道央編
鉄路の孤独、交差する夜
窓の外を流れるのは、どこまでも続く緑と、それと対照的な鈍色の空だ。1980年代の北海道。僕の手元には、北海道周遊券」があった。
僕の旅の流儀は、少しばかり奇妙だった。筋金入りのヘビースモーカーであるはずの僕が、特急に乗る時は決まって禁煙車を選んだ。煙草の匂いにまみれた車内よりも、少しばかり空気が澄んでいる気がしたからだ。
禁煙車の自由席、その座席を埋めるのは、不思議と「女性の一人旅」が多かった。
特に、札幌と旭川を結ぶ特急『ライラック』の車内は、そんな旅人たちの溜まり場のように見えた。窓の外を見つめ、あるいは分厚い文庫本をめくりながら、彼女たちは皆、どこか遠い場所へ向かうような眼差しをしていた。
「隣、いいですか」
その一言から始まる会話は、日常のしがらみから解き放たれた、旅人同士の合言葉のようなものだった。
誤解しないでほしい。決して、下心があったわけではない。ナンパという言葉はあまりにも軽く、僕たちが求めていたものとは程遠い。旅先での出会いは、日常の延長線上にありながら、どこか異次元の出来事のようだった。
言葉を交わし、お菓子を分け合い、時折、連絡先を交換することもある。ある時は約束して食事をし、またある時は、彼女の日常の断片に触れることもあった。
一度だけ、忘れられない夜がある。
丘珠空港の近くに住むという彼女に誘われ、その家を訪ねた時のことだドキドキしながらついていくと。彼女には、家に帰れば迎えてくれる旦那さんがいた。こうゆうオチかよと思ったよ。その夜の食卓は、僕という異分子を招き入れることで、奇妙なほど温かい空気に包まれていた。
食卓には料理が並び、酒が空けられた。やがて旦那さんがギターを抱え、赤ベラで、古い歌を口ずさみ始めた。
気がつけば僕も、彼女も、旦那さんも、ベロンベロンに酔いしれていた。都会の喧騒を離れ、見知らぬ誰かの家のリビングで、夜が更けるまで笑い、歌った。それは、背徳感というよりは、旅路の果てに見つけた「孤独の交換」だったのかもしれない。
旅とは、終わりのある逃避行だ。
特急の座席で、あるいは見知らぬ誰かの家のソファで、僕が本当に欲しかったのは、誰かを所有することでも、誰かに所有されることでもなかった。
ただ、明日にはまた別々の方向へ消えていく者同士が、ほんの一時、互いの孤独を温め合うこと。その刹那の静寂が、何よりも愛おしかったのだ。
列車が駅に着き、汽笛が響く。
僕の周遊券は、今日もどこかへ僕を運ぼうとしている。禁煙車の扉の向こう側、次に出会う誰かの孤独に想いを馳せながら、僕は煙草の火を消し、静かに次の駅を目指した。




