EP 15
「灯」
防衛戦から、ひと月が、過ぎた。
ポポロ村は、すっかり、日常を、取り戻していた。いや——以前より、ずっと、活気づいていた。
そして、村の、一角に。
一軒の、店が、できた。
『小料理屋 ・ BAR 鬼龍』
昼は、小料理屋。夜は、酒場。木の温もりのある、こぢんまりとした、けれど、居心地のいい、店。その、暖簾を、くぐると——香ばしい、出汁の匂いと、黒胡椒の、香りが、迎えてくれる。
「いらっしゃい」
カウンターの、奥。
ダイヤの打った、本焼きの包丁を、握り、龍魔呂が、立っていた。
エプロン姿。鋭い目つきは、相変わらず。だが——その手は、もう、人を、沈めるためでは、なく。客に、美味い飯を、出すために、動いていた。
「鬼龍さん、今日の、おすすめは?」
「ロックバイソンの、炙りだ。黒胡椒を、効かせてある」
「おお、うまそうだ! 一つ、くれ!」
かつて、龍魔呂を、恐れた村人たちが。今は、笑顔で、彼の店に、通っていた。
刃が——完全に、反転した。
人を、斬る刃が。人を、活かし、喜ばせる、刃に。
その夜。
店「鬼龍」では、ささやかな、宴が、開かれていた。
開店祝い、と。防衛戦の、祝勝会を、兼ねた、宴。
「乾杯ーっ!」
ニャングルが、音頭を、取った。
カウンターには、見慣れた顔が、並んでいた。
リベラと、憂。良樹と、ロード。ニャングル。村長のキャルル。人魚のリーザ。天使のキュララ。エルフのルナ。鍛冶師のダイヤ。みんな、龍魔呂の作った料理を、頬張り、酒を、酌み交わし、笑っていた。
「いやー、この、肉、うっま! 鬼龍さん、天才ちゃう!?」リーザが、悶絶した。
「拙者の、エビフライ定食も、絶品でござる!」良樹が、頬を、緩める。
「ワテは、やっぱり、ハンバーグやな」ロードが、しみじみ、言った。「兄ちゃん、初めて会うた時、行き倒れとったのにな。立派に、なったもんや」
「ほんまや」ニャングルが、頷いた。「最初は、どないなることかと、思たけどなぁ」
龍魔呂は、カウンターの中で、その、賑わいを、見ていた。
(……不思議な、もんだ)
ほんの、数ヶ月前。
龍魔呂は、世界を、呪い、すべてを、失い、ただ、人を、斬ることしか、知らない、化け物だった。
それが、今——温かい店で、仲間に、囲まれて、飯を、作っている。
「おにいちゃん!」
憂が、カウンターから、身を、乗り出した。口の周りを、タレだらけに、して。
「これ、せかいで、いちばん、おいしい! ママのごはんと、おなじくらい!」
「……そうか」
龍魔呂は、ふっと、笑った。
「もっと、食え。たくさん、作ってやる」
「うん!」
その、笑顔を見て——龍魔呂は、思った。
(ユウ)
(お前にも)
(こんな飯を、食わせて、やりたかった)
宴は、夜更けまで、続いた。
やがて、一人、また一人と、客は、帰っていった。
リベラは、眠ってしまった憂を、背負って。
「龍魔呂さん。……いや、鬼龍さん」リベラは、店を、出る前に、振り返って、言った。「ええ店じゃ。あんたの、居場所が、できて……うちも、嬉しいわ」
「……リベラ」龍魔呂は、言った。「お前のおかげだ。掟も、店も、この、居場所も。……ありがとうな」
リベラは、ふっと、笑った。
「礼なら、美味い飯で、返してくれりゃ、ええよ。……憂が、毎日、ここに、来たがって、困っとるんじゃけぇ」
背中で、眠る、憂の、寝顔を、見て。
龍魔呂も、優しく、笑った。
「ああ。いつでも、来い。……二人とも」
リベラと、憂が、帰っていく。
その、背中を、見送って。
龍魔呂は——一人に、なった、店の、カウンターを、片付け始めた。
戸締まりを、して。
龍魔呂は、店の、裏口から、出た。
夜空には、二つの月。満天の、星。
ひと月前、戦った、あの空。ユイが、見守っていた、あの空。龍魔呂は、知らない。だが——なぜか、いつも、誰かに、見守られている、気が、していた。
龍魔呂は、夜空を、見上げた。
そして——ずっと、誰にも、言っていなかった、ことを。初めて、言葉に、した。
「……ユウ」
星空に、向かって。
「俺は、この世界に、来た。お前を……取り戻すために」
龍魔呂の、声は、静かだった。けれど、その奥には、八年間、燃やし続けた、決意が、あった。
「お前は、死んだ。あの、世界で。俺が、守れなくて。……だが、俺は、諦めてねえ」
「この世界には、何でも、ある。魔法も、神も、奇跡も。だったら——お前が、死んだって、未来を。覆す方法だって、あるはずだ」
龍魔呂は、拳を、握った。
「待ってろ、ユウ。俺は、必ず、お前を……」
「お前が、死ななかったことに、してやる」
「もう一度、お前に、美味い飯を、食わせてやる。今度こそ、腹いっぱい、な」
それは——途方も、ない、願いだった。
死者を、蘇らせる、どころか。死そのものを、なかったことに、する。神にしか、できないような、奇跡。
だが、龍魔呂は——本気だった。
その、ささやかな店「鬼龍」の、灯りを、ともすことが。料理を、覚え、仲間を、得て、居場所を、作ることが。すべて、その、遠い、遠い目的への——最初の、一歩だと。
龍魔呂は、信じていた。
「……まずは、ここから、だ」
龍魔呂は、夜空に、背を向け、店に、戻ろうと、した。
その時、ふと——足元に、一輪の、小さな花が、咲いているのに、気づいた。
昨日まで、なかった、はずの、花。
夜露に、濡れて、月明かりに、淡く、光る、その花を。
龍魔呂は、しばらく、見つめ——それから、そっと、店の、窓辺に、飾った。
なぜ、そうしたのかは、自分でも、わからなかった。
ただ——そうしたく、なったのだ。
【空の上にて】
その、一部始終を。
雷帝神ユイは、空から、聞いていた。
龍魔呂の、独白を。その、決意を。
『……たつまろ』
ユイの、声が、震えた。
ずっと、知らなかった。龍魔呂が、何のために、この世界に、来たのか。何を、目指して、生きているのか。
ユウを——救う、ために。
死を、覆す、ために。
『そっか……君は、そのために……』
ユイは、知っていた。
ユウが、今、どこに、いるのかを。神に、なったユイには、見えていた。死者の、行く先が。賽の河原で——小さな石を、積んでは、崩され、積んでは、崩される、幼い魂の、姿が。
龍魔呂は、知らない。
ユウが、まだ、苦しんでいることを。救いを、待っていることを。
『……たつまろ。その願い、叶えるのは……きっと、すごく、すごく、大変だよ』
ユイの、瞳に、決意が、宿った。
『神々と、戦うことに、なるかも、しれない。地獄の、底まで、行くことに、なるかも、しれない』
『でも』
ユイは、地上の、小さな灯——店「鬼龍」の、灯りを、見つめた。
その、窓辺に、飾られた、一輪の花を。ユイが、龍魔呂のために、そっと、咲かせた、花を。
『僕も、一緒に、戦うよ』
『君が、ユウを、取り戻すまで。僕は、ずっと、君のそばに、いる』
『今は、まだ、声も、届かない。姿も、見せられない。でも——』
『いつか、必ず。君が、本当に、僕を、必要とした、その時に』
『僕は、君のもとへ、降りていく。神としてじゃ、なくて……ただ、君を、ずっと、想ってきた、僕として』
『その日まで、待っててね。たつまろ』
雷帝神の、誓いが。
夜空に、星屑となって、きらめいた。
店「鬼龍」の、灯りが、ともる。
かつて、死を呼ぶと、恐れられた、男の。
ようやく、見つけた、帰る場所。
その、小さな、温かい灯火は——やがて、大陸を、揺るがし、神々を、巻き込み、地獄の底まで、続く、長い長い物語の。
その、最初の、一灯と、なる。
鬼神龍魔呂の、物語は。
まだ、始まったばかり、だった。
その頃。
ポポロ村から、遠く、離れた、街道で。
一人の——いや、一匹の、影が、村を、目指して、歩いていた。
赤い鱗の、竜人。見栄っ張りで、どこか、抜けた顔の、若者。彼は、ぐぅ、と鳴る腹を、抱えて、ぼやいた。
「あー、腹減った……。噂の、ポポロ村に、行けば……なんか、美味い飯に、ありつけるって、聞いたんだけどなぁ」
イグニス。
後に、龍魔呂の、店に、転がり込み、騒動を、巻き起こす、ことに、なる、竜人。
だが、それは——また、別の、お話。
そして、さらに、その、ずっと、向こう。
三つの大国の、宮廷では。
「ポポロ村に、"鬼龍"なる、者あり」
「シンジケートを、単独で、壊滅させた、とか」
「……一度、視察を、送るべきでは、ないか?」
大国の、思惑が——静かに、ポポロ村へと、向き始めていた。
平穏な、日々は。
長くは、続かない。
だが、今は——
店「鬼龍」の、灯りの下で。
鬼神龍魔呂は、ただ、静かに、明日の、仕込みを、していた。
明日も、誰かに。美味い飯を、食わせる、ために。




