63.オペレーション
〇直江景綱〇
「長尾殿は、今痛み止めで眠っておられる。直江殿、付きっ切りであったな。少し休まれよ。」滋野卿からマグカップと言う、握りが付いた。茶碗を手図から頂く、抹茶ではない煎茶がとても美味い。
「卿、正直我らは、為景様が何故に、急いで最上の家に降ったのか、理解できませんでした。」
「ふむ、それで。」卿は部下から上がってきた。分厚い報告書の束をまくって、読んでいる。我が殿も執務に関しては、猛烈に仕事を成されるが、この卿はそれ以上だ。休んでいるのを見た事がない。上に立つ者は、こういう物なのだろうか?
「今は理解しました。殿の英断に感服している次第にて。」
今、酒田に向かって乗っている。駆逐艦の凄まじい速度、隠すことなく見せて頂いた。大砲やエンジンと言う唐栗、全ての面に於いて、負けている。最上の大攻勢を受けていたならば、長尾家は跡かたなく、滅びていたであろう。
「最上は降った者、頼って来た者は決して粗略には扱わない。間に合ってよろしかったですな。」卿が一冊の書を取り出し、某に手渡される。この書は。
「軍事支援も決まっているが、先ずは越後に豊になってもらおう。田の整地方法と千歯扱き等の農具の設計書でござる。」これは、何という。
「このような貴重な物をよろしいのでしょうか? 」
「良い。実は個人的な事なので、他言は無用ですが、われは最上の狸でな。最上の謀略、諜報、策案を一手に仕切っている。その手本となったのが、伏齅のお景の知識でした。」そうであったのか。
「それは、知りませなんだ。」
「事後承諾とは言え、お景の裏切りを容認して頂き、そしてお景を最上へ派遣してくれた事自体。個人的に感謝しているのだよ。」今や女大名の方として、その名は知れ渡っているが、元 伏齅衆なのを知っている者は、ごく一部である。
「そうでしたか、今回の従属に卿が、ただならぬ後押しをして頂いた事、納得致しました。感謝します。」
「まあお互いにな、長尾殿の治療に全力を尽くす所存だ。」
「よろしくお願いいたします。」
〇氏家楓〇
『爺さんあのおじ様気に入っちゃったのかな? 』
うん。そうかもな。お前も好きじゃろ? ああ言う悪親父。
『渋くていいよね。ちょい悪どころかかなり悪そうだけど。』
毛沢東がいい事を言っている。「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である。」共産党は嫌いだが、その言は大いに賛同する。
『なるほどね。でも大量破壊兵器や最新兵器を喜々として作らせている医者って、どうかと思うけど。』
お前も知ってるだろ? 元医徒の革命家。
『あっゲバラ? 』
正解。チェ・ゲバラもそうだが、職業と個人の資質は別物だと思っている。武兵衛しかり長尾しかり、今まで助けた者は、ワシにとって有用な者が多い。その者らが、欠如してはワシが困るから、医師の力を使っていただけだよ。
『・・・あの世に行ったら、ヒポクラテス[※1]先生に散々怒られるといいさ。』
ははは、違いない。
〇曲直瀬正盛〇
「さて、医徒よ。これより、胆のう付近の開腹術を行う。対象は長尾為景55歳男性。日の本の医学の発展の為、余すことなく見学せよ。」
「ははっ! 」卿の言葉に、頭を下げる20名以上の医師や弟子たち。誠にありがたい。
「エーテル麻酔は、嘔吐などの危険性が高いため、今回は笑気ガス[※2]の混合ガスを使用した。全身麻酔にて行う。」卿が細かく説明をしながら、手術を進められる。ありがたいことだ。長尾様の呼吸口を覆う、透明な被い。そこから笑気ガスが注入される。徐々に意識を失う長尾様。
「順庵ここからこのように切開せよ。」卿がペンで右胸の下5寸の辺りを斜め下になぞるように、印を付けられる。」頷く順庵先生。
すっとメスが入り、出血と黄色い脂肪が露になる。
「医徒よ見たまえ。これが皮下脂肪。これが腹膜。こことここに大きな血管が走行しているので、切開時には要注意だ。」若いメモをとる。弟子たちの手が震えている。説明をしながら、順庵先生の手伝う卿の手の動きが異常だ。止血をしながら、腹壁鈎と言う半円の鈎で、切開部分を固定されている。早い、兎に角早い。
「固定カメラはここをアップしてくれ。」手術室の上に8ミリカメラと言う記録機械を設置して、この手術を記録しているそうだ。素晴らしい。
「皆見えるかね? これが胃でこれが肝臓。胆嚢は少し見にくいが、これだ。見た者から後ろの者に場所を譲ってくれ。」卿が分かりやすく指で示してくださる。
「ああ、これは胆石だな、順庵よ触ってみよ。」順庵先生が胆嚢を触りながら頷いている。
「胆管にも結石があることがあるので、このように触って探る。・・・この御仁は運が良い。胆管は異常なし、胆管炎症もない。」卿の手際が恐ろしく早い、これが神技と言う物か。
「では、胆嚢を切除する。順庵や交代しよう。」ささっと動脈にクリップと言う物を付けて、胆嚢の動脈を切断して、胆嚢を切除する。
「後はこのカットグット糸を使って縫合する。山羊の腸から
作ったもので、時間が経つと体に吸収されて、抜糸する必要が無い。」先の曲がった針で、切開跡を縫合していく卿、その手際は早くて正確だ。
「順庵や、よくやった。3時間20分か。」手術室の奥の唐栗時計を見る。卿。この時計と言う物はとても役に立つ、ここ(酒田)ではこの24時間制と言う時刻の制度が、定着している。街の至る所に時計が設置されている。
「医徒よ、技術者よ、ご苦労様であった。この後酒宴を開く、いろいろと聞きたい事があろう。」私も皆もすっと頭を下げる。本当に素晴らしい物を見せてもらった。
◇◇◇
「曲直瀬殿。これが先ほど取り出した胆嚢にあった結石だが、この石の色を見てくれ。」楽し気にウィスキーという火酒を呷りながら、私に三方に載った石を見せてくれる。卿。
「ほほう。黄色い結晶ですな。」私もウィスキーと言う酒は初めてだったが、香が良い、そして酒精が強い。何より旨い。
「それはコレステロール結石と申しまして、油の強い物を好んで食すと良く出来る胆石でしてな。他にビリルビン結石と言う黒い石の場合もあります。」卿のお話を伺いながら飲む酒は、とても旨い。
「しかし滋野様。胆嚢の腑を取り除いてよろしいのでしょうか。」ふと思った疑問を聞いてみた。
「良い所を聞いてこられる。実は肝の腑が、同じ役目をしておりまして、一度胆石が出来ると、癖になりましてな。いっその事摘出するのが最良でしてな。」
「なんと左様でしたか。」卿に今までの医業の疑問を投げかけると、即答で還ってくる。何という楽しい酒だ。
〇長尾為景〇
ここは? ・・・・・・・ああ、ワシは手術と言う物を受けたのであった。
「殿お目覚めですか? 」景綱か、ずっと居てくれたのか。
「卿をお呼びしてくれ。」
「はい。」と白い衣装をした。女子が一礼して、部屋を出ていった。
「御気分は如何ですか。」景綱が聞いてくる。
「良い、痛いが良い。」
「生きている証拠ですぞ。」白衣と言う白い羽織りをされた卿が笑顔で入ってきた。確かにそうだな。
「さて、手術は成功しました。経過を診せていただく。」触診や、ワシの脈を診てくれる。
「ふむ、感染症も問題なしの様子。痛み止めを飲んでくだされ。」
「卿、感謝しかござらぬ。」景綱と共に頭を下げる。
「安静になされよ。横になってくだされ。そうそう、これが貴殿の胆石でござる。捨てるなり、持ち帰るなり、好きにしてくだされ。」透明な袋に入った。石をベッドと言う寝床に供え付けてある。机に置かれて、部屋を出ていかれた。無論持って帰る。
「景綱よ、ワシは長尾の行く末のみ案じておったが、これから面白い事が起こるぞ。最上家が日の本を飲み込む。それが楽しくてたまらん。」
「はい、某の目にも、それが見える気がします。」
〇伊達稙宗〇
長尾が、反最上同盟を脱退して最上に従属しよった。おのれ為景め! 元から最上に降る算段であったな。最上との決着が着いた暁には、全同盟軍で攻め滅ぼしてくれる。
南部から援軍の要請が参った。最上軍が国境に集結しているとの事だ。その数6000。
伊達、蘆名、佐竹、相馬と続々と兵が集結している。その数58000。ここに大崎と蛎崎と南部の兵を合わせたら8万は優に超えるであろう。
兵力差は十倍以上だ。今度は負けん。幸い田植えも終わった。後顧の憂いなく、兵を動員できる。南部の地で決戦だ。今度こそあの小僧に吠え面をかかせてやる。
清水をけしかけて、謀反を起こさせたが失敗した。その代償として、52にも及ぶ小銃と言う名の最上の武器が届いた。これを忍び衆に配備して、最上の将を撃たせよう。
死ねば重畳、最悪混乱するだけでも十分だ。
〇最上義守〇
「反最上同盟の兵が動いているだと! 」
「はい、小兵衛と武兵衛の偵察部隊と、潜入部隊から。偽装監視船からも同様の報告が、届いてます。南部に向けて、続々と進発を開始したとの事。南部と合わせて総数8万越えと言った所です。」卿が報告書の束を捲りながら、余に説明する。なんと8万越えか。
「こちらの戦力は、いかほどですかな? 」
「陸軍が6千と海軍が2千です。」十分の一。これは勝てるのか。
「殿、決してご案じ召されるな。一気に8万を潰す方が楽でござる。多方面作戦を取られなくて、本当によかった。」そういうものなのか。
「先ず海を渡る蛎崎の軍6千は海軍が沈めます。既に沖で、手ぐすね引いて待ち構えております。」なるほど。
「殲滅後に徳山館へ艦砲射撃を喰らわせて、立ち直れない打撃を与えます。」これ前に卿から聞いたな、たしか。
「各個撃破ですかな? 」
「左様です。よく覚えておられましたな。そして、密かに蝦夷のアイヌの長老達とよしみを通じておりました。徳山館を灰塵に帰した後に、蜂起してもらう予定にて。」これだ。これが、卿の恐ろしいところだ。棋譜を読むが如く、他の者が予想もつかない10手以上先を読み、追い詰める。気が付けば相手は、瀕死の状態まで至っている。蛎崎家もまさか生殺与奪を握られておるとは、夢にも思うまい。
「貴殿が、味方で本当に良かった。」
「はっはっは。一応神の使いでござる。姫神様と楓殿に感謝してくだされ。」
「この戦いに勝利した暁には、姫神様の大社を建立させてもらうとしよう。」
「それは姫様もお喜びなされるかと。」終始落ち着き、淡々と事を進める。卿の域にまで達してみたいものだ。
※1 ヒポクラテス 古代ギリシャの医者。その功績は古代ローマの医学者ガレノスを経て後の西洋医学に大きな影響を与えたことから、ヒポクラテスは「医学の父」、「医聖」、「疫学の祖」などと呼ばれる。『ヒポクラテスの誓い』はヒポクラテス全集の内でも最も有名な文書であり、医学部を卒業するときにこの『誓い』(あるいは学校独自の『誓い』)を立てることも多く、『ヒポクラテスの誓い』は今日でも形を変えて医師達の間に生き続けている。
※2 笑気ガス 医療用ガスの一種である亜酸化窒素(一酸化二窒素)と医療用酸素を用いた全身麻酔。亜酸化窒素の別名が笑気である。
次回投稿は05/24の予定です。




