伯爵夫人の憂慮。
※レオンハルトのお母様、ガブリエラ・フォン・オルセイン視点となります。
私がオルセイン伯爵家に嫁いだのは、十六の春。
翌年に生まれた長男レオンハルトは、親の欲目を抜きにしても出来た子だった。
聡明で快活、何をやらせても器用に熟す。特に剣術の上達は目覚ましく、夫もお義父様も、指導に熱が入っていた。
本人も慢心する事はなく、地道に努力を重ね続け、成人を迎える頃には剣術に於いて敵なしとなる。
性格は穏やかで面倒見が良く、次男と三男もレオンハルトに懐いている。友人も多く、気が付けばいつも輪の中心で笑っていた。
女の子にも人気が高いようだったので、親の方で婚約者を決める事はしなかった。
幸いオルセイン伯爵家は裕福で、家の都合で結婚させる必要性は特にない。貴族である以上、ある程度の制約はあるが、なるべく息子達には愛する人と結婚して欲しいと願っていた。
年頃になると、お付き合いをしている女性も出来たようだ。しかし、結婚の報告もすぐに聞けるだろうという私達の予想は外れ、何年経っても身を固める様子がない。
痺れを切らした夫が婚約者を決めてきた時、私は少しだけ不安になった。
相手のお嬢さんに不満があるのではない。慎ましく美しい方で、性格は温厚。それにどうやら、レオンハルトの事を好いてくれているようだ。
恋仲と呼ぶには距離があるけれど、二人は良い関係を築けているように見えた。だからこの不安は私の杞憂。もしくは息子を取られたくないという、母の身勝手なのだと自分に言い聞かせた。
けれど、嫌な予感ほど当たるもの。
二人の間がぎこちなくなり、程なくして婚約は解消された。
レオンハルトは自分に非があるのだと主張はしても、詳しい理由までは話してくれない。お相手の方も、同じ。己を責め、それ以上の理由は言わなかった。
若い二人の心に大きな傷を作ってしまった事を、夫も悔いている。
レオンハルトに縁談を持ち込む事は止め、私達はそっと見守る事にした。
その後、レオンハルトは恋人を作る様子もなく仕事に打ち込んでいる。
花形である近衛騎士団に在籍し、女性にも人気だという話は領地にまで届いても、浮いた噂は聞こえてこない。
とある高貴な御方に見初められたなんて信憑性に欠ける噂が流れても、相変わらず仕事一筋なようで、ついには騎士団の団長という地位まで上り詰めた。
『自分は結婚に向いていないと、アイツが零した』
レオンハルトが久しぶりに帰ってきた日の翌晩。夫がそう言った。
婚約解消となってから私達にも少し距離を取っていたのに、昨日は遅くまで夫とワインを飲みながら話をしていたようだ。
次男であるマルティンの婚約が決まったと聞いて、たぶん安心したのだろう。
ぽろりと零したレオンハルトの弱音に、夫は『そうか』と頷くだけに留めたらしい。悩み、傷付いている息子に、掛ける言葉が見つからなかったと夫は項垂れた。
『愛情が欠落していると言っていたが、そうではない。おそらく、愛しいと思える相手をまだ見つけられていないだけだ。……確証なんてないから、言えなかったがな』
オルセイン家の男性は、基本、愛情深い。
これと決めた相手以外に余所見はせず、深く愛情を注ぐ。
夫の大叔父に当たる方は若くして婚約者に先立たれ、生涯独身を貫いたと聞く。数代前のご当主の兄君もずっと独身を通していたが、六十手前で愛する方と出会い、翌年に結婚したそうだ。
どの方も、替えの利かないただ一人を求めている。
レオンハルトもおそらく同じ。
けれど私も、下手な慰めは言えなかった。
だって、その方と出会う保証なんて何処にもない。一生巡り合えない可能性もある。
希望を見せられた後の絶望は、より深い。
それくらいなら、今のままでいいのではと私は思い始めた。
我が家には息子はあと二人いるし、マルティンは婚約者と仲睦まじい。ケヴィンは夫に付いて、領地経営を学んでくれている。
長男だからと、無理に結婚させる必要はない。
私は息子達が幸せであってくれたら、それだけで十分。
そう思っていたのだけれど、人生はどう転がるか分からない。
「ガブリエラ様、お招きありがとうございます」
緊張した面持ちで微笑むのは、長男レオンハルトの婚約者。
ネーベル王国第一王女、ローゼマリー・フォン・ヴェルファルト殿下。
「突然お呼びしてしまって、ごめんなさい。驚いたでしょう?」
「いえ、私もガブリエラ様とお話ししたかったので」
少し恥ずかしそうにはにかむ姿は、同性の私でも見惚れてしまう程に美しい。
この国で最も尊い女性のお一人でありながら、驕った部分のない稀有な方。
とても聡明な方で、華々しい功績をいくつも残していると聞く。王妃陛下に似た華やかな美貌は一見近寄りがたく見せるが、ご本人はとても気さく。春の日差しを紡いだプラチナブロンドと蒼天の瞳に似合いの、陽だまりのように温かな女性だ。
まるで奇跡を集めて人の形を作ったようなこの方が、息子のお嫁さん。
正直に言うのなら、理解が追い付かなかった。喜びと不安が拮抗している。
「レオンハルトは、二人きりの時間を邪魔されたと怒っているでしょうね」
私の言葉を聞いて、お顔が赤く染まる。
おそらく、それに近い事は言われたんだろう。我が息子ながら分かりやすい。
レオンハルトがローゼマリー様を、心の底から愛しているのはすぐに分かった。
でなければ、あんな顔をするはずがない。愛しくて堪らないのだと語る目と、柔らかな表情。見た事もないくらい、幸せそうな微笑み。
ずっと探していた半身を得た、満たされた男の顔をしていた。
レオンハルトが愛しい方と出会えた事はとても喜ばしく、思わず神に感謝を捧げたくらい嬉しい。
ただ、その相手が想定外過ぎた。
咲き初めのバラのように美しく、才気溢れる年若い王女。きっとこの先、もっと美しく魅力的になる。多くの男性がこの方に焦がれ、愛を得ようと列をなすだろう。
そんな方が十五も年上のレオンハルトを、ずっと愛してくださるだろうか。
そして、たった一人だけに向けられる深く重い愛を、潰れずに受け止めきれるのか。
「あ」
物思いに耽っていた私は、小さな声に意識を引き戻される。
ローゼマリー様の視線は私の方ではなく、バルコニーの下へと向いていた。
鍛練場に丁度、レオンハルトが出てきたところだ。
上着を脱いで白いシャツとトラウザーズだけの軽装だが、長身だからか目立つ。背筋の伸びた立ち姿は凛々しく、洗練されていた。
ローゼマリー様の花弁のような唇から、ほぅ、と吐息が零れる。
熱の籠った瞳には、ただ一人、レオンハルトだけが映っている。
どうやらローゼマリー様も、レオンハルトを好いてくれているようだ。
その好意が、紳士的な騎士としての一面に抱いた淡い憧れでなければもっと嬉しい。
じっと見つめる私の視線に気付いたのか、ローゼマリー様は頬を染める。僅かに焦りを見せながらも取り繕う。
「り、立派な鍛練場ですね」
確かにオルセイン家の鍛練場は、規模も大きく設備も整っている。武人を多く輩出する家系故だろう。
けれどローゼマリー様が熱心に見つめていたのが鍛練場でない事は、誰の目にも明らかだ。給仕をしていた侍女や近くに立つ護衛が、一瞬動揺していたのがそれを証明している。
絶世の美女の口から出るには、あまりに拙い言い訳。
その落差に胸がときめいたのは、きっと私だけではない。
息子のお嫁さんが、可愛らし過ぎる。
「ありがとうございます。オルセイン家は武芸に長けた人間が多いので、広めに設計されているのですよ」
平静を保って微笑むと、安堵したように笑う。
けれどすぐに視線はレオンハルトに吸い寄せられる。
剣で打ち合う姿に見惚れているローゼマリー様を見ていると、私の不安も少しずつ解けていく気がした。
凛々しい顔付きで騎士達を指導していたレオンハルトは、ふと視線を上げる。ローゼマリー様をすぐに見つけ、嬉しそうに笑う。
ひらりと手を振ると、ローゼマリー様も満面の笑みで手を振り返した。
心配するのも野暮なのではと思うくらい、お互いしか見えていない。
いいえ、人の心は移ろうもの。熱量が高ければ高い程、恋の寿命は短い事が多い。
末永く傍にいていただく為には、レオンハルトの長所だけでなく短所も、早めに知っていただいた方がいい。
けれど人に甘えるのが下手なレオンハルトが、愛しい方の前で情けない顔を見せられるだろうか。
そんな心配をしながら見守る先、鍛練場では、レオンハルトの視線を辿ってローゼマリー様を見つけた騎士達が騒めいている。
美しい方の視界に入っていると知り、浮き立つのは仕方のない事。健全な青少年らしい反応は微笑ましくある。
しかしどうやらレオンハルトは、そう思わないらしい。
遠目にも、機嫌が下降した事が見て取れた。
なんて心が狭いの。
三十路になってその狭量さは、母として心配になる。寧ろ、十年前の方が落ち着いていたような。
さっきよりも厳しくなった指導を眺めながら、私は溜息を吐いた。
「……心の狭い息子で、ごめんなさい」
「えっ」
ローゼマリー様は目を丸くする。
「もし何か困らされているのなら、遠慮なく仰ってください。私や夫から言って聞かせますので……」
だからどうか、見捨てないでやってほしい。
きっとこの方を失ったら、レオンハルトはもう息も出来なくなってしまうから。
「いいえ。困らされている事なんてありません」
私の懸念を知ってか知らずか、ローゼマリー様はきっぱりと否定した。
気遣いではなく、心からの言葉であったらどれだけ嬉しいか。
信じたいのに、信じるのが怖い。
そんな私の逡巡を読み取ったのか、ローゼマリー様は僅かに俯いて考える素振りを見せてから、顔を上げる。
「私がレオンハルト様を好きになったのは、十年以上前です」
決然とした顔付きで、ローゼマリー様はそう切り出す。
すぐには意味が理解出来ず、「え?」と呆気に取られた声が洩れた。
「子供の淡い初恋……だったら良かったんですが、それからずっと追いかけ続けてしまいました。困らせた回数なら、私の方が圧倒的に多い筈です」
恥ずかしいのか、形の良い耳の先が赤く染まっている。
眉を下げて、苦く微笑んだ。
「十五も年下の子供に好意を示されて、しかもその相手は王女ですから。たぶん、とても困らせたと思います。ですがレオンハルト様は子供だからと誤魔化さずに、誠実に向き合って、私の為に突き放そうとしてくれました」
振られかけたお話なのに、ローゼマリー様は柔らかく眦を緩める。
「でも、そんな優しい方を諦めるなんて無理です。まだ振らないでと食い下がって、ずるずると引き延ばして……ようやく振り向いて貰えました」
幸せそうな笑顔に、嘘は一つも見つけられない。
心からの言葉を聞いて、私は胸が詰まる。
レオンハルトの凍り付いていた心を、この方がずっと温めてくれていたのか。
諦めて一人になろうとするのを許さず、ずっとずっと、追いかけてくれた。そのお蔭で今があるのなら、私が感謝すべきは神ではなく、この方だ。
叶う見込みのない恋に、何度も泣いたはず。それに魅力的なこの方には、他に沢山、甘い言葉を囁いてくれた方がいたでしょう。
それなのに諦めないでいてくれて、ありがとう。目移りせず、追いかけてくれてありがとう。
息子を愛してくれて、本当にありがとう。
「……ローゼマリー様」
「はい」
「抱き締めても良いでしょうか?」
「はい、……えっ?」
一度頷いてから遅れて理解したのか、戸惑っているローゼマリー様の傍らに立つ。細い体を、そっと腕の中に閉じ込める。王女殿下になんてご無礼をと思いつつも、気持ちが抑えきれなかった。
「レオンハルトを、どうぞ宜しくお願い致します」
万感の思いを込めて告げると、小さな肩がピクリと跳ねる。
顔を上げたローゼマリー様は、真剣な顔で頷いた。
「はい。私の全てで以て、必ず幸せにしてみせます」
可愛らしい容姿で、なんて格好良い事を言うのだろう。
うちのお嫁さんは、息子よりも男前かもしれない。




