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第1話出会い

『最後に恋をしたのはいつだっけ?』


 幸せそうな笑顔で入籍の報告する職場の後輩を思い出しながら、ぼんやりとバスの窓に頭を預けた。

 外は真っ暗で、近くを走行する車のライトが眩い。窓ガラスに映る自分の顔は、疲れ切った表情をしていて、幸せとはほど遠い。


(……忘れたわ、そんな事)


 本当に忘れた訳ではない。けれど懐かしさに笑みが溢れるような素敵な思い出はなかった。

 初めて恋をしたのは高校の時。

 相手は友人の彼氏の、その友人だった。

 友人と通じで仲良くなり、友人の強い押しもあって付き合ったものの、付き合ってみると相性が悪かった。

 ようは、反りが合わなかったのだ。

 それでも初めは相手に合わせていたが、好きという気持ちよりも、相手に合わせる事への疲労感が遥かに勝ってしまって、長くは続かなかった。

 その後も何度か恋をする事はあったけど、いつも続かなくて虚しく終わっていった。

 けれどこれまで相手への想いをずるずると引きずった事は一度もなく、友人からは『沙織(さおり)らしい』と言われては、どこかもやつきを感じた。

 高校を卒業してすぐに就職し、マウントを取りたがる先輩達に「これだから高卒は」と舐められない為、必死になって働き続け、恋をする間なんてなかった。

 元々人付き合いが得意な方じゃないので、恋愛というものにあまり興味が湧かなかったのもある。

 ならば仕事が好きかと聞かれてもそうでもなく、むしろ嫌いな方である。生きていくのに必要だから働いているだけ。趣味も大してないお陰でそこそこ蓄えは出来てる方だ。


(朝起きて、仕事へと行き、帰宅し、眠りにつく)


 そんな毎日の繰り返し。

 しんと静まった一人きりの部屋で、帰宅してからの第一声が「ただいま」から、いつからか「今日も疲れた」へと変わり、今はもう重々しいため息だけとなった。

 昔から夢も希望のなく、結婚していく友達たちに少しだけ焦りを感じながら、ただ時間が流れていく。

 気付けばアラサーと呼ばれる歳になっていた。

 同僚と比べると化粧も薄いのでクマも隠しきれていない顔を見つめ、活気のなさについついため息もこぼれてしまった。


 


 バスを降りると暗くどんよりとした空から、ぽつりぽつりと雨が落ちてきて、あっという間に大粒の雨へと変わった。 


「え、今日の天気予報は晴れじゃなかったっけ?」


 傘もなく、小走りに家路を急ぐ。

 既に体はずぶ濡れで、アパートに着くとそのまま階段を駆け上がって……行こうとして思わず足を止めた。

 二階の部屋へと続く階段の下に何か黒い影がある。


(怪しいものは気づかないフリが一番よ!)


 けれど、今は不思議とそれが気になってしまった。

 回り込んで恐る恐る覗き込むと、そこには男が座り込んで眠っている。

 歳は自分よりも少し下か、かたく目を閉じた顔は中々のイケメンだ。

 雨で全身ぐっしょりと濡れていて、デニムはもう色が変わってしまっている。

 黒い髪からぽたぽたと雫が絶えず落ちていて、さぞや寒いだろうが、口を大きく開けて呑気にすやすやと寝息を立てていた。


「…⋯よく、その状態で寝れるわね」


 そばには大きな黒いボストンバッグ。

 それと、それよりも小さい肩かけの黒いバッグが置いてあり、どちらもかなり濡れていた。

 見慣れない顔なのでこのアパートの住人ではないのは確か。そもそも住人ならさっさと自分の部屋に入っている。

 この土砂降りの雨から逃れようとここへ避難し、雨が止むのを待っている内にそのまま眠ってしまった……としか考えられない。


(そう推測すると何だか彼が少し可愛く思えてきわ)


 眉間に皺を寄せジッと観察していると、彼が何か黒いものを抱えている事に気付いた。


「カメラ、かしら?」


 デジカメなどではない。一眼レフカメラだ。

 それを雨で濡れないように着ているブルゾンの中に入れて後生大事に抱きしめているのだ。


「じゃあこの人はカメラマンなのかしら?」


 そういったものに縁のないので、カメラと言ったらカメラマンというイメージだ。

 一眼レフを実際に見るのは初めてで、つい顔を近づけて見つめていると、長い睫毛が小さく震えて、同時に小さな吐息が耳に入った。


「ん……」


 ずっと閉じていた瞼がぱちりと開いて視線が絡み合う。ブラウンの丸い瞳には、間抜けな顔をする自分が写っていた。


「っ!ご、ごめんなさいっ」


 慌てて彼から離れる。顔が恥かしさで熱くなっていた。

 男はまだ寝ぼけているのか。まさにキョトンと言った風に首を傾げて、しかし突然顔を青ざめて慌て始めた。


「俺のカメラ!」


 わたわたと腹の中からカメラを取り出して、カメラを色んなの角度から確認しているかと思えば、カシャリと音を鳴らした。


「壊れて、はないよな?良かった……」


 胸をなで下ろす男は心底安堵している様子だ。

 カメラに向ける瞳はとても優しげで、とても大事にしているものだと伝わってくる。

 その柔らかな眼差しに胸の奥が小さく疼いた。


「それでアンタ誰や?」


 軽快な声で聞こえたのはテレビでしか聞いた事のない、聞き慣れないイントネーション。そしてくてんと首を傾げる仕草にどこか可愛さを感じた。

 いつもだったら見知らぬ不審者に関わらないよう、そそくさと階段を駆け上がっていた。

 しかし今はその選択肢が不思議と頭に浮かばなかった。


「もしかしてこのアパートに住んどる?なら──」


 男はパンッと両手を合わせると急に頭を下げた。


「俺を暫く住まわせてください!」

「……は?」


 突然の出来事に顔を引きつらせた。





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