総帥閣下の煩悶。(3)
※引き続き旦那さんことレオンハルト視点です。
こんなにも全力で走ったのは、久しぶりだ。
近衛騎士団を退団してからも、体力作りとして日課の鍛錬は欠かさず行っていたが、それでも現役時代よりは体力が落ちたらしい。
息切れはしていないものの、心臓が煩いくらいに脈打っている。
だが、そんな鼓動に負けないくらい、大きな音がだんだんと近付いてきた。
力強く、健やかな泣き声。
屋敷中に響かせるかの如く、大きな、しかし全く不快さを感じさせない愛おしい福音。
「うわっ!?」
「ちょっと、何!?」
「子供は!?」
寝室の前には、ヴォルフとミハイルがいた。
凄まじい勢いで駆け寄ってきたオレに驚き、のけぞった彼等の様子に気を配る余裕もなく、詰め寄る。
「生まれたみたいよ。おめでとう、パパ」
「……っ」
呆れ交じりのヴォルフの言葉に、オレはぐっと歯を食いしばる。
そうでもしないと、情けない嗚咽が洩れてしまいそうだった。
居ても立っても居られず、ドアノブに手を掛けようとすると、慌てて止められる。
「待ってください、まだ入れませんから!」
「そうよ! コロンと産んで終わりじゃないのよ!?」
ヴォルフとミハイルはオレの服を引っ張った。
気持ちは急いているが、医療関係者二人に叱られては納得せざるを得ない。しょんぼりと廊下に突っ立っていると、居室に置き去りにしてしまったクリストフ様が、クラウスを伴って現れた。
「お前、速すぎないか?」
クリストフ様は肩で息をしながら、オレを睨む。
「逸る気持ちが止められませんでした」
「いや、そういう心理的な話でなく、物理的に足がだ。追いかけようと部屋の外に出たら、もうお前の姿が見えなくて驚いたぞ」
「確かに速かったですね……」
「ええ。獅子っていうより暴れ牛みたいだったわ」
真顔で呆れるクリストフ様の言葉にミハイルとヴォルフは頷きながら、コソコソと会話している。
声を潜めても、悪口は聞こえているからな?
「まぁ、いい。それよりも子供は?」
「まだ私も会えていません」
「そうか……」
クリストフ様も大人しく、オレの隣に並ぶ。
図体のでかい男が五人、壁に貼り付くように立つ光景は異様に見えるらしい。
桶や布を細腕に抱えながら忙しなく出入りする侍女達は、オレ達の存在に気付くと、皆一様にギョッと目を見開いている。
その後、気まずそうに頭を下げて、逃げるように速足で去っていった。
忙しい中、気を遣わせて誠に申し訳ないと思う。
「そういえば、ヴォルフ達はいつ来たんだ?」
「三、四十分くらい前かしら? 万が一の為にミハイルとリリーを連れてきたんだけど、必要なかったみたいね。まさか、こんなにも早いとは思わなかったわ」
「初産では半日かかるのも珍しくないと聞いたから、オレも驚いている」
「そうね。早くても六時間くらいかしら。今回は、四~五時間くらい?」
「いや、三時間半くらいだな」
「はっや。アンタ達の子供、親孝行ね」
「本当に」
ヴォルフの言葉に大きく頷く。
そんなとりとめのない会話をしていると、中からリリーが現れた。どうやら、中で手伝ってくれていたらしい。
キラキラと目を輝かせ、頬を紅潮させた彼女と共に出てきた薬師の腕には、大切そうに白い塊が抱かれている。
「!」
「ほら、まずアンタからでしょ」
思わず固まってしまったオレの背を、ヴォルフが押す。
よろめくように一歩を踏み出し、茫然としながらも覗き込んだ。
真っ白なおくるみに包まれた愛おしい存在。
真っ赤な肌に、小さな鼻、小さな口。濡れて肌に貼り付いた髪は、ローゼと同じ、柔らかそうな白みがかった金色。
ゆっくりした瞬きの合間に見えた目も、青。
「元気な男の子ですよ」
「……っ」
今度こそ、涙を止められなかった。
堰を切ったようにボロボロと流れ落ちる涙は、拭っても、拭っても止まらない。
「あら、あら」
微笑ましいと言わんばかりの薬師の視線に羞恥を覚えつつも、取り繕う事が出来ない。人前で泣くのなんて久しぶりで、涙の止め方も分からなかった。
恐る恐る我が子の頬に手を伸ばす。
指先がちょんと触れると、あまりにも柔らかくて、驚いて手を引っ込めた。オレの無骨な手では、壊してしまいそうで怖い。
一方、息子は全く動じていない。
眠そうに目を瞬かせながら、もごもごと口を動かしている。怖気づいた父親とは大違いだ。
「はじめまして、父さんだよ」
涙でグシャグシャになった顔で笑いかけると、妻譲りの空色の瞳がオレを映した。
ああ、可愛い。愛しい。愛おしい。
それしか思いつかない己の乏しい語彙がもどかしい。妻のように日ごろから本を読んでいれば、この胸から溢れんばかりの気持ちに相応しい言葉も見つけられただろうに。
「小っちゃい……」
「あら、可愛い! 流石、美形夫婦の子だわ」
オレの横から覗いたミハイルとヴォルフが歓声を上げる。
「なんて愛らしいんだ。天使か?」
「いえ。女神が生んだのですから、神の子でしょう」
「それだ」
ミハイル達とは反対隣からは、クリストフ様とクラウスのズレた会話が聞こえてきた。
それだ、ではない。
神の子ではなく、オレ達の子だ。




