第2話 ひとにぎりの未来
題名は星新一先生のひとにぎりの未来から取りました。1969年に新潮文庫で発行されました。
「ああ、今日も不愉快だぜ」
16歳の頃の齋藤柴陽はいつも不機嫌だった。彼は金髪で日焼けした肌の持ち主で、整った顔立ちをしている。高校では女子生徒にモテているが、全員外見目当てであり、アクセサリー代わりの彼氏が欲しいと思う者ばかりであった。男子生徒は紫陽に対して蟻のように群がる女目当てで、柴陽にこびへつらい、うわべだけの関係であった。
唯一、学校の部活でボカロ曲研究会に所属している高橋充と足立留美子だけが友達だった。クラスメイトはオタクなんか相手にするなと口出しするが、柴陽は無視していた。
柴陽はボカロが大好きで、充と留美子の三人で楽しんでいた。もっとも動画はパッとしなかった。充は作曲の、留美子は動画の才能があったが、肝心の作詞がぱっとしないのだ。柴陽は演歌歌手の横川尚美や秋本美咲のカバー曲で制作していた。
高校生が演歌なんて年寄り臭いと思うだろうが、ここ6年では横川尚美は大手動画サイトのニコヤカ動画でボカロ曲を歌ってみたを配信していた。彼女は一年前に大手芸能事務所のキツネ御殿を解雇され、自身の持ち歌が歌えない状況になっていた。その前に動画サイトでボカロ曲をカバーしており、事務所を解雇された後、ニコヤカ動画を経営しているドドリアが接触する。人気ボカロ作家たちの曲を提供し、現在では若者に大流行しているのだ。柴陽も演歌に興味はなく、動画で横川尚美を知った程度だが、すぐに魅了されたのである。本当に素晴らしい曲はジャンルなど関係ないと思ったくらいだ。
かといって柴陽たちは日陰者ではなかった。他のボカロ作家たちから作曲や動画の依頼を受けることがあった。柴陽自身はどのボカロソフトを使えば効率的か、その指導でお金をもらっていた。彼の父親は白人系アメリカ人だがオタクであり、ボカロソフトは一通りそろえているのだ。そのため柴陽は学校の音楽で習った曲から、昭和時代の歌謡曲のカバーなどで有名になっていた。
だがいつまでもカバーで満足はできない。作詞ができる人間が欲しかった。だが研究会には作詞が得意な人間はいない。どれもいまいちだった。心に突き刺さるような歌詞をかける人間が欲しかった。
「どこかにいないかなぁ……。心がえぐれて耳がつんざくような詩を書ける人はいないもんかねぇ……」
学校帰りの夕陽の河原を柴陽は当てもなく歩いていた。夏服でカバンを右手に持ち背中に回している。周囲は真っ赤に照らされており、程よい暑さであった。両親はゲーム会社に勤めており、深夜にならないと帰ってこない。元アメリカ人の父親に残業は我慢できるのかと問われれば、これぞ日本の文化だと言って聞きとして働いていた。ちなみに両親は社員ではなく社長である。母親は副社長だ。ブラック企業を嫌っていても、日本人はどうしてもその体質から切り離せないと嘆いていた。
周りは誰もおらず、遠くには住宅街が広がっている。微風が吹いており、肌に心地よく当たる。柴陽は考え事をするために歩いていることが多かった。砂利道なので踏むたびに音が鳴り、土煙が舞う。革靴を履いており、埃まみれだが気にしていない。
「だっせぇ、だっせぇ、だっせぇよ!!」
どこかで怒鳴り声が聞こえてきた。町内で設置されているスピーカーから流れる役所の広報並みの声だ。だが不快に思わない。どこか心に響く声色であった。はてなどこだろうと辺りを見回すと、河原の傍で小学生らしい少女が川に向かって歌っているのだ。最初は蜃気楼のような幻かと思ったが、目を凝らすと確実にそこにいた。紫陽は頭が空っぽになり、一気に少女の元へ走っていく。
「だらだらするなよ、テンション上げろ!! ぶたみたいに、ゴロゴロすんなよ!!
生きているなら、ボディを動かせ!! 全身全霊、かっこつけろ!!」
アカペラだが澄んだ声だ。遠くでカラスの鳴く声が聴こえている。少女は恐山のいたこのように取りつかれたように歌っていた。心をえぐるような歌詞が脳に突き刺さって離れない。世界は彼女の歌に拘束されたように感じる。現に紫陽の心は彼女に釘付けだからだ。
黒と白の縞々模様の上着に、紺色のスカートを履いている。背中は赤いランドセルを背負っていた。
柴陽は無意識に駆け出していた。土手からいきなり降りていく。急斜面なので転びそうになるが、彼女を見失うよりはましだ。汗が滝のように流れ、肺は締め付けられるように息苦しくなる。
柴陽は少女の元に走り寄った。そして彼女の左肩を掴む。少女はすぐに気が付くと、紫陽に顔を向けた。眼鏡をかけた地味そうな少女だ。眉は太く、暗そうな表情をしている。だが紫陽には関係なかった。大事なのは中身だからだ。
「初めまして!! 俺は霜殿高校1年生、斎藤柴陽だ!! ボカロ曲研究会に所属している。君の名前は!!」
「え? えっと、りか。烏丸りかです。彼果小学校の6年生です!!」
りかはおどおどしながらも答えた。柴陽が自己紹介したおかげだろうか。本来見知らぬ男性に声をかけられたのだ。普通は変質者と思って助けを呼ばれてもおかしくないが、りかは見た目と違い、冷静だ。
「烏丸りかか。なんか芸能人の烏丸りあに響きが似ているな」
「よく言われます。あの人は私の従姉なんです。もっとも向こうは私を毛嫌いしているので、盆や正月でも会ったことはありません」
りかは感情のこもらない声で柴陽に説明した。自分はそこまで踏み込んだつもりはないが、りかはぺらぺらしゃべっている。もしかしたら他人に言われたときに使う常套句なのかもしれない。何度も同じことを聞かれたらイライラするだろうなと思った。
「今の歌、最高だったよ!! ぜひボカロに使わせてもらえないか!? もちろんお金は出すよ!! まず両親に会ってきちんと挨拶しないとね!!」
「お兄さんは興奮しすぎです! 痛いので放してくれませんか? 他の人が見たら児童誘拐と勘違いされますよ!!」
りかに言われて、慌てて離した。あまりの逸材につい興奮してしまったのだ。この出会いは運命だと思い、逃すわけにはいかないと思っていた。
「すまない。だが本気なんだ」
そう言って警察手帳のように学生証をりかに見せた。もっともりかはそれを見ても首をかしげるだけである。
「君の歌は女神の歌だ。まるで雷のようにとどろく歌だ。今日出会えたのは運命だよ。俺はこの機会を逃したくないんだ」
「私はストレス解消に歌っているだけです。人様に聴かせるような歌じゃありませんよ」
「いいや、君の歌は世界に披露するべきだ!! 顔出しなしで動画配信するなら問題はないだろう!! 俺は君に惚れた!! 君と結婚したいくらいだよ!!」
柴陽は興奮して口から唾を飛ばし、目が血走っていた。特別な才能を持つ人間に出会えた感動はこういうものかと思った。まるで運命の恋人に出会えた気分だ、雷に撃たれたらこんな感覚だろう。りかはどこか煮え切らない態度を取っている。そこに柴陽の肩を誰かが掴んだ。
「君、何しているのかな? ちょっと交番まで来てもらおうか?」
それは警察官であった。彼はにやりと笑って、目は笑っていなかった。
紫陽の顔は青いペンキで塗られたように、青ざめていた。りかはあわあわと戸惑っていた。
☆
「初めて出会ったときは災難だったな。りかをスカウトしてたのに、警官に職務質問をされたんだから」
「いや、当然でしょう? 私はその場にいなかったけど、私だって警官を呼ぶわね」
セイレーンのシェアハウスで、柴陽と充はリビングでお茶を飲んでいた。佐鰭田町の商店街にある菓子店で買った特にうまくはないがまずくもないフルーツケーキに、湯気が漂うコーヒーのカップが二つ置いてあった。
柴陽はりかと出会った頃の話をしていた。留美子は仕事でここにはいない。充は禿げ頭でふっくらした体格のオカマだ。派手でビラビラな背広を着ている。芸能関係者は派手な格好が必須というわけではないが、普通の格好では相手になめられるのだ。
「だがりかとの出会いは俺たちの運命を変えただろう? りかの作詞はニコヤカ動画に嵐を呼んだじゃないか」
「確かにね。りかちゃんのだっせぇよは大ヒットしたもの。今でもあの子の曲はヒットを飛ばしているわね」
「ヒットするのは嬉しいが、俺はりかの大ファンなのさ。今でも新しい曲を聞くと心が弾む。それなのに……」
紫陽はフルーツケーキを一気に頬張ると、甘みが口いっぱいに広がり、苦いブラックコーヒーを流し込んだ。コーヒーはブラックを好む。彼はいらいらしている。充はそれを見てやれやれとため息をついた。りかが元マネージャーと関係を持ち、妊娠したためだ。りかは現在病院に通院している。もう少しすれば病気の療養で休業する予定だ。その間作詞はできない。りかは作詞をするとき、悪霊に憑りつかれたように作詞を始めるのだ。それを止められるのはラッパー歌手のレベッカ・チェンだけである。高校時代はりかを止めるのに苦労したものだ。彼女は作詞に没頭すれば最後寝食を忘れてしまうのである。
「でも、今でも信じられないのよね。りかちゃんて男女の関係に興味がなさそうだったじゃない? 紫陽の方が付き合いが長いのに、あなたより年上の男性と関係を持つなんて信じられないわ」
充はフルーツケーキを小さく切りながら、しみじみとした口調で言った。紫陽自身もりかが男と寝たことが信じられなかった。
そもそも成人漫画のような展開になるとは思わなかった。紫陽より年上の康を相手にしたなど今でも夢だと思っている。
「人間の運命なんてわからないものね。ひとにぎりの未来は限られているからね」
充はフルーツケーキを一口食べると、上品にコーヒーを飲んでつぶやいた。彼はミルクに砂糖をたっぷり入れるのが好きだ。
紫陽はりかの身に起きた災難に嘆きつつ、彼女の未来のためにできることを精いっぱいやる覚悟を決めていた。
りかの歌は回想シーンで書きました。




