16話 希望の雨
「――顔をあげ、その場を動くな!!!」
騎士の声が、礼拝ホールに鋭く響いた。
突如として現れた王国騎士たちが、ズカズカとホールに踏みいってくる。
民は困惑したように顔を見合わせながらも、騎士の要求に素直にしたがった。
「先刻、偽聖女エミリー・ウィンゼルが看守とともに脱獄した! そして兵士風の男と外套をかぶったものの二人組が、この神殿に入ったとのタレコミがあった! よっていまから、罪人がまぎれこんでいないかを我らで確認する!」
騎士はそう指示し、分散して捜査しはじめた。
(まずいわ……どうしましょう)
礼拝ホールの片隅。
牢番一家のそばで、エミリーは息をひそめていた。
ひとり――またひとり、と。
騎士は民の人相を確認し、エミリーたちのほうへと近づいてくる。
ホールで騎士以外に動くものはいない。
もし下手に逃げだせば、逆に捕まるのが早まるだけだろう。かといってこのまま動かずにいれば、いずれ見つかってしまうのは間違いなかった。
(……八方ふさがりね)
エミリーが打開策を考えているあいだにも、騎士は着々と近づいてくる。
そしてついに牢番一家のもとにやってきた。
「ん、おまえは……兵士なのか?」
牢番の兵士風の装いを見て、騎士は目を細める。
「ああ……市壁東門の警備隊ッス。嫁と娘が倒れたから駆けつけてきて」
「なるほど、大変だな」
牢番の顔は知られていなかったようだ。
騎士は気にした様子もなく、妻子の確認へと移る。
だがそれも、ほんの数瞬で終わってしまった。
「……」
エミリーはごくりと生唾をのみこんだ。
それじゃ次は、と。
ついに騎士の視線がエミリーへと向けられ――
「お待ちください」
しかし直前、騎士に声がかかる。
声をかけたのは、神殿の高司祭ミシェルだった。
「貴殿は……高司祭殿か」
騎士はミシェルを見ると、鋭く目を細めた。
戦場をくぐりぬけてきた視線には威圧感がある。
だがミシェルに怖じ気づいた様子はない。
毅然と騎士と向きあう。
「神殿で勝手なことをされてはこまります。いまは特に生死をさまよう民が大勢いる状況。そんな重篤患者やそれを看護する人々の動きを封じるとは、民を殺す気ですか? 悪影響が出る前に、即刻ここから立ちさっていただきたい」
有無を言わさぬ調子で言った。
だが、騎士は鼻をふんっと不機嫌そうに鳴らす。
「これは強制執行権も付与された殿下の勅命だ。我らにはそうする権利がある」
「権利があるからなんなのです。国王代理の命とはいえ、ここはセレスティアさまを祀る神聖な場所。もしも民に無理をさせ、命を落とさせるようなことがあった場合、神殿としては黙っていられません」
ミシェルは引きさがることなく、強気に言った。
ぐぬぬ、と。
騎士は顔をしかめ、反論できずに口ごもる。
女神セレスティアの信者は大陸中にいる。
もし神殿から不況を買えば、大陸中の信者が敵になる可能性がある。一国が背景にあろうと、ないがしろにできるものではないのだ。
「そもそも兵士風の男と外套をかぶったものなど、冒険者もふくめればありふれた特徴でしょう。脱獄した人間が王城に近いこの神殿にいるとも思えません。もっと王城から離れた場所……王都から出入りできる門を見張るべきかと考えます」
「いや、それはそうだが……」
引きさがれないのか食いさがる騎士。
「ここでこのようなことを続けても、結果は出ませんよ。そればかりか民の行動を束縛して民に被害を与え、結果的に恨みつらみを買うだけでしょう」
ミシェルは言い、視線を周囲に動かす。
騎士はその視線を追い、まわりを見回した。
民の悲鳴まじりの声があちこちから聞こえてくる。
『騎士さま、娘が水を欲しがっているのです!』
『こっちもだ! とりにいかせてくれ!』
『親父が苦しんでるんだ、司祭さま来てくれ!』
みな必死に窮状を訴えていた。
このまま命を落とす民が出れば、ミシェルの言葉通りの結果になろう。
騎士は大きく舌打ちし――
「……みな好きなように動いてよい! 残りの確認はこちらで勝手に行う!」
よく通る声で、そう宣言した。
とたんに民はそれぞれ慌ただしく動きだす。
ホールは騎士が来る前の騒然とした空気に戻る。
(……いまだわ!)
エミリーはそれに乗じ、騎士から距離をとる。
すでに騎士が確認を終えている民のなかに溶けこみ、息をひそめた。
それから騎士による捜査が、ふたたび始まる。
だがホールはすでに雑然としていた。
さきほどまでと比べると確認はかなり雑になる。
おかげでエミリーは見つかることなく、騎士の捜査をやり過ごせた。
しばしあって、騎士はホールの入口に集まった。
「やはりここにはいなさそうだな。すでに王都から逃げたか……?」
「用が済んだのなら、お引とりくださいませ」
騎士に冷たく言いはなつミシェル。
言われずともな、と。
騎士は吐きすてるようにこたえ、あらためてホールへと声を張りあげる。
「罪人エミリー・ウィンゼルよ! もしもこの場にいるのなら聞け!」
ドキッ、と。
心臓を跳ねさせ、エミリーは耳をかたむける。
「貴様の処刑は3日後の正午に予定されていた! そしてその予定はいまも変わっていない! もし処刑執行の日までに出頭せぬ場合、貴様の家族やそれにつらなるものが処刑されることが決定した!」
エミリーはハッとして、顔をあげる。
だが騎士と目が合いそうになり、すぐ顔をふせた。
「正式な日取りと内容は、まもなく王太子の名で触れとして出されることだろう! 父や側近どもを救いたければ、素直に出頭せよ! まあ偽聖女が自身の命を差しだしてまで、他人を助けようとするとは思えぬがな! ハハハハハ!」
騎士は豪快な笑い声をあげ、配下を引きつれてホールを出ていった。
(なんと卑劣な……)
エミリーは歯を食いしばる。
このままでは自分の代わりに皆が処刑されてしまう。
けれど3日あれば――と。
考えていると、ミシェルが歩みよってきた。
「さきほどはありがとうございました」
エミリーは深々と頭をさげる。
ミシェルが助け舟を出してくれなければ、自分は捕まっていただろう。
エミリーが微笑みかけると、だがミシェルはツンとそっぽを向く。
「勘違いしないでいただきたい、いま民を救える可能性があるのは貴方しかいない。ここで貴方に牢へと逆戻りしてもらってはこまるだけの話です」
やはり突きはなすような態度のミシェル。
だが、その頬がわずかに赤くそまっているのをエミリーは見逃さなかった。
(やっぱり、優しい人ですわね)
厳格ではあるが、冷たい人間ではないのだ。
なんだかんだと民のことを考えている。
微笑ましく思っていると、ミシェルはなにか勘づいたのか唇をとがらせる。
「それよりもエミリーさま、処刑の件……どうなさるおつもりです?」
「まだ3日後の話でしょう。とりあえずいまは、苦しむ民を救うのが最優先です。死のふちにある民から急ぎ癒やしていかねば、手遅れになりかねませんわ」
ミシェルはなにか反論したげに口を動かす。
しかし――協力していただけますわね? と。
エミリーが言葉をつぐと、しぶしぶうなずいた。
そしてミシェル協力のもと。
エミリーはすぐさま民の治療をはじめるのだった。
*
「……ふう」
騎士が去ってから数刻後。
何十人目かの治癒を終え、エミリーは息をつく。
ありがとうございました! と。
さきまで命の危機に瀕していた男が、元気を取りもどして頭をさげてきた。
「いえ、また不調があれば教えてくださいませ」
エミリーはにこりと聖女の微笑でこたえた。
愛らしい笑みを向けられ、男は顔を一気に赤らめる。
それから仲間にひそひそと耳打ちしはじめる。
『……かわいすぎる天使かよ。本当に治っちまったし、この子何者なんだ?』
『バカ、エミリーさまを知らねえのか』
『え、偽の聖女だっていう?』
『そう言われていたが、この様子じゃ本物らしいな。まあ俺はジェニファーさまじゃなくて、彼女こそが本物の聖女だと信じていたが』
『てめえがジェニファーさまが本物だって俺を神殿に連れてったんだろうが!』
バチン、と。
漫談のように肩をたたき、男たちは笑いあう。
なにを話しているのだろう、と。
微笑ましく思いつつも、エミリーは次なる民のもとに足を向けた。
絶望に包まれていた神殿には、少しずつ笑みが戻りはじめていた。
そんな光景に達成感を覚えつつも――
『聖女さま、娘をお助けください!』
『夫が苦しんでいるのです!』
『母の呼吸がとまってしまったのです!』
民の悲痛な叫びは一向にとまらなかった。
エミリーの情報がまわったのだろう。
治癒をほどこすあいだにも、民はエミリーのもとに続々と集ってくる。
「……ひとりでは間にあわないわね」
このままでは命を落とすものが出る。
どうにかしなければ、と。
思考していると、ミシェルが声をかけてくる。
「エミリーさま……どうなさいますか? やはりひとりでは限界がありますし、いっそ一度休みをとったらいかがですか? 魔力枯渇でエミリーさまが倒れてしまっては元も子もないありません」
奇跡を使いつづけ、たしかにエミリーは疲労困憊。
肉体的にも精神的にも、すでに限界だった。
だがエミリーはすぐに首を振った。
「わたくしの何倍も苦しんでいる民が大勢いるのです。この程度で根をあげるわけには参りません」
それからまわりをぐるりと見回し――
「……範囲魔法を試してみます」
そうつぶやいた。
範囲魔法ですか? と。
ミシェルは目を見開き、いぶかしげな顔をする。
「ええ、やってみたことがないのでできるかはわかりませんが……このホール全体に範囲を指定し、みなを一度に治癒させられたらと思っております」
エミリーは自信なさげに言った。
ホール全体の民を一度に!? と。
ミシェルは信じられぬといった声をあげる。
「そんなことが可能なのですか!? 破壊魔法ならともかく、それほどの広範囲に治癒魔法をほどこすなど聞いたことがありませんよ!?」
ミシェルがおどろくのも当然だ。
エミリー自身もそのような大規模な治癒魔法は聞いたことがない。そもそも治癒魔法は大勢に一度にかけられるようなものではないのだ。
なにしろひとりに治癒魔法をほどこすのでさえ、ひどく繊細な魔力制御能力が必要。それを一度に複数人にほどこすなんて狂気の沙汰である。
たとえばそれは『たった一撃の攻撃魔法で国をひとつ消しとばしてしまう』というような話と同等の子供の妄言レベルの話なのだった。
「……」
エミリーもそれはわかっていた。
だが一方で、それぐらいせねば民を救えないのもわかっていた。
「難しいことはわかっています。けれど大勢の民がいままさに死のふちにいるのです。彼らをみな救うためには、ひとりひとり治癒をほどこしていては間に合わない。奇跡を……起こすしかないのです」
エミリーはまっすぐにミシェルを見つめる。
蒼玉石の瞳には、強い意志と覚悟が宿っていた。
ミシェルはごくりと唾をのむ。
「……わかりました、できることはありますか?」
「集中するので、邪魔が入らないようにしてもらえると助かります」
かしこまりました、と。
力強くうなずき、ミシェルはすぐに動きだした。
エミリーの近くに侍っていた民を言い聞かせ、強引に引きはなしてくれる。
「……」
エミリーは深呼吸した。
まわりからはいまだに人々の悲鳴や泣き声、さまざまな雑音が聞こえてくる。
しかしそれらをすべて意識の外に排除し、全身の魔力に意識を集中させる。
直後――ぶわっ! と。
魔力が枯渇しかけていたはずのエミリーの体から、純白の魔力があふれた。
魔力はやがて、全身を覆った。
まるで舞姫のような美しいエミリーの所作に合わせ、魔力はエミリーを中心にドーム状の膜のようになってホール全体に拡散した。
(わかる……ホールにいる皆のことが、この手で触れているかのように)
治癒をほどこすのに必要な民の身体的な情報。
エミリーは魔力を通し、それを把握していく。
そしてそのときには――
ホール中の民の注目と関心が、エミリーひとりに集まっていた。
通常、魔法の心得のないものには魔力は視認できない。けれどエミリーの白い魔力はあまりに強大なため、皆にも視認できるようだった。
白く神々しい魔力をまとうエミリーを見つめ、人々は呆然としていた。
『……セレスティアさまが降臨なさった』
『ふふっ……違うわお婆ちゃん、エミリーさまよ。やっぱりジェニファーさまじゃなくて、彼女が聖女さまだったということかしらね』
老婆がこぼした言葉を娘が否定した。
だが老婆はエミリーをふたたび見て、首を振る。
あのかたはセレスティアさまじゃ、と。
老婆はこれ以上になく、はっきりとつぶやいた。
娘は眉をひそめ、しかし気にとめなかった。
エミリーの浮世離れした美貌。
そして神々しくもあたたかな白い魔力。
それらはたしかに、彼女を女神だと思わせるにたるものだったからだ。
(――――どうか、皆を救う力を!!!)
次の瞬間――エミリーは両手をかかげた。
エミリーのまとっていた膨大な魔力が、柱のようになって天へと放出される。
「……!」
やがて魔力はきらきらと輝く粒子となって、礼拝ホールへと降りそそいだ。
干ばつを救い、草木に恵みを与える慈雨のように。
寒さに震えて孤独な夜を過ごした人間に、ついに降りそそぐ朝日のように。
希望の雨は、民をやさしく包みこんだ。
やがてホールから、すべての音が消える。
苦痛に喘ぐ男の表情が、絶望にゆがむ女の表情が、次第にやすらいでいった。
しばしあって――
人々は気づきはじめる。
自身の体から苦痛がとりのぞかれたことに。
『あれ……ぜんぜん苦しくない?』
『わたしもよ……力があふれてくる』
『嘘だろ、おれ治っちまったのか?』
ぽつりぽつり、と。
そんな声をこぼしはじめる。
声はやがて歓声となり、ホールに広がった。
『よかった、本当によかった……!』
『もう大丈夫なのね、そうなのよね!』
『信じられない、奇跡だ……!!!』
ぽつり、ぽつりと。
人々が涙をこぼしはじめる。
信じられぬという表情で互いに目をあわせ、やがて抱きしめあう。
ここにはもう、生死をさまよう人間はいない。
完全に、いなくなっていた。
エミリーは――奇跡を起こしたのだ。
(……なんとか、なりましたわ)
やりとげた、と。
息をつくエミリーに、牢番が声をかけてくる。
「……聖女どころじゃねえ。嬢ちゃん実は女神さまなんじゃねえのか?」
「お世辞がお上手ですわね」
優しい微笑でこたえるエミリー。
しかし直後、意識が遠のくような感覚に襲われた。
「嬢ちゃん? 嬢ちゃん大丈夫ッスか!?」
牢番の慌てた声を聞きながら。
エミリーの意識は、一瞬で闇へと消えた。
*
「……?」
大神殿内の一室、ベッドの上。
顔に湯気がかかるのを感じ、エミリーは覚醒した。
目を開けると、眼前にはあたたかいお茶のカップが差しだされていた。
「ミシェルさま……ありがとうございます」
エミリーは上体を起こし、カップを受けとった。
お茶を差しだしてくれたのは、ミシェルだった。
ミシェルはやがて頭をさげた。
「非礼をおゆるしください、エミリーさま。貴方は聖女です。あのような奇跡を起こせる人間が……あたたかな魔力をまとう人間が、偽物のはずがない」
「いえ、非礼なんてそんな! ミシェルさまは神殿の司祭として、為すべきことを為しただけですわ。それにさきほどは窮地を救っていただきましたし」
にこりと穏やかに微笑むエミリー。
そう言っていただけると助かります、と。
ミシェルは申し訳なさそうにさらに頭をさげる。
「それよりも……処刑のことです。神殿にいたものたちは、エミリーさまのおかげでほぼ全快いたしました。次は貴方自身のことを考えねばなりません」
そして深刻な顔でそう切りだした。
「結論から申しあげると、いますぐに王都から逃げるべきだと考えます。万一にもここでエミリーさまが処刑されるようなことがあれば、この国の損失どころではありません。聖女とはこの世界を導く存在です。たとえご家族を犠牲にしたとしても、貴方は生きのびねばならない。世界のために」
まっすぐにエミリーを見つめ、ミシェルは言った。
エミリーは口ごもる。
ミシェルの言葉は理解できた。そうすることが最善だろうとも思った。
だがそれでも――
「……それはできません。お父さまや家のものたちをわたくしのために死なせるわけには参りませんし、まだまだこの王都にはわたくしの力を必要としている民が大勢いるでしょうから」
すべてを投げだし、逃げることはできなかった。
しかし……! と。
ミシェルは声を荒げ、口をはさまんとする。
だがエミリーはそれを手で制する。
やわらかな微笑とともにゆっくりと首を振った。
「目の前の民を救えないものに世界を救えるとは思いません。それにまだ3日あるのです。わたくしも命を投げだすつもりはありません。皆の治療を行いながら、できるかぎりの手は打つつもりですわ」
エミリーは悪戯めいた笑みをうかべつつ、軽薄なウインクをしてみせる。
ミシェルはまだなにか言いたげだった。
だがやがて諦めたように息をつき、
「……わかりました、まったく貴方は強いかただ。貴方のお命をお守りする手もふくめ、最大限お手伝いさせていただきます」
やわらかな微笑とともに肩をすくめた。
――その後、エミリーは民の治療を再開。
エミリーの評判は王都に広がり、神殿にも捜索の手がおよんだ。だが救った民やミシェルの助けもあり、エミリーは囚われることなく民を癒やしつづけた。
そして気づけば。
またたくまに時は経ち、処刑の日がやってきた。




