第3話 悪魔のいる天国
「今日は佐鰭田町文化ホールで、独演会だからな」
「はい」
芸能事務所のセイレーンが所属するシェアハウスの居間で、新人マネージャー、齋藤柴陽は黒いゴスロリドレスを着た女性に、事務的な態度でコピー紙で作られた資料を渡した。
女性は石原玲花といい、落語家の御侠亭婦等葉という名の真打であった。社長の石原克己の姪であり、彼を頼ってセイレーンに所属したのである。ちなみに御侠亭をやめたわけではない。落語家は一門に所属しつつ、芸能関係の事務所に所属することは珍しくないのだ。
「紫陽兄さんは普通に仕事ができるのね」
一人の地味な格好の女性がソファーに座りながら答えた。どこか嫌味風に聞こえる。今では世界的な歌姫となった烏丸りかである。ゆったりした服装をしていた。お腹の子のためである。
「そうね……。りかさんにべったりだから、私たちと関わりたくないと、思ってたわ……」
玲花がもごもごと答えた。普段の彼女は美人だがどこか陰気で陰鬱な雰囲気を持っていた。真夜中に人気のない場所で出会えば幽霊と間違えそうだ。
「失礼だな。俺はりかのためならきちんと仕事をするよ。チェンと石原さんの仕事はさっさと終わらせたいだけだ」
「はっきり言うのね」
紫陽が胸を張るとりかは呆れていた。紫陽はりかの生まれたての赤ちゃんのように面倒をよく見るが、玲花ともう一人のタレント、レベッカ・チェンはあまり構っていなかった。かといって無視しているわけではなく、定期的に仕事をよこすし、マネージャーの仕事はきちんとこなしている。やる気がなさそうに見えるが、失敗したことは一度もなかった。むしろ相手側のミスを見つけて修正するほどだ。二人に関しては小学校に上がったので手間がかからなくなった子供のような感じである。自分のことは自分でやらせるが、肝心なところは親が手助けする感じだろうか。
「ふふ、ふふふ……。愛するりかさんを寝取られて、もだえ苦しむ紫陽さん……。心に憤怒の炎を燃やし、康さんにその矛先を向けて、自分の情熱を放出する……。今度の独演会に使えるわね……」
玲花は不気味に笑っていた。まるで童話に出てくる魔女のようだ。彼女は創作BL落語を得意としていた。その迫真の語りは特定のファンが多いが、同門では毛嫌いされていた。御侠亭のトップである御侠亭六葉の娘だが、贔屓目で見ても彼女の実力は高かった。だが御侠亭は女性を題材にした落語が多く、玲花の落語はファンも多いが、敵も多かった。業界において御侠亭は自称フェミニストに嫌われていた。女の権利を主張せず、自立した女性の集団は嫌悪の対象なのだ。
なので玲花は一門を去り、叔父のいるセイレーンに所属したのである。ちなみに康はセイレーンの前のマネージャーである。今は政治家の父親を支えるために秘書になっていた。
「それはやめてくれ。俺は男に興味はない」
「なら、克己兄さんがいいの? あの人には夫の明宏さんがいるんだけど。ピュアラブのふたりに入ることは許さないわよ」
「だから男には興味はないんだよ!! ネタにするなよ!!」
紫陽は激怒した。明宏は田亀明宏といい、セイレーンのウェブデザイナーである。現在は新人2名と一緒に仕事をしていた。玲花にとって叔父と明宏は理想的なカップルだ。美男子ではないが、二人の愛を応援している。
「そういえば独演会はすでにチケットが完売したんでしょう? 落語なんて誰も聞かないと思ってたわ」
りがが言った。別に玲花を見下していない。むしろ落語は知らなかったが、彼女の落語は聞いていて面白いと思ったくらいだ。あくまで疑問を口にしただけである。
「確かに落語はあんまり有名ではないな。テレビで出演するのは有名な人だけだしな。だが今はSNSの力がある。昔と違ってコアなファンが常連になるからな」
紫陽は説明する。確かにテレビの影響力は侮れない。だが現在では娯楽が多様化している。一般人もなんでもかんでも選べるわけではない。なので自分が興味のあるコンテンツのみに特化するのは珍しくないのだ。
落語は客層やメディアの形が変わりながら、静かに裾野が広がっている状態に近い。
日本のメディアでは、ここ数年「若手イケメン落語家」「実力派若手落語家」の特集が増えていて、ランキング記事や紹介記事も継続的に出ている。若手の新作や現代ネタの落語会が満席になるケースも報告されているのだ。もちろん玲花の落語会も満席になることが多かった。
女性ファン向け雑誌やウェブマガジンが若手落語家を大きく取り上げるなど、「伝統芸能=年配男性の趣味」というイメージはだいぶ変わってきているのである。
落語専門や落語会の動画チャンネルは、数万人規模の登録者を持ち、数百万回再生される動画も出ていいる。登録者数や再生数は直近でも増加傾向が続いており、配信を入り口に落語を知る人が増えている状況なのだ。
また、オンライン配信の落語イベントも定期的に行われており、大看板と若手を組み合わせた企画が有料配信で成立している。御侠亭も同じだ。
「動画サイトで初心者向けに時そばやまんじゅうこわい、寿限無とかあるから、見ることをお勧めするわ。私は全部BL風に直しているけどね。くふふ……」
玲花は不気味に笑っている。りかも落語に興味はないが、玲花の語りは耳が離せなかった。本当にすごい芸は無知でも心が引き込まれるものだと思った。
「齋藤さんは、私を抱かないのかしら? 胸は控えめだけど、護身術で鍛えているから、それなりに抱き心地はいいと、思うけど」
「抱かないよ!! 俺は前のマネージャーと違うんだ!! タレントの体を大切にしたいんだよ!!」
「そう言ってりかさんを寝取られたんだから、しょうもないわね。見た目と違って潔癖なのね」
紫陽は烈火のごとく怒るが玲花は流していた。この辺は玲花の方に分があった。彼女は暗いがしゃべりが下手なわけではない。普段は感情を表さないだけである。りかはそんな彼女に感心していた。自分は根暗だが、玲花とは全然違うと思っている。
「でも、どうして康さんに抱かれたいと思ったのかな。あの日、なんかエッチがしたくなったんだよね」
りかは当時のことがよくわかっていなかった。そもそも彼女は性に興味があったわけではない。なのに康とふたりっきりになったときに、彼に抱いてもらいたかったのか、今でも理解できなかった。
紫陽もそれを感じていた。りかがむっつりスケベとも思っていない。そもそも紫陽が上半身裸でも無関心だったのに、なぜ出会って数日の男と関係を持ったのか不思議でならなかった。
「齋藤さんは私とベッキーの二人がいいのかしら。ダブル玲花で相手にしていいと、彼女もおっしゃってましたわ」
ベッキーはレベッカの相性だ。香港出身だが日本に帰化しており、現在は陳玲花となっている。同じ名前なので事務所ではベッキーで通っていた。
「やらないよ!! タレントを傷ものにするつもりはないんだよ!!」
「枕営業するつもりはないわ。ただ齋藤さんの潔癖症を直したいのよ。りかさんの初物を奪われて傷心しているあなたのためにね」
「傷心なんかしてない!!」
玲花はからかうように紫陽をいじった。気が弱そうに見えて彼女は口が達者だ。そうでなければ真打になれない。
りかはお腹が少しずつだがどんどん膨らんでいき、仕事を抑えていた。妊娠中でも歌手活動は行えるし、適度な運動は妊婦だけでなく赤ちゃんにもよい影響があるのだ。
りかの場合顔出しはしておらず、ライブやイベントに出ることはない。それ故に新曲をネット配信することに支障はなかった。もちろん出産後は数か月休ませる。出産は交通事故に遭うほどの痛みと言われているのだ。
「柴陽兄さんは見た目と違って真面目なのよ。高校時代はそのせいで女性に関係を求められて断りまくった話を聞いたわね」
「……相手は俺に抱かれることをステータスシンボルにしたいやつばかりだった。まったく浅ましいたらありゃしない」
りかの言葉に紫陽は胸糞が悪いと言わんばかりに吐き捨てた。高校時代はよほど忌々しい出来事だったのだろう。りかも当時の様子を見て、紫陽がどれほど辟易していたかを見ていたためか、彼に同情的であった。ハンサムだから不幸が寄り付かないわけではないのだ。
「もしかして男が好きなのかしら? 康さんに怒りが湧くのは、りかさんに浮気したためかしら?」
「興味はない!! 俺はノーマルだ!!」
「断っておくけど、克己兄さんと明宏さんはビキニパンツ越しで激しくやっているわ。どちらが女役じゃないのよ」
玲花が紫陽を見ながら楽し気に笑う。紫陽は興味がないと怒っていた。りかはそれを呆れて見ていた。
なんとなくだが悪魔のいる天国だと思った。セイレーンと言う天国に悪魔のようなタレントがいるという意味でだ。
後日、玲花の独演会は満員御礼であった。ライブ配信もしており、売り上げはかなりのものだったそうだ。
石原玲花のことはセイレーンに惚れた男でも書きましたが、こちらでもきちんと説明しないといけません。




