13.『冴えない豚』は、いま隣に立っています。誰より美しく
王都に到着したのは、華やかな夕暮れの頃だった。
馬車から降り立ったオリアナは、懐かしさを覚えつつも、目の前に広がる王宮の壮麗な景色に息をのんだ。王都で暮らしていたのは、ほんの少し前までのことなのに、なぜかずいぶんと昔のように感じる。
「久しぶりですわ、王都は」
呟くように言うと、隣に立つサディアスが静かにうなずいた。
「私にとっては十年以上ぶりです。前回訪れたときは……まだ子どもでしたから」
淡々とした口調だったが、どこか懐かしさが含まれているように感じられた。
オリアナははっとして顔を上げる。
「十年以上前……。では、もしかするとどこかでお会いしていたかもしれませんね」
「……そうかもしれません」
サディアスの瞳がわずかに揺れる。
その微妙な表情の変化を不思議に思いながらも、オリアナはそっと彼を見つめた。
(でも、もしお会いしていたなら、覚えているはずなのに……)
サディアスは昔から、この美貌だったに違いない。
子どもの頃に一度でも見ていたら、絶対に忘れるはずがない。
「……?」
オリアナが小首を傾げていると、サディアスがそっと視線を逸らした。
「ともあれ、あなたにとっては懐かしい場所でしょう。今夜の宴が楽しめるといいのですが」
「はい……ありがとうございます」
彼が不意に見せる優しさに、胸がじんわりと温かくなる。オリアナは差し出された腕にそっと手を添えた。
二人はゆっくりと、誕生祭が開かれる宴会場へと足を踏み入れた。
宴会場には色とりどりのドレスが揺れ、美しい旋律が軽やかに響いていた。その華やかな空気に包まれながら、オリアナは胸が高鳴るのを感じた。
(こんな場所に立つ日が来るなんて、思ってもいなかった)
白から青へと淡く移ろうグラデーションのドレスに身を包み、胸元にはサディアスの瞳と同じ青の宝石が光る。彼が贈ってくれた、大切な宝物だ。
「……その、ドレスはとても……」
サディアスがぎこちなく口を開く。
「似合っています」
やっとのことで言い切ったサディアスの耳元が赤く染まっているのを見て、オリアナは頬を緩めた。
「ありがとうございます。あなたが選んでくださった宝石のおかげですわ」
すると彼はますます戸惑ったように目を逸らした。その不器用な反応が愛しくて、思わず小さく笑いが漏れる。
だが、その穏やかなひとときはすぐに砕かれた。
「あら、これはオリアナではないの?」
鋭く、耳に刺さるような声だった。
振り返ると、真紅の華やかなドレスを纏ったジュリアナ王女がこちらを見下ろしている。いつものように、傲慢さを隠しもしない微笑みを浮かべていた。
「お姉さま、お久しぶりです」
オリアナが軽く膝を折って挨拶をすると、ジュリアナはそれを無視するように鼻で笑った。
「あなたも随分と図太くなったものね。以前は怯えた鼠みたいに隅っこで震えていたのに」
「……申し訳ありません、お姉さま」
思わず謝罪が口から出てしまう。すると、ジュリアナの視線が、オリアナの横に立つサディアスへと注がれた。
途端に、その目に冷たい侮蔑の色が浮かぶ。
「それで、隣にいるのは誰? あなたの夫は、あの醜く太った公爵だったはずよね。もう別の男に乗り換えたの?」
明らかに誤解したその問いかけに、オリアナははっと顔を上げた。
「いいえ! この方は私の夫、サディアス・ファーレスト公爵です!」
「嘘をおっしゃい。あの冴えない豚が、こんな美しい男のはずがないでしょう? 子どものくせに艶のない白髪で、見るのも不快だったのに」
ジュリアナの声が大きくなり、周囲の視線が集まってくる。
(冴えない豚、艶のない白髪……?)
オリアナの記憶の片隅に、幼い頃、王宮の片隅で出会った、白髪で太った少年の姿が浮かんだ。あのときの頼りなげな、どこか寂しそうな姿……。
(まさか、あのときの少年が……?)
オリアナは戸惑いながら、そっと隣のサディアスを見つめる。
しかしジュリアナの鋭い声が再び響き、その思考はかき消されてしまった。
「それともあなた、夫に飽きて浮気でもしているの? 地味で取り柄もないくせに、大胆な真似をするのね」
王女の棘のある言葉が、オリアナの胸にぐさりと刺さった。『物語』を思い出す前の記憶が蘇り、自然と身体が震える。
「……いいえ、私は……」
「それにしても不釣り合いね。こんなに美しい男性が、どうしてあなたみたいな地味で冴えない女を伴っているのかしら? もしかして、同情でも買ったの?」
ジュリアナの言葉に、周囲から小さな笑い声が漏れる。
その嘲笑が耳に突き刺さり、オリアナは唇を噛んだ。まるで自分が場違いな人間だと突きつけられた気がして、どうしても言葉が出ない。
(お姉さまの言う通りかもしれない……。私なんかが、彼の隣に立つ資格は……)
だがそのとき、ずっと黙っていたサディアスが一歩前に進み出た。
「殿下、申し訳ありませんが、これ以上、妻を侮辱されるのなら、私は黙ってはいられません」
冷静だが威厳に満ちたその言葉に、周囲の空気が一瞬で変わる。
ジュリアナ王女が唖然としてサディアスを見つめた。
「あなた……まさか本当に……」
「改めて名乗りましょう。私はサディアス・ファーレスト。あなたがおっしゃった通り、かつて醜く太っていた、あの冴えない豚です」
彼の冷静で堂々とした態度に、ジュリアナ王女の顔が怒りと羞恥で赤く染まる。
「そんな……馬鹿な……」
「そして、妻オリアナは誰よりも美しく、私にとってこの世で最も大切な女性です。それを侮辱することは許せません」
ざわめきが広がる中、サディアスは真っ直ぐにオリアナを見つめる。その真剣な眼差しに、オリアナは胸の奥が震えるのを感じた。
(ただ私を庇っているだけ? それとも、本当に……?)
混乱と動揺が入り交じり、オリアナは何も言えなかった。ただ、彼の瞳に宿る強い感情を見つめ返すことしかできなかった。




