ハッピーエンドの続き
夕方。
いつもより早くユーリが帰ってきた。
本をぽいっと投げ出して、あたしは玄関に向かって走る。
ちょっとバランスを崩しかけて、転びそうに……ならない!
あたしは、そんなに運動神経がダメじゃない。これまで、どんな場所も裸足でばたばた走り回ってきたんだから。ちょっとの悪路じゃ、あたしを転ばすことなんてできないのだ。
「……あ!」
廊下の窓の外に、彼を見つける。
ここは二階で、彼がいるのは前庭だ。乗ってきた馬を、馬をお世話してるおじさんに渡しているところ。もうすぐ玄関に入ってきちゃう、間に合わないかもしれない。
だけどさすがにここから飛び降りるのは無理だから、あたしは前を向いて必死に走る。
彼に追いつかなきゃ。
「ユーリっ」
玄関ホールに飛び出して、階段の手すりをスルスルっと。ちょうど入ってきた彼に、その勢いのままドーンと飛びついてみた。さすがは戦う人、ぜんぜんびくともしなかった。
呆れた感じに息をはいて、あたしをちゃんと抱きかかえてくれるユーリ。
すとん、と床に下ろしてもらって、また抱きついて。
使用人のお姉さんが、少し楽しそうにこっちをみて笑った。楽しそう、というより、何だかニヤニヤとしている感じ。視線はあたしじゃなくて、ユーリの方に向けられていた。
すると、ユーリの機嫌は悪くなる。
恥ずかしいのですよ、と執事のおじーちゃんは言った。
うーん、よくわからない。
まぁいっか、とあたしはユーリに意識を戻す。
「あのねあのね、ユーリ」
「……なんだ?」
「あたしね、コウノトリを呼びたいの!」
「……は?」
「だってコウノトリが赤ちゃん連れてくるんでしょ? だから!」
だから呼びたい、とおねだり。
ユーリは――ぴたり、と動きを止めてしまった。
どういう意味だ、という質問というより独り言みたいなものに、あたしはぺっちゃんこな胸をぐっと反らせて説明してあげる。ふふふ、あたしだっていつまでも子供じゃないんだよ。
あたしね、女なの。女の子。
女はね、子供を産むことができるんだよ。
これは男の人にはできないことで、奇跡だって聞いた。あと、あたしが見つけた本にもそう書いてあった。なんかわからないけど、女の子が子供を産むんだって、方法知らないけど。
あたし、子供は好きなんだ。
かわいいし、ふにゃふにゃであったかい。
きっと、ユーリも好きになると思うんだよ。
だからあたしね、ユーリの子供を産んでみようと思ったんだ。大変だって本にはかいてあったけど平気だよ、ちょっとぐらい痛くても苦しくても平気、大丈夫、あたし強い子。
問題は、どうやったらいいのかわかんないこと。
詳しいことは書いてなかった、だけどコウノトリが何とかしてくれるらしいんだ。
だから、まずコウノトリを探さなきゃ。トリ、ってあるからたぶん鳥。だけどあたし見たことがないからそこがちょっと心配。でもユーリは頭がいいから、きっと見ればわかるよね。
この鳥は、どこかからひょっこりとやってくるものらしいんだ。
だけどただじっとしてても来なくて、呼ぶためにいろいろしなきゃいけないんだって。
好き同士だと呼べるんだって、そんなこと書いてあったんだけど。
「ユーリ、あたし嫌い?」
「お前……」
何か、言いたいけどいえないって感じのユーリ。
今まで見たことがない姿。
ちょこっとだけ、ほっぺたが赤い。
それを見ていたお姉さんの肩が、なぜかぷるぷると震えてる。口元がへんな形。
苦しいのかな。それか、おなかがいたいとか。……あ、笑いそうなのかな。
だけど今のユーリ。そんなにおもしろいのかな。
確かに、珍しい姿だと思う。
あんまり表情が変わらない彼が、どこか恥ずかしそうなの。かわいい感じ。なでなでってしてあげたくなっちゃうね。すごく年上のはずだけど、そんな感じがしなくなってくるよ。
まぁ、それはそれとして。
「ねー、ねー、どうやるのー? どうやって呼ぶのー?」
「いや……それは、その、お前には、まだ早い」
散々迷ったユーリが、やっと言ったのはそんな言葉。
……早いってなんだよぅ。
わかんない! 子供って意味なら怒るよ!
あたし、子供じゃないもん!
チビだし、細いけど。
でも、がんばれるはずだもん。
「旦那様、そろそろお覚悟をなさっては……お嬢様も、もう子供ではありませんし」
と、執事のおじーちゃんが笑う。
そっか、コウノトリは覚悟がないと呼べないんだなー。
そしておじーちゃんいいこと言う。そうだよ、あたしはもう子供じゃないんだからね。大人かって言われるとちょっと迷う感じだけど、でも子供じゃないよ、そんなじゃないんだよ。
ユーリは、しばらく迷って。
「少し、話をしようか」
二人で、と言って、あたしをひょいっと抱き上げて、すたすたっと歩き出す。執事のおじーちゃんもそれ以外の人も、ついてこない。二人っきりでお話なんだ、寝る前みたいでいいな。
「お夕食は」
「いらん」
執事のおじーちゃんに、いつも以上にぶっきらぼうに返事。そのまましばらく進んで、いつも寝起きしている部屋――寝室っていうんだっけ、そこにはいってなぜか鍵もしめた。
邪魔されたくないのかな?
この部屋には机と、ちょっとした本棚と、あとベッド。大きくてね、二人で寝ても全然問題ないって感じなの。ユーリはあったかいから、腕の中に納まるとよく眠れるんだ。
そんなベッドにあたしは、ぽーい、と放り投げられた。
何度かふわんふわんとはねて、ころっとして止まる。
わきゃー、とゴロゴロしてると、ユーリがベッドに腰掛けた。
はぁ、と彼は疲れた感じにため息を付いて。
「お前には子供とかは、まだ早い。……もう数年してからだ、考えるなら」
あれは大人がやる作業だと、ユーリはいうんだけど。
あたしは、それは待てない感じなの。
ぎゅううううって、胸が苦しい。
子供子供、だけどあたしはいつまでも子供だよ。ユーリの方がずっと年上で、あたしはどんなに走っても追いつけないんだから。背伸びしなきゃ、何もしてあげられないんだから。
だけどあたしでもできそうなの、家族を作ることならできそうなんだよ。
「そこまで、お前は……どうしてやろうと思える」
「んと……それはユーリが好きだから、だよ?」
でなきゃこんなこと言わないよ?
好きなの。
ユーリがずっとずっと、誰より好きなんだよ。
あの日、死んだことになったあたしを、こうして拾ってくれた人。こんなあたしのことをずっとを守ってくれて、さらに救ってくれた人。いつもあたしのそばに居てくれる人。
だから、全部あげるって決めたんだ。あたしがあなたにあげられるすべてをあげる。でもこのほそっこいあたしの身体じゃ、身につけていることじゃ、できることは限られている。
お料理は出来ないし、コックのおじさんがいる。
お掃除はたぶんモノを壊すだけ。
縫い物は覚えてるところだし、歌……は、あんまり役に立たないし。
それで、思いついたのが子供なの。これならあたしでも何とかなりそうだし。
あたしも一人。
あなたも一人。
だけどあたしがあなたの子供を産んだら、きっと『家族』だよ。
「だから、コウノトリを呼ぶの!」
ぎゅうっとユーリに抱きついて、ねぇねぇ、と乞う。
どうやったら呼べるのって。
ユーリは、動かない。
何かに耐えてる感じの、苦しそうな表情。あたしのこと、あたしの提案、受け入れてくれるようには見えない。それがとても悲しく思えて。だけどそれ以上に苦しそうなのが悲しくて。
あたしはそっと、彼の頬にキスをした。
遠い昔、お世話になったお姉さんが、泣いたあたしにしたように。
なんかね、それが何かのきっかけになってしまった感じがするんだよね。ごめんね、と言おうとしたあたしを、ユーリが何だかぎゅうっと抱きしめてね。すごく苦しいくらい、ぎゅーって抱きしめてもらって、最初は嬉しかった。ユーリの腕の中は暖かくて、大好きだから。
だけどだんだん、こう、なんか。
普段はやらないようなことを、いろいろしてね。
気づいたら、すごく時間が経ってたし。あと身体が痛くてだるくて。
あたし、動けなくなって。ユーリはお姉さん達にこってり怒られてるし、あたしはなんかかわいそうかわいそうって言われて泣かれるし、よくわからないけど大変なことになった。
ユーリにご飯を運んでもらったり、食べさせてもらったり。
あと、お風呂も入れてもらった。
お姫様扱い、これはこれで悪くない。彼がべったり一緒で幸せだしー。
寝る時は一緒で、腕の中で幸せだったもんね。
後日、やっと動けるようになったあたしは『コウノトリ』の意味を知った。
教えてくれたのは、使用人のお姉さん。
あたしが読んだ本って子供向けの絵本だったらしくって、間違ってないけど間違ってる感じだったんだって。お嬢様にはもうはっきり申し上げるべきでしょうから、とかで、その日の内にあたしは教えてもらった。あたしがほしがったものの授かり方から、あの日何されたかも。
で、ご希望とあらば旦那様をしめますが、と怖い顔で言われた。
うーん……だけどあたし、別に気にしてないからいいかな。
「これであたしはユーリのモノでしょ? ユーリだけのものでしょ? こういうのって、こんぜんこーしょーとか、きせーじじつっていうんだよね? だったらあたし、別にいいよ」
「……どこで、そんな言葉をおぼえたのですか、お嬢様」
お姉さんの嘆く声なんてなんのその。
これでユーリはあたしのモノで、あたしはユーリのモノで。
ずっといっしょで、ハッピーエンドだね!
■ □ ■
「……っていう、若気の至りを思い出しました。ニアはおばかさんでした」
唐突に思い出した己の言動に、あたし改めわたしニアは彼の前にひれ伏した。
すみませんでした。まさに無知は罪です。何を考えていたのだろう、あの頃の自分。今だったらお酒をたっぷりキメた頭でなきゃ、言おうとも思わない言葉の数々。
そうだ死のう今すぐ。
だけどそれをするとユーリ改め旦那様が悲しむのでやめます、妻ですから。
そう、妻。あの頃も実は妻だった。
今もどういう取引で今の幸福があるのか知らないけど、こういう場合は知らないほうがいいと思うので深く聞いていない。世の中、知らないほうがいいこともあるのよ、きっと……。
さて、唐突な幼妻――といってもすでに成人済みの妻の謝罪に、肝心の旦那様はそういえばそんなこともあったな、みたいな顔をしつつも、どこかげっそりと疲れた表情をしている。
わかればいい、という簡潔な言葉は、どれだけ振り回していたかを伝えてきた。
あぁ、やっぱりあの頃のわたしは死のう。
死なない程度に死のう。
さてさて、若気の至りを唐突に思い出したといっても、だ。
そこに『きっかけ』が、何一つなかったというわけではなかったりする。むしろそこから芋づる式に思い出してしまった感じで、わたしはおずおずと旦那様にそのことを告げた。
「それで……ですね」
「なんだ」
「そろそろコウノトリさんを、呼んでもいいと思うんですよね」
あれから数年。わたしはもう大人だ。
あの頃は結局呼ばれなかったコウノトリさん改め新しい家族ですが、さすがにもう大丈夫だろうと思うのだ。旦那様は一回り以上年上だし、そういうところもやっぱり気になる。
ましてや未だに将軍職。平穏な日々が続いているといっても、それが唐突に終わってしまうことは珍しいことじゃないから。だからこの人に、早くたくさん家族をあげたいなーって。
「ががが、が、がんばりましょうね!」
「……あぁ」
ぐっと手を握って迫る。相変わらず表情があまり変わらない人だけど、今はちょっとだけ恥ずかしそうにしているというか、頬が赤い。そういうところが、ちょこっとカワイイな。
なお、この後がんばられすぎてひどい目にあいました。
しかし一年後にはちゃんと一人増えたので、まぁ、概ね問題なしです。