決算
「……これが、今シーズンの収支です。」
しん、と静まり返った事務所に、風夏の落ち着いた声が響いた。
テーブルの上には分厚い帳簿と売上表。
もうすぐ春。
スキーシーズンも終わりに近づき、白銀スノーパークでは初めての決算会議が開かれていた。
もちろん参加者はいつもの四人と、しげ。
そして母も隣でお茶を飲みながら見守っている。
「いよいよだね……。」
杏柚はごくりと唾を飲み込んだ。
あの日。
父が「三年くらい海外行ってくる!」という、とんでもない置き手紙を残して旅立ってから約三か月。
毎日のようにアイデアを出し、イベントを開き、走り回ってきた。
その結果が、今日わかる。
「緊張するのです……。」
胡桃は両手を合わせて目を閉じていた。
「お願いだから黒字……。」
千春も珍しく真面目な表情だ。
「では。」
風夏が最後の一枚をめくる。
「今シーズンの営業利益は――」
全員が息を止める。
「……プラス七万八千四百円です。」
数秒の沈黙。
そして。
「……え?」
杏柚が目をぱちくりさせた。
「黒字……?」
「はい。」
風夏がにっこり微笑む。
「黒字です。」
「やったぁぁぁーーーっ!!」
事務所中に杏柚の歓声が響いた。
思わず立ち上がり、風夏に抱きつく。
「ありがとうございますっ!」
「きゃっ。」
続いて千春。
「やったね!」
胡桃。
「プリンがいっぱい買えるのです!」
「そこ!?」
全員が笑い出した。
◇ ◇ ◇
「落ち着け落ち着け。」
しげは苦笑しながら帳簿を指差した。
「黒字にはなった。」
「うん!」
「でも、大儲けじゃない。」
「……うん。」
杏柚も素直にうなずく。
七万円の利益。
スキー場全体で考えれば決して大きな金額ではない。
「だけど。」
しげは静かに笑った。
「去年よりは大きな前進だ。」
去年は赤字。
一昨年も赤字。
その流れを止めたことに意味がある。
「一番伸びたのは食堂。」
風夏が資料を見せる。
「手作りコーンポタージュが予想以上でした。」
「やっぱり!」
杏柚はガッツポーズ。
「売店も。」
「木工キーホルダーが人気だったのです。」
「イベントの日は完売していました。」
「SNS経由のお客様も増えています。」
数字が並ぶたびに、少しずつ実感が湧いてくる。
本当に黒字なんだ。
みんなで頑張った結果なんだ。
◇ ◇ ◇
そのときだった。
母が笑顔で封筒を取り出した。
「あら。」
「どうしたの?」
「約束だから。」
封筒を杏柚へ差し出す。
「はい。」
「?」
中を見る。
一万円札が入っていた。
「……!」
「黒字だったから、お父さんとの約束のお小遣い。」
「一万円!」
杏柚は思わず飛び跳ねた。
「やったぁぁぁ!」
その場でぐるぐる回る。
「コンポタ飲み放題!」
「プリンも買えるのです!」
「いや、それはくーちゃん。」
千春が笑う。
「自分のお小遣いじゃないよ。」
◇ ◇ ◇
その日の帰り道。
四人は町の小さな洋菓子店へ寄った。
「今日はお祝い!」
杏柚が胸を張る。
「私のおごり!」
「本当に?」
「もちろん!」
ショーケースには色とりどりのケーキが並んでいる。
胡桃は真っ先にプリンを選んだ。
「やっぱり。」
千春が苦笑する。
「プリンなのです。」
風夏は苺のショートケーキ。
千春はモンブラン。
杏柚は悩みに悩んでチーズケーキを選んだ。
「いただきます!」
四人で声を合わせる。
「おいしいー!」
自然と笑顔になる。
「ねぇ。」
千春がフォークを置いた。
「最初の頃覚えてる?」
「お父さんの置き手紙?」
「そうそう。」
『赤字だったらお小遣い五百円!』
その一文を思い出し、四人とも笑ってしまう。
「泣きそうになってたよね。」
「本気でコンポタの心配してた。」
「今思えば、それが始まりだったね。」
杏柚は窓の外を見た。
雪は少しずつ解け始めている。
長かった冬も、もうすぐ終わる。
◇ ◇ ◇
スキー場へ戻ると、しげが一人でゲレンデを眺めていた。
「しげさん。」
「ん?」
「ありがとう。」
杏柚は深く頭を下げた。
「いっぱい助けてもらった。」
しげは照れくさそうに笑う。
「俺は何もしてない。」
「ううん。」
「しげさんがいたから安心できた。」
その言葉に、しげは少しだけ目を細めた。
「社長。」
「え?」
「もう立派な社長だよ。」
杏柚は恥ずかしそうに笑う。
「まだ高校生だよ。」
「関係ない。」
しげはゲレンデを指差した。
「お客さんの笑顔が増えた。」
「町が元気になった。」
「それを作ったのは杏柚たちだ。」
杏柚は真っ白なゲレンデを見つめる。
ここは大好きな場所。
滑ることしか考えていなかった場所。
でも今は違う。
ここには働く人の笑顔がある。
町の人の想いがある。
そして、お客さんの思い出がある。
「……もっと。」
杏柚は静かにつぶやいた。
「もっと素敵な場所にしたい。」
◇ ◇ ◇
その夜。
公式SNSに一枚の写真が投稿された。
夕日に照らされた白銀スノーパーク。
その写真には、こんな文章が添えられていた。
『今シーズンもたくさんのご来場、ありがとうございました。
皆さまのおかげで、白銀スノーパークは久しぶりに黒字でシーズンを終えることができました。
本当にありがとうございます。
でも、これはゴールではありません。
来年はもっと楽しく、もっと笑顔になれるスキー場を目指して頑張ります。
また雪の季節に、お会いしましょう。』
投稿から数分後。
コメントが次々と届き始める。
『来年も絶対行きます!』
『子どもが今から楽しみにしています。』
『ポタージュ飲みたい!』
『雪だるま大会、また参加します!』
杏柚はスマートフォンを見ながら笑った。
「来年も忙しくなりそう。」
そのとき、一通のメッセージが届く。
送り主は――父だった。
『黒字おめでとう。
でも、まだ帰らない。』
その一文を読んだ杏柚は、ぷるぷると震え始める。
「お父さぁぁぁぁんっ!」
事務所に絶叫が響き渡る。
直後にもう一通。
『追伸。
お土産はメープルシロップでいいか?』
「帰ってきたら説教だからねーーっ!!」
その叫び声と笑い声は、春を待つ静かなゲレンデへ、いつまでも響いていた。
<完>




