顔面に、ぴたりと照準を合わせて。
 




