01:プロローグ
俺の名前は田中士郎、二十三歳。名前はシロウではなくジロウと読むし次男ではなく長男だ。ついでに言うと姉もいない。むしろ弟がいて、やつの名前は寛士で俺とは『士』の字が同じだ。
突然の自己紹介に戸惑っているだろうか。
安心してくれ、俺も現在進行形で戸惑っている。三月末の年度決算、その地獄をついに終え、久しぶりの定時退社。
会社を出たところで、『今日は外が明るいぜ~』とカバン片手に伸びをしたらここに居た。
薄暗い室内。電灯は無く雰囲気のある蝋燭台がもたらす淡い光。目の前にはラノベ風天使の翼─ただし黒い─を背負ったコスプレ美女が立っていた。
年齢は二十代前半ほど、黒髪のロングだが左に流したひと房だけ青空のような鮮やかな青に染まっている。まったくウィッグに見えないのは地毛を染めたのか、それともお値段の張るウィッグなのか。
青空のひと房に視線を奪われるも、彼女のキャラ主張は止まらない。瞳はカラコンを入れて燃えるような赤に変え、両耳の上から伸びる黒鉄色の角はインパラのよう。あの長さ、どうやって留めているんだろう。最近のコスプレ技術は凄いぜ。
そして服装。黒のマーメイドドレスに額を飾る金のサークレット、金地に宝石が埋め込まれた腕輪も太くて立派。極めつけは彼女の胸元を飾るネックレス。コスプレ用の模造品とは言え、このように本物と変わりない光を放つのならきっとお高いに違いない。
それにしても気合の入ったコスプレだ。
ただ残念かな、俺は元ネタを知らない。
なお視線は揺らさず真正面、彼女の顔だけを見つめている。しかし意識はその下、丁度日本の北緯三十五度まで露わになった彼女の胸に囚われていた。
デカい。凄くデカい。
とても気になるが視線は顔に固定する。昨今のセクハラ基準は非常に厳しいのだ。
突然地球が動いた、地動説万歳!
うぉぉ危ねぇ、危うく目が行くとこだった。何とか耐えた俺、凄い!
距離を詰めたコスプレ美女は俺の手を両手で取ると胸元へ。そして上目遣い。
おっと危ない、ハニトラだ。危うく視線が落ちそうになるのを堪え、彼女の角を見て気分を落ち着かせる。
「突然のことで驚いただろうか。わたしの名前はジークリンデ=ドール、当代の魔王だ。賢者よ、どうか我が国を救って欲しい」
「は?」
一字一句変わらないテイクツーが始まったところを途中で止めた。
「あんたは魔王で、俺が賢者で国を救う? 正気か。
俺にはそろばん準二級、簿記とワープロ検定、電卓に情報処理検定がそれぞれ二級。あとは普通自動車免許しか持ってないぞ」
これらの資格は地元の商業高校を卒業し会計系の専門学校へ行ったときに習得したもので、資格を活かし地元の役所に就職。希望通りの経理課に配属されて三年。そんな俺にどうやって国を救えと仰るか?
人選が激しく間違っている。
「あっ!
(すみません、カメラはどこです。俺も演技とかした方がいいですか?)」
こんなことが現実なわけがない。これは何かのテレビの企画だ。ずぶの素人の俺だけど、新人アイドルらしき彼女に協力するのはやぶさかではない。
「カメラ……というのは判らんが、演技はもしやわたしの立場を察しての事だろうか。召喚されたばかりで初対面のそなたにすら、不甲斐ない魔王と映るのか……ははは、なんと情けないことか」
魔王を名乗った新人アイドルは縋るような瞳で俺を見つめたまま、ガックリと膝をついた。その拍子にドレスが揺れ北緯が三十度に変化した。
日本の北緯は三十五度で京都や東京あたりを基準としている。いまは三十度、屋久島。あるいは奄美大島付近か。
……ダメだ、見るな。角を見ろ、落ち着け俺。
鼻の下を伸ばした無様な顔をお茶の間のテレビに晒してなるものか。
「えーと魔王さん。とりあえず立ちましょう。そしてそろそろネタばらしをお願いしたいのですが……」
「ネタばらし……そうかさすがは賢者殿、すべてをお見通しであったか」
いーやバレバレですよ。
「『異世界召喚』の魔法で使った魔石は大サイズが一〇八個、中サイズが五二四個で小サイズが二七四三個になる。財政難で恥ずかしながらこの数が精いっぱいであった」
斜め上の回答が返ってきた。
どうやらまだ続くらしい。だったら付き合ってやろうと台本になさそうな質問を重ねてみた。
「その魔石を金額に換算すると?」
「魔石一つ辺り、大が金貨五枚で中は二枚、小は銀貨十五枚だったと思うが……えーと……」
数字を聞きながら右手でそろばんを弾くエア動作。
「合計で金貨一五八八枚と銀貨四一一四五枚です」
計算で詰まったが、彼女は消費した魔石の数はスラスラと答えた。いやまさかな……
「は、速いな」
「ついでに金貨と銀貨の価値も教えてください。そうですね、食事付きの一泊のお値段、一般の労働者の給金と比較してください」
「えっ、銀貨は百枚で金貨一枚だが。
あ……すまないずっと城暮らしで平民の生活には疎いのだ。そうだ、教育係の爺なら知っているはず、紹介もしたいから案内しよう」
やっとかと安堵する。
新人アイドルと一般人が出るような番組だ。ここの外まで舞台セットが準備されているはずはない。きっと移動=終わりだろう。
そう思いつつも指が動きエアそろばんを始める。〆て金貨一九九九枚と銀貨四五枚っと。
彼女はおもむろに手のひらを上にして手を持ち上げた。まるでダンスのお誘いのようなポーズだが、手を取るとセクハラで訴えられるんですね、判ります。
そう思い射に構えていたのだが、彼女の手に光が生まれてふわりと浮くと「は?」という言葉と共に口が開きその光を目で追った。
「ふふふ。賢者殿は『灯り』の魔術だが見るのは初めてか」
そう言つつ彼女は部屋の隅に置かれていた燭台に近づいては蝋燭の炎を吹き消していく。そして全て消えれば暗闇となるはずが、『灯り』の魔術とやらで部屋は煌々と照らされていた。
夢ではないならVRがもっとも可能性があるが、どちらでもないと感じていた。
彼女がドアを開けると短い通路、奥に上り階段が見えた。
さあと促され後に続く。通路は石壁、階段も石造りで西洋の城を思わせる。手の込んだ仕掛けだなとはもう思わない。
多分これは現実だ。
そして俺は絶望する。彼女の教育係だった爺から聞いた話によると、平民の一月の稼ぎは青銅貨約二〇枚。年間で二四〇枚、青銅貨一〇〇枚は銀貨一枚なので銀貨三枚にも満たない。加えて、魔石は魔力の補充だけで召喚魔法の触媒は別にあり使い捨て。
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借方
異世界召喚(田中士郎)
貸方
魔法の触媒代(金貨二五○○枚)
魔石代(金貨一九九九枚 銀貨四五枚)
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「金貨約四五〇〇枚……
平民の一八七五〇〇年分の収入、それを俺一人のために?」
「そうだ。我が国はいま滅亡の淵にある。部族はバラバラ、食糧は十分に行き渡らず貧困に喘いでいる。そなたのような〈異世界の賢者〉の知恵がなければ、明日をも知れぬのだ」
俺が『金貨四五〇〇枚』を上回る利益を生み出さない限り、この国は債務超過で詰む。




