転生公爵の立腹。
兄様の滞在期間は、あっという間に終わってしまった。
多忙な王太子を長期間、留めておくのは無理だとしても、一週間……いや、せめて三日くらい、泊まっていけばいいのに。
たった一泊で帰ってしまうなんて、あまりにも忙しない。
見送りの時、そんな不満を隠しもしないでいると、兄様は困ったように眉を下げ、口角を上げた。
「慌ただしくて、すまないな」
「……もっと、ゆっくりしていけばいいのに」
「許されるなら、私もそうしたい」
大きな手が、幼子にするみたいに頭を撫でる。
もうすぐお母さんになるというのに、恥ずかしい。
けれど久しぶりに会えた兄の前では、虚勢を張れなかった。
寂しいなと、幼い頃の私が顔を出す。
「だが、ここで無理を通せば、皆の信用を失う。その結果、数年はこちらに来られなくなってしまうからな。それは御免だ」
死活問題だからと、兄様は付け足す。
その顔がやけに真剣で、私は笑ってしまった。
「プレリエを気に入っていただけて嬉しいです」
「気に入ったなんて言葉では収まらない。なんだったら、永住したいくらいだ」
冗談とは思えぬ声で、兄様は言う。
「今回は通過するだけだった街中も、次はゆっくり見て回りたい。プレリエ領には、珍しいものが沢山あるようだしな。フランメのワインも美味かった」
「お口に合って良かった」
昨夜は兄様とレオンハルト様で晩酌をすると聞いたので、最近になって取り扱いを始めたフランメ産のワインを出してみた。
下戸の私にお酒の良し悪しは分からないので、レオンハルト様やワイン好きの料理人に兄様の食の好みを伝えて選んでもらった銘柄だ。
「ほぼお一人でボトル一本、空けてらっしゃいましたからね」
隣のレオンハルト様が零す。
独り言めいた言葉は、呆れとからかいが混ざっていた。
「お前もかなり飲んでいただろうが」
「クリストフ様には負けます」
レオンハルト様と兄様のやりとりには、以前にはなかった気安さがあった。
近衛騎士団長と王太子の関係であった頃も、信頼だけでなく親愛もあったように思う。けれど二人共、職務の域を超えてはいなかった。
互いの立場を考えたら、それは仕方のない事だと理解している。
だからこそ、今、仲良くじゃれ合っている兄と夫の姿がとても微笑ましく、愛おしいものに見えた。
昨夜も随分楽しかったみたいで、遅くまで飲んでいたらしい。
お腹の重みで夜に起きたのだけれど、二時過ぎくらいの時点で隣にレオンハルト様はいなかったし。
「それに私は飲みすぎないよう、ちゃんと調整しておりましたよ」
「私だって自分の限界くらい理解している。現にもう、全く酔いは残っていないしな」
そういえば、二人共、酒臭くないな。
寝不足もあるだろうに、顔にも殆ど出ていない。
私が飲んだら、翌朝はむくみで顔がパンパンになりそうな気がする。二人の肝臓はよほど高性能らしい。
そう考えると、父様の時は何だったんだろう。
二人でボトルを空けても、ケロリとしているレオンハルト様が、二日酔いで沈んでいた事を考えると、相当な量だったのではなかろうか。
……深く考えると怖いので、止めておこう。
父様は本当に人類だろうかという疑問を、頭を振って払う。
唐突な奇行に驚き、二人の視線が私に集まる。それを笑顔で誤魔化した。
「お土産としてフランメ産ワインのセットを馬車に積んでありますので、良かったらヨハンと飲み比べしてみてください。もちろん、ご希望のおかきもございますので、お供にどうぞ」
「ありがとう。お陰で、ヨハンの機嫌を取れるな」
大量の仕事と共に置いて行かれ、拗ねているヨハンの姿が見えるようだ。いや、ヨハンは拗ねるというか、笑顔で怒っている気がする。
ワインとおかきで、怒りが収まるといいけど。
「……さて。名残惜しいが、そろそろ行くか」
兄様は言葉通り、惜しむような顔で呟く。
そんな顔をされたら、私も寂しさがこみ上げてきてしまいそうだ。
腕を広げた兄様の懐に、そっと納まる。
優しく抱きしめられ、私も背中に手を回した。
「また来てくださいね」
「もちろんだ」
「私からも会いに行きますから。レオンとこの子と三人で」
「楽しみだな。プレゼントを沢山用意して、待っている」
「それは程々にしてください。皆でこぞって甘やかしてしまうと、我儘な子に育ってしまいますよ」
「う……、わ、かった。厳選する」
本当に分かったのか怪しい。
兄様らしくもない、歯切れの悪い返事に苦笑した。
寂しさが少しだけ和らいだところで、身を離そうとする。
「……あ。そういえば」
抱擁を解きかけた兄様が、何かを思い出したような声を洩らした。
「言いそびれていた事があった」
「?」
兄様は私の耳元に、潜めた声を落とす。
何だろうと首を傾げた私は、次の瞬間、予想外の爆弾が放り込まれた。
「まだ確定ではないんだが、結婚するかもしれない」
「…………!?」
すぐには理解出来なかった。
兄様の言葉を噛み砕き、ゆっくり脳が吸収する。
けっこん、ケッコン、血痕? いや結婚……結婚!?
数秒遅れで理解した私は固まった。
驚愕の表情を貼り付けたまま動きを止めた私に、兄様は今更になって焦り出す。
「え、あ、……やっぱり不味かったか……。忘れていた訳ではないんだが、その、まだ相手が決定した訳でもないし」
兄様は小さな声でゴニョゴニョと、独り言めいた言い訳を零している。
結婚、結婚するって言った?
昨日の昼から何時間も一緒にいたのに、今になって? しかも、どうでもいいような雑談だって結構していたよ?
結婚という人生に於いての大きなイベントの報告を、帰り際の、今になって?
しかも、忘れていた訳ではないと言いつつ、たぶん忘れかけてはいたよね? 下手したら言わないまま帰っていたのでは?
「隣国の情勢も関係していて、その、……な?」
『な?』ではない。
その一言で何を察しろと言うのか。
たぶんグルント王国のゴタゴタが関連しているんだろうが。
王子を擁護する派閥が王女を邪魔に思って根回ししたのか、それとも、王位継承に伴う争いを回避したい王女自身の要望なのかは分からないが、兄様との縁談の話が出ているのかもしれない。
けれど、我が国としては巻き添えを食いたくないし、旨味も少ないのだろう。
だから、正式な申し入れがある前に、自国の貴族のご令嬢と婚約してしまえ……みたいな。
そこまで考えて、思考を放棄した。
兄様が言葉にしなかった部分を、察してなるものか。
「……ローゼ?」
窺うような目を向けてくる兄様を、私は睨んだ。
だって、大好きな兄の結婚なんて、私にとっても一大事だ。
本来なら、兄を取られてしまう寂しさと義姉が出来る喜びとに、一喜一憂していただろうに。情緒のない兄様のせいで、全部吹き飛んでしまった。
「兄様の薄情者」
「!?」
兄様は愕然とした。
次いでオロオロと狼狽えているが、この位の仕返しは許されるだろう。




