表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の夫は妻を殺す悪役公爵──その未来、絶対に阻止します!  作者: 葵 すみれ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/41

12.この優しさを、運命が壊す前に

 馬車は静かに街道を進んでいく。規則的な車輪の音が、穏やかに耳に響いた。

 向かい合う座席の向こうには、いつものように無表情で座るサディアスがいる。沈黙は続いていたけれど、今のオリアナにとっては、それほど居心地の悪いものではなくなっていた。


(この沈黙にも慣れたというより……心地よく感じるなんて)


 不思議な気持ちだった。つい先日までは恐れていた相手なのに、今はむしろ気遣いや優しさを感じている。

 オリアナがそんなことを考えていると、不意にサディアスが視線を向けてきた。


「疲れてはいませんか?」


「え……?」


「まだ先は長いので、無理はなさらず。休憩が必要なら言ってください」


「あ、ありがとうございます。お気遣い、とても嬉しいですわ」


 オリアナが小さく笑みを返すと、サディアスは目をそらして頷いた。

 表情は相変わらず変わらないけれど、彼が照れているのが何となく伝わってくる。


(こうして見ていると、本当にただ不器用なだけなのね……)


 そんな彼が、妙に可愛らしく思えてしまう自分がいる。

 オリアナは微かな笑みを浮かべながら、そっと窓の外に視線を移した。


 ちょうどそのとき、馬車が速度を緩め、小さな町の入口に差しかかった。

 広場には多くの人が集まり、何やら儀式らしきものが行われている。

 白い神官服の一団が、人々に祝福を与えているようだった。

 何気なくその光景を見ていたオリアナの目に、一人の女性が映った。


(あの人……)


 長く艶やかな黒髪、静謐な青い瞳。そして胸元に輝くのは、神殿の紋章。

 オリアナは胸がざわりと騒ぐのを感じた。実際に会ったことはないが、彼女が何者なのか、はっきりとわかる。


(あれは……ライラ?)


 『物語』の中の、ヘクターの幼なじみ──後に聖女として覚醒する神官ライラ。

 どうして彼女がこんなところにいるのだろうか。


「……知り合いですか?」


 サディアスの問いに、オリアナははっと我に返った。


「いえ……見間違いかもしれません。少しだけ気になっただけで……」


「そうですか」


 サディアスは静かに頷き、再び窓の外へと目を向ける。

 馬車がゆっくりと動き出し、その黒髪の神官──ライラの姿はすぐに視界から消えた。


(まさか、こんなところで出会うなんて……)


 『物語』が、確かに動き出している。そんな予感が胸をよぎった。

 オリアナは、急に自分の足元が不安定になった気がして、小さく唇を噛んだ。




 日が沈み、街道沿いにぽつんと佇む宿に到着した頃には、辺りはすっかり夜の色に染まっていた。

 夕食を終え、オリアナは部屋に用意された椅子に腰を下ろすと、深く息をついた。


(疲れたけれど……今日は不思議な日だったわ)


 道中で見かけた黒髪の神官、ライラ。

 彼女がここに現れるということは、『物語』が本格的に動き始めているという証拠なのだろうか。


(まだ、サディアスと直接関係する出来事ではないけれど……)


 何かが迫っている──そんな焦燥感にも似た予感が胸に残る。

 不安を紛らわせるように、窓際に立って外を見下ろすと、宿の庭に立つ人影が目に入った。


「あれは……?」


 月明かりの下に浮かぶのは、サディアスの横顔だった。

 彼はひとり静かに、夜の空を見上げている。


(何をしているのかしら……)


 少し迷った末、オリアナは部屋を出て、宿の庭へと向かった。

 静かな夜風が頬を撫で、柔らかな草の感触が足元に広がる。

 オリアナが近づくと、サディアスは気配に気づいて振り返った。


「……オリアナ姫?」


「あの……眠れなくて。サディアスさまは?」


「私も少し、頭を整理したくて」


 短い返答だったけれど、その表情は昼間よりもどこか穏やかで柔らかく見えた。

 しばらく黙ったまま、ふたりは夜空を仰いだ。


「昼間……街で何か気になることでも?」


 サディアスが静かに問いかける。


「あ……はい、少しだけ」


「そうですか。あなたが不安に感じることがあれば、言ってください」


「……ありがとうございます」


 彼の横顔をそっと盗み見ると、いつもよりもさらに柔らかな表情をしているように感じた。

 月明かりのせいか、それとも──。


「サディアスさまは、優しいのですね」


 思わずそう口にすると、サディアスがぎょっとしたようにこちらを見た。

 本当に彼が驚いているのがわかる。目を見開き、ほんのわずかに耳が赤くなったようにも見えた。


「……私が?」


「はい。とても」


「それは……誤解かもしれません」


 彼は困惑したように眉をひそめたが、オリアナは小さく首を振った。


「いいえ。最近、そう思うようになったのです。あなたが、私に優しくしてくださるのが、少しだけわかるようになりました」


 サディアスは視線を落とし、黙り込む。無表情のままなのに、どこか落ち着きなく視線がさまよっていた。


「あなたにそう思ってもらえるのは、嬉しい」


 やっと口を開いた彼の声は、夜の静寂に溶け込むように静かだった。


「……私は、人と接するのが苦手です。これまでずっと、誰かに優しくする方法を知らずに生きてきました」


 ぽつりとこぼれた言葉に、胸が小さく震える。


「……あなたが、そう言ってくれるとは思っていませんでした」


 どこか遠くを見据えながら、彼は言葉を選ぶようにしてゆっくりと続ける。


「私には難しいと思っていたことを……あなたは、自然に……」


 彼の言葉はそこまでで止まり、再び沈黙が訪れる。

 だが、その沈黙は決して気まずいものではなく、むしろ甘やかなものだった。


(サディアスは……本当は、ずっと優しい人だったのかもしれない)


 『物語』での彼とは全く違う、その人間らしい姿に触れるたびに、胸が温かく満たされていく。


「……夜風は冷えます。そろそろ戻りましょう」


 サディアスの声に促され、オリアナは小さく頷いた。

 振り返り、宿に戻ろうとしたとき、不意にそっと上着がかけられた。


「あ……」


「風邪をひかれては困りますから」


 サディアスはそれだけ言うと、すぐに先に歩き出した。その背中は少しだけ強張って見えたが、オリアナの胸はじんわりと温かくなる。


(やっぱり、優しい方だわ……)


 かけられた上着から感じる彼の体温に、オリアナは小さく微笑んだ。

 『物語』の中では決して知ることのなかった、この温もりを大切にしたいと、心から願う。


 宿へ戻る途中、オリアナはふと夜空を見上げた。

 星の煌めきは美しいが、どこか儚げで、不安を呼び覚ます。


(『物語』では……私はサディアスに殺される)


 その事実は、何度考えても心を重くする。

 けれど、今日の彼を見ていて思った。


(この方は、決して気まぐれで人を殺めるような人ではない。ましてや……妻である私を)


 それならば、そこにはどうしても避けられない事情があったはず。

 それは、たとえば──。


(王妃、あるいは王家に関わる何か……)


 『物語』では、王妃が裏でさまざまな策謀を巡らせていたことを思い出す。

 王都で開かれるジュリアナ王女の誕生祭。それがきっかけとなり、王妃と関わりが生じ、何らかの歯車が狂いだしたのかもしれない。


(きっと、誕生祭に何かがあるのだわ)


 そしてサディアスは、やむを得ない理由でオリアナを手にかけるしかなかった──。

 今ならば、そう考えられる。


(だとしたら、私は何をすれば……)


「……どうかしましたか?」


 隣を歩くサディアスが、静かな声で問いかけてくる。


「……いいえ」


 オリアナは慌てて笑みを浮かべた。


「ただ、少し考えごとを……」


 彼がわずかに眉を寄せ、困惑を浮かべる。その表情がいじらしくて、胸が締めつけられた。


(私は、あの物語の結末を受け入れるつもりはない)


 王都で待ち受ける運命に立ち向かおうと、オリアナは改めて心に誓った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ