総帥閣下の煩悶。(4)
※引き続きレオンハルト視点です。
好き勝手な事を言っているクリストフ様達を横目で睨んでいると、薬師の腕の中から、仔猫のような声が上がった。
「むぅ……」
むずがるように手足を動かす我が子の小さな眉間に、きゅっと皺が寄る。
不機嫌そうな顔の赤子を前に、大人達の顔は一瞬でデロリと溶けた。
「あら、ご機嫌斜めかしら?」
蕩けるような笑みを浮かべたヴォルフは、小さな指先をあやすように突く。
しかし機嫌は直らず、止めろと言わんばかりにヴォルフからプイと顔を逸らした。
「はぁ……っ、かわ……!」
「この世のありとあらゆる可愛さを集めたような存在ですね。流石、マリー様の御子です」
どんな態度でも、どんな表情でも我が子は可愛い。だが、そう感じているのは自分だけではないらしい。
ミハイルは語彙力を失くすほどに虜になり、リリーは頷き、真顔で赤子を褒め称えた。
「んあ」
「良かったわね、ご指名よ」
そっぽを向いていた赤子は、オレをじっと見つめて手を伸ばす。
戸惑いながらも、その小さな手に触れると、ぎゅっと握りこまれた。
「!」
指先が温かい。
そして、存外、力強い。遠慮のない力加減は痛いくらいだ。
「パパが分かるのかしら? 賢い子だわ」
「……握力が強い」
「赤ちゃんってそういうものよ」
「結構、痛いな」
「アンタに似たのかもしれないわね。……って、ちょっと。しっかりしなさいな、パパ」
自分の指を握る我が子の手を見つめながら、またボロボロと大粒の涙を零しているオレに気付き、ヴォルフは呆れ顔で口角を上げる。
片手で乱暴に顔を拭うが、次から次へと溢れてくるので、あまり意味はなかった。
「止め方が分からないんだ」
悔しさや、哀しみから生じる涙なら、堪え方を知っている。
けれど、こういう時の涙はどう止めたらいいか分からない。
人は心からの幸せを感じた時も泣けるのだと知ったのは、大人になってから。十五も年下なのに、溢れんばかりの愛情で包み込んでくれる妻と出会えなければ、きっと今でも知らないままだった。
彼女は奇跡のように、毎年、毎日、毎秒。オレの幸福の上限値を更新してくれる。
「泣き虫なパパでちゅねー?」
「息子に変な事を教えないでくれ……」
ヴォルフはからかうように、殊更明るい声で赤子に語り掛ける。
ばつの悪さを誤魔化すように、小さな声で抗議した。
「涙の止め方は、アンタの奥さんに教えてもらいなさいな。そろそろ、中も落ち着いてきたんじゃない?」
「そうですね。奥様を労ってさしあげてくださいな」
ヴォルフの言葉を肯定するように、薬師は頷いた。
「それに、幸せのお裾分けは十分もらったわ。この子も休ませてあげないと」
「えっ」
瞬きもせず、じっと赤子を見つめていたクリストフ様が、残念そうな声を洩らす。
「もう、か……? いや、そうか。そうだな、いつまでも囲まれていては、落ち着かないよな……」
明らかに不満がある声と表情で、クリストフ様は呟く。離れがたいけれど、子供の為と言われたら引き下がるしかない、そんな様子だった。
「クリストフ様、長々とお引止めしてしまい、申し訳ございません。到着時刻が遅くなるでしょうから、王都までの護衛として、我が家の騎士もお連れください」
「えっ」
「クラウス、任せる」
「かしこまりました」
クリストフ様の頭からは、『帰還』という言葉が消えていたらしい。甥っ子との対面が終わり、しょんぼりと萎れている彼に追い打ちをかけるようで申し訳ないが、王太子殿下の時間をこれ以上奪う訳にはいかない。
現に、離れた場所で控えていた侍従や護衛は、オレの言葉を聞いて安堵しているように見えた。
未練がましく、こちらを何度も振り返るクリストフ様の背を見送ってから、オレはローゼの待つ寝室へと入った。
入れ替わるように、侍女達は退出していく。
おそらく、オレに気を遣ってくれたのだろう。
寝台に横たわるローゼの顔には、疲れが見てとれた。
ぐったりとクッションに身を預けた彼女は、近付いたオレの気配に気付いたのか、薄く目を開ける。
顔色は悪いのに、彼女は得意満面の笑みを浮かべた。
「ね? 私の言った通り、安産だったでしょ?」
どうだと言わんばかりの誇らしげな顔を見て、オレも笑う。たぶんローゼとは全く違う、情けない笑い方になってしまっただろうけれど。
「流石、オレのローゼだ」
手を伸ばし、ローゼの髪をそっと撫でる。
すると彼女は、まるで日向で微睡む猫の如く、気持ち良さそうに目を細めた。
「私達の息子はもう見た?」
「うん、凄く可愛かった。ローゼに似たからかな」
「まだ顔立ちはハッキリしていないから、私似かは分からないわよ? 鼻筋がすっと通っているように見えたし、もしかしたらレオンのような美青年に育つかも」
「どちらに似ても嬉しいよ」
「そうね。健康に育ってくれたら、それだけで……」
オレを見上げたローゼの言葉が途切れる。
疲労と眠気で今にも閉じそうだった青い目が、丸くなった。パチパチと数度瞬いてから、ゆっくりと弧を描く。
仕方のない人ね、と語り掛けるような慈愛に満ちた目だった。
「そんなに泣いているの、初めて見たわ」
柔らかな手が、涙で濡れたオレの頬に触れる。労わるような、慰めるような手の温もりに、オレは頬を擦り寄せた。
「止めたくても、止まらないんだ」
「念の為聞くけれど、辛い事があった訳ではない?」
「ないよ。ただただ、嬉しいだけだ」
「そう。……なら、いいんじゃないかな?」
「え?」
「たまには思いっきり泣けばいいわ。ね?」
ほら、と言ってローゼは両腕を広げる。
飛び込んで来いと言いたいのだろう。庇護欲を掻き立てる可憐な外見に反し、誰よりも格好良い妻にオレは破顔する。
体重を掛けないよう気を付けながら、細い体をそっと抱き締めた。
「ありがとう、ローゼ」
子供を産んでくれて、ありがとう。
無事でいてくれて、ありがとう。
オレと出会ってくれて、愛してくれて、ありがとう。
「愛している」
色んな気持ちをひっくるめて、心からの気持ちを告げた。




