第8話:燐光の解析者と禁忌の不協和音 後編:『放課後の追走者』
授業が終わった後、ハーベルはフォスファの言葉の重みを噛み締めていた。
(俺の力は『反作用』……。周囲が強ければ強いほど、それを弾き飛ばす力が強まるのか。まるで、触れるものすべてを腐食させる強酸のようなものか……)
その思考を、鋭い風切り音が遮った。
「待てよ、法則ゼロ。……いや、『反作用のテロリスト』だったか?」
中庭の噴水前。
レオンが、今度は一人で立っていた。
レオンの周囲では、ヘリウムの法則によって、落ち葉や砂塵が重力から解き放たれ、優雅な円を描いて浮遊している。
「レオン……また君か、しつこいな。僕に何か用?」
ハーベルは足を止めた。
(やれやれ。エリート様は、自分の美学を汚されたことがよほど我慢ならないらしい。俺としては、さっさと帰ってフォスファの解析データを検討したいんだがな……)
「フォスファ先生はああ言ったが、俺は認めん。法則とは、高められた意志が奏でる旋律だ。お前の不気味なノイズが、俺のヘリウムの純度を汚した。……その報いを受けてもらう!」
レオンが手をかざすと、ハーベルの周囲の空気が一気に収縮した。
シューーー、シュイン!!
「――『法則奏生』――『虚空独奏』!」
音を伝えるべき空気が、ハーベルの周囲から吸い出されていく。
音が消え、鼓膜が圧迫される。酸素が奪われ、意識が遠のく中、レオンは優雅にタクトを振るうように手を動かした。
(呼吸が……。でも、空気中のネクサスが希薄化して法則が遮断されるなら、俺にとってはむしろお誂え向きだ)
ハーベルは、真空に抗うのではなく、その「真空を維持しようとするレオンの意志」に意識を向けた。
レオンが「無」の状態を固定しようとする力が強まれば強まるほど、ハーベルの内なるアモルファスは、それを拒絶するネクサスを蓄積していく。
「――っ!?」
レオンが目を見開いた。
真空であるはずの空間に、突如として不可視の干渉波――ハーベルの放った無秩序なネクサスが火花を散らした。
ドォォォォォン!!
法則の反作用による激しい炸裂……。
真空の檻が内側から粉砕され、衝撃波がレオンを襲う。
「ぐ、あああっ!」
吹き飛ばされたレオンを、ハーベルは冷めた目で見つめていた。
(やはりヘリウムは軽すぎる……フォスファの言う通りだ。密度をいじるだけなら、こっちのエネルギー出力を上げるだけで簡単に飽和する……)
「僕の法則は、君が攻撃してくればしてくるほど、強くなっちゃうみたいなんだ。……もう、やめにしないか?」
ハーベルは努めて「弱気な僕」を演じながら手を差し伸べた。
だが、その時……。
暖かな橙色の光がレオンを包み込んだ。
「そこまでよ。レオン様、大丈夫ですか!?」
リーフィアだった。
彼女はレオンを庇うように立ち、コンジットチョーカーに手をあてて構えている。
その瞳には、今までハーベルに向けていた慈愛ではなく、恐怖と戸惑いが混じっていた。
「ハーベル君……あなた、本当は何者なの? 今の力、先生の言った通り、私たちの法則を壊すための音にしか聞こえなかったわ……」
「リーフィア、それは……」
「来ないで! ……レオン様、行きましょう。こんな不気味な音とは、共鳴する必要なんてありません」
リーフィアはレオンを抱え、冷たい一瞥をハーベルに投げると、そのまま立ち去った。
一人、中庭に残されたハーベル……。
夕闇の中、フォスファの言葉が呪いのようにリフレインする。
『君は、美しい合奏を台無しにするテロリストと同じだ』
(……不協和音か。結構じゃないか)
八雲が心の中で、不敵に笑った。
(俺が奏でるのは、救済の賛美歌じゃない。既存の法則をすべて無に帰す、究極の終止符だ……)
ハーベルは、自分の右手に刻まれた、第零のアモルファスの紋章を強く握りしめた。
その孤独な旋律が、夜の帳に溶けていった。
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