転生王女の挨拶。(2)
※引き続き加糖気味です。胸焼け注意。
伯爵領は遠かった。
距離的には王都からそれほど離れてはいないが、私にはかなり長い時間だと感じた。
隙あらば甘やかそうとしてくるレオンハルト様の猛攻に、私が太刀打ち出来るはずもない。ひたすら押されて、たじたじとなっている。
なんかもう、全身がドロドロに溶けそう。
到着時には既に、私は私の形をしてなかったんじゃなかろうか。
ふわふわして足元が覚束ないような情けない状態で、ご両親にお会いするとは不覚。しっかりした女のところに婿をやったと思ってもらえるよう、頑張ろうと目論んでいたのに……!
レオンハルト様に支えてもらっている現状では、どう考えても無理。
腰に回ったレオンハルト様の腕を、こっそり叩く。離して、という意図を込めて見上げるが、なんと笑顔でスルーされた。
空気読みスキルが高い彼には、絶対に伝わっている筈なのに。
「足元に気を付けてくださいね」
「……はい」
納得出来なくて軽く睨みながらも頷くと、彼はふっと息を吐くように笑った。くそう、本当に顔が良いな。
私が敗北感を覚えるのとほぼ同時、周囲が僅かに騒めいた気がした。
あからさまに声を上げるのではなく、息を呑むような気配。それも複数。
なんだろうと顔を上げた私は、ポカンとした顔のご両親と目が合った。
そして、私達が馬車を降りる前は、凛々しい顔付きで整然と並んでいた騎士の皆さんや、使用人の方々までもが、一瞬呆気にとられた表情で固まったのを私は見逃さなかった。プロフェッショナルな皆さんは、すぐに何事もなかったかのようにピシッとしていたけれど。
つまりそんなプロ根性のある方々でも二度見する、あり得ない姿だって事だよね。
恋愛脳こじらせたヤベェ王女が来たとか思われていたら、どうしよう。つらい。
「ようこそ。本日は遠路はるばるご来訪いただき、ありがとうございます」
動揺を隠すような咳払いの後、そう言って笑顔を向けてくれたのは、レオンハルト様のお父様で伯爵家当主でもある、グレゴール・フォン・オルセイン様。
白髪交じりの黒髪に黒い瞳。顔立ちはレオンハルト様との血の繋がりを感じるが、お父様の方が野性味が強い。強面にも見える顔付きを、人好きのする笑顔がマイルドな印象に変えている。大柄で逞しい体躯は現役の騎士と比べても遜色なく、五十路に差し掛かったとは思えない。
「長旅でお疲れでしょう。どうぞ中へ」
隣に並び立つのは奥様の、ガブリエラ様。
結い上げた栗色の髪はふわふわと柔らかそうで、眦の下がった大きな瞳は綺麗な琥珀色。ご当主の三歳下だと聞いているので、四十代後半な筈だが、とてもそうは見えない。少女めいた可愛らしい顔立ちと、小柄で細身な体つきは庇護欲を掻き立て、レオンハルト様のお姉様……ううん、下手したら妹さんだと言われても信じてしまうかも。
そしてお二人から少し下がった場所には、レオンハルト様の上の弟さんである、マルティンさん。
柔和な顔立ちと明るい色彩はお母様似で、お父様やレオンハルト様、それから下の弟さんとは系統が違う。
どちらかと言うと武官よりは文官風の容姿だが、体つきは細身ながら、筋肉はしっかり付いていた。
その彼の隣は、下の弟さんであるケヴィンさん。
前述の通り、髪色と瞳の色、それから顔立ちはお父様系統。大柄で長身、でも不思議と子犬を連想させる可愛らしい感じの方だ。
「……?」
ご家族を順番に見ていた私は、ふと感じた違和感に首を傾げる。
そしてすぐにその正体に気付いた。お母様もマルティンさんも、ぽやんとした空気の癒し系だと記憶していたんだが、今日は少し表情が硬い。
何故だか気遣うような眼差しが、時折私に向けられる。
私が気に食わないとか、結婚に反対しているような感じではないと思うんだけど……なんだろう。気になる。
通された部屋で身支度を整えていると、お母様からお茶のお誘いがあった。
優しい方なので緊張する必要はないんだけど、さっきのお顔が少し気になる。
隣の部屋のレオンハルト様と合流すると、彼も同席すると言ってくれた。
しかし、弟さん……マルティンさんから別の申し入れがあったのは、その直後だ。
「手合わせ?」
レオンハルト様は、微かに眉を顰める。
ちょっと不機嫌そうな表情は、顔立ちが整っているからこそ迫力がある。しかしマルティンさんは動じなかった。
「ええ。久しぶりにお帰りになったのですから、ケヴィンや騎士団の皆に稽古をつけていただけませんか」
にっこりと、お手本のような笑顔だが、引こうとする気配が一切ない。強い。
「なにも今日でなくてもいいだろう。姫君をお一人にする訳には……」
「レオン様」
断ろうとするレオンハルト様の言葉を、私はやんわり遮る。
「私なら大丈夫ですから」
「オレが貴方の傍を離れたくないんです」
おおう。
真面目な顔で言い切られ、キュンときた。
トキメキ過ぎて不整脈を起こしそうな心臓をそっと押さえながら、レオンハルト様を窺うように見上げる。
「レオンハルト様の雄姿を、私も見たいです」
「……危ないですから」
レオンハルト様は、一瞬言葉に詰まる。少し迷う素振りを見せた彼に、マルティンさんが「二階のテラスからなら問題ないのでは?」と助け船を出してくれる。
「まぁ、それなら」
じっと期待の眼差しを向けていると、根負けしたかのように頷いた。
「ではその旨、母上に伝えて参りますね。お茶の準備もそちらにさせますので」
そう言ってマルティンさんが退室すると、レオンハルト様は私に向き直る。
自然な動作で正面から抱き寄せられた。肩口で彼は、大きな溜息を吐き出す。
「れ、レオンさま……?」
「せっかく丸一日、貴方の傍にいられると思ったのに」
拗ねたように呟くレオンハルト様に、さっきの比でないレベルでトキメいた。キュンじゃなくてギュンだった。
無意味な言葉を喚き散らして床の上を転がりまわりたい、謎の衝動と戦っている。
だって、かわ、かわいい!! あまりにも可愛い!!
普段は余裕のある大人の男性なのに、こんな時ばっかり拗ねた口調で甘えてくるとか狡い。狡過ぎる。すき。
「王都に戻ったら、また別々に過ごす日々が始まってしまう。だから今日は、貴方に鬱陶しいと呆れられても、ずっと引っ付いているつもりだった」
ああぁあああ、かわいいいいい……!
うちの(未来の)旦那様、可愛いが過ぎる……!!
窓を全開にして、そこから愛を叫びたい。
ご家族と領民の皆様にヤベエやつだと思われたくないからどうにか我慢してるけど、ちょっと気を抜いたら窓に駆け寄りそうだ。
「私も毎日傍にいたいんですから、鬱陶しいなんて思う訳ないです」
肩口に押し付けられていた頭に手を伸ばし、髪に指を差し込む。
よしよしと撫でると、レオンハルト様は動きを止めた。ほんの少しの間を空けて、控え目に掌に頭を押し付けられる。
もっと撫でろって!?
猫ちゃんですか、可愛いなもう!
摩擦熱で発火しそうなくらい撫で回したいのを、唇をきゅっと噛む事で耐える。
その代わりに慎重な手付きで、繰り返し撫でた。
「でも、恰好良いお姿も見たいんです。……私の我儘、聞いてくださいますか?」
「……その言い方は狡い」
ちらりとこちらを向いたレオンハルト様の目元は、赤く染まっている。
可愛いなぁ、という気持ちを隠しもせずに撫でていると、彼は少し複雑そうな顔をした。
何かを考えているように数秒視線が彷徨い、再度私の方を向く。
瞬きもせずにじっと見つめられ、思わずたじろいだ。すると口角を吊り上げたレオンハルト様は、私の耳元に唇を寄せる。
「なら、見ていて。惚れ直してくださいね?」
「っ!」
ちゅっとダイレクトに響くリップ音は、たぶん耳朶に口付けられたのだろう。衝撃を受けて、意味をなさない奇声が洩れた。
耳まで赤くなった私を見て、レオンハルト様は満足そうな笑みを浮かべる。
か、かわいくない……!
けど恰好良い……!
翻弄されているのは悔しいけれど、好きだから結局は許してしまう。
手合わせを見るまでもなく、毎秒惚れ直しているなんて知られたら、またからかわれるので言わないけど。




