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13話 聖女の覚醒(後編)

 

「お嬢さま、どうなさったのです!?」

「急にマルスさまが苦しみだして、たぶん例の契約魔法のせいだわ……!」


 スピカに答え、エミリーはどうにかできないかと慌ててまわりを見回す。


 だがここは牢獄。

 有効な対処法は、見つかりそうもなかった。


 なにもできないでいる間にも、禍々しい魔力はマルスの体から生命力を着実に奪いつづけていく。


(とまった……?)


 しばしあって、ようやくマルスからの生命力の流出がとまったのを確認する。


 だがそれは前向きな情報ではなかった。

 生命力が奪われつくし、単純に流出する生命力がなくなっただけだったのだ。


 とまったのではない。()()()()のだ。


(生命力が、希薄すぎるわ……)


 すでにマルスのまとう生命力はないも同然。

 エミリーがこれほど生命力が希薄な人間を見たのは、二度目のことだった。


 一度目は死の間際の母エルメスだ。

 いまのマルスは衰弱しきっていた母と同じぐらいに弱りきっていた。


 このままでは間違いなく死んでしまう。


「マルスさま……」


 マルスは衰弱しきっている様子だったが、それでも薄目でエミリーの不安げな顔を確認すると、エミリーを安心させるように懸命に笑顔をつくってみせた。


 そして気息をととのえながら、言葉をしぼりだす。


「……ご心配をおかけして、申し訳ございません。思った以上に、不当な契約を結ばされたようだ。疲労を回復させた程度のぼくで、これほどの生命力を奪うとは……計算が、少しだけ狂ってしまいました」


 わたくしはどうすれば……? と。

 エミリーは悲痛な面持ちで訊ねるが、マルスはゆっくりと首を振った。


「ぼくは……まもなく、命を落とすでしょう。この状況では、その未来は変えられそうもない。でもこれは、ぼくがぼくの意志で事を為した結果なので……どうかそんなに哀しい顔をしないでください。貴方にそんな顔は似合わない」


 マルスは優しげな微笑をうかべた。

 自身の死は避けられないと告げながら、それでもエミリーを気遣うように。


 彼の優しさに応えたくてエミリーは表情を取りつくろおうとするが、どうしてもこの状況では笑みをうかべられそうもなかった。


「……なにか、できることはないのでしょうか?」


 震える声で訊ねるが、マルスは答えない。

 ただ、もう一度首を振った。


 もうどうしようもないのだ、と。

 そんな事実をあらためて告げるように。


 だがその後、マルスは「そうですね……」と視線をさまよわせ――




「ひとつ……昔話を聞いてくださいますか?」




 ふと思いついたように、そう提案した。


 昔話、ですか? と。

 エミリーはいぶかしげに首をかしげた。


 やがてマルスの手をとり、こくりとうなずいた。

 現状で自分が彼のためにできることは、話を聞くぐらいだと思ったから。




「実は……ぼくは幼少期、エミリーさまとお会いしたことがあるのです」




 ゆっくりと、マルスはそう告白した。


 エミリーは目を見開く。

 まったく初耳のことだった。


「当時……ぼくは複雑な事情もあって、まわりから(うと)まれて暮らしておりました。ぼくと関われば不利益をこうむるため、ぼくに近づく人間は誰もおらず、ぼくはいつもひとりでした。貴方と出会ったのは、そんなある日の茶会のときです」


 まるで、最期のときを噛みしめるように。

 マルスは丁寧に丁寧に、言葉をつむぎだす。


「ぼくがいつものようにひとりでいると、貴方が無邪気な様子で話しかけてきたのです。ぼくは貴方に『ぼくには話しかけないほうがいいよ。みんなに嫌われるから』と忠告しました。けれど貴方は『嫌よ、貴方と話したいんですもの』とぼくの話し相手になってくださいました。あんなに強引な人に出会ったのも、あんなことを言われたのも初めてだったなあ……」


 でもうれしかった、と。

 マルスはなつかしむように笑った。


「それから幾度かの茶会で、ぼくは貴方とご一緒しました。まわりの人間にもいろいろとぼくの陰口を言われただろうに、貴方はそんなことをおくびにも出さずぼくの友人になってくれた。貴方にとっては大したことではなかったのだろうけれど、幼いぼくは貴方の存在にものすごく救われたのです」


 マルスは弱々しくエミリーの手を握りかえす。

 虚ろな瞳で、だがまっすぐエミリーを見つめた。


「……やがて幼心ながら、ぼくはそんなエミリーさまに惹かれていることに気づきました。幼いながらも他人の言葉にまどわされずに凛とまっすぐな心を持つ貴方に、いつからか恋い焦がれていたのです」

「え……!?」


 聞き捨てならない話が出てきて、エミリーはつい声をあげてしまう。


 ませていますよね、と。

 マルスは少し照れくさそうに笑った。


「しかしあの頃の貴方はウィンゼル侯爵のことが大好きで、『お父さまと結婚する』と口癖のようにおっしゃっていました。それを聞いたぼくは……侯爵のように強くなれば貴方が振り向いてくれると思い、必死に剣と魔法の修行をはじめました。バカ、ですよね?」


 マルスはくすりと笑い、だがその弾みでゲホゲホと激しく咳きこんでしまう。


 もう時間は残されていなさそうです、と。

 マルスはもはや目を開けているのも億劫なのか、目を閉じて話を続けた。


「そして年月が経ち……ひさかたぶりに出会った貴方はやはり、まっすぐで凛と美しかった。その輝きは以前にもましていて……ぼくは、自然と貴方に目を奪われました。正直ふたたび貴方に会うまでは曖昧で不確かな感情でしたが、ここに来てあらためて自身の気持ちがはっきりと……理解、できました」


 じわじわと途切れ途切れになる声。

 それでも、マルスは懸命に言葉をつむぎ――




「ぼくは、いまもエミリーさまのことが……」




 ドクン、と。

 その瞬間、エミリーは心臓がこれ以上ないぐらいに跳ねあがるのを感じた。


 そして心臓が高鳴る一方で、息がつまるような不思議な感覚もあった。胸が締めつけられるような――空気を取りこむ管が細くなったような息苦しさ。


 これから発せられるマルスの言葉を想像し、エミリーは色々な感情がないまぜになって、平静を保っていられなくなってしまっていた。


 エミリーは続く言葉を心待ちにし――




「……、」




 しかしいつまで待っても。

 彼の言葉の続きがつむがれることはなかった。



「……?」




 エミリーは拍子抜けし、きょとん首をかしげた。

 いったいどうしたのかとマルスに視線を送る。


 直後――ジャラッ、と。

 マルスを拘束していた鎖が急にゆるみ、淡い魔力の光となって消えていった。


 もはや、その役目を終えたとでも言うように。




「……」




 そして。

 握っていたマルスの手が、そのときエミリーの手からすべり落ちていった。


 ゆっくりと、ゆっくりと。

 時が細切れのスローモーションになったかのように、マルスの手が落下する。


 無機質な灰色の床へと力なく叩きつけられ、まるで壊れたマリオネットのように転がり、完全に動かなくなってしまった。


「マルス……さま?」


 エミリーは恐る恐るその手に触れた。


 そして気づいた。

 力強くてあたたかかった彼の手から、ぬくもりが消えていることに。


 手だけではない。

 いつも優しげな微笑をたたえていた麗しい面差しからも、エミリーを軽々と抱きあげてくれた細くたくましい体からも、ぬくもりが完全に消えさっていた。


 ぬくもりを取りもどしたくて、エミリーは彼の手を胸にかき抱いた。

 だがその手は冷たいまま、ぬくもりを取りもどすことはなかった。




「ずるい……ですよ」




 あまりに、あっけない幕引きだった。


 もはや彼がふたたび言葉を発することは――さきの言葉の続きをつむぐことは、永遠にないのだ。


 それがじわじわとエミリーのなかで現実味を帯びてきて、身震いしてしまうような絶望と恐怖が心のそこから湧きあがってくる。


「マルスさまは……ずるいです。最期にそのようなことをおっしゃるなんて、わたくしはまるで知りませんでした。そしていまも、貴方のことが思いだせずにいます。どこの茶会で……わたくしは貴方と出会ったのですか、教えてください」


 言葉を発すると、同時に目頭がじんと熱くなる。

 堰を切ったように感情があふれてくる。


 少しでも気を抜くと、幼い子供みたいに顔がぐしゃぐしゃにゆがんで涙があふれそうになってしまう。


「お願いですから、最期になにを言おうとしたのか……続きを教えてください」


 まだなにも聞けていない。

 まだなにも貴方のことを理解できていない。


 だから。

 だからどうか目を覚まして教えてほしいと。


 エミリーは神にすがるような気持ちで、震える手でマルスの手を握りしめた。


 しかしどれだけ祈ろうとも、神がその願いを聞き届けることはない。

 マルスの目が、ふたたび開くことはない。


「2度も助けてもらっておきながら……なぜわたくしは貴方を一度すら助けられないのでしょうか。なぜこんなにも無力なのでしょうか。どうか目を開けて、わたくしに教えてくださいませ」


 夜会の日、心も体も傷ついたエミリーにやさしく手をさしのべてくれた。彼にとっては些細なことだったのかもしれないけれど、婚約破棄された直後のエミリーにとってどれだけの救いになったか。


 そして侯爵家の襲撃の日、シリウスにふいうちされたエミリーを颯爽と現れて助けてくれた。彼の助けがなければ、エミリーはあのときに死んでいただろう。文字通り、マルスは命の恩人なのだ。


 そんなふうにこれまで助けられてきたというのに、彼がまさに天に召されようとしているいま、なにもすることができないでいる。


 それがひどく、悔しかった。


 それがひどく――やるせなかった。


「……」


 エミリーの蒼玉石(サファイア)の瞳に真珠のように大きな水滴がいくつもたまり、やがて頰をつたって流れ落ちた。


 そしてぽたり、と。

 こぼれおちた雫が、エミリーの手に落下し――




「!?」




 瞬間――()()()! と。

 エミリーの手が、まばゆい純白の輝きに包まれた。


「これは……!?」


 輝くような白い魔力。

 間違いない。ジェニファーの魔法を打ち消したときに放出されたあの魔力だ。


 封を解かれたかのように、エミリーの体からその白い魔力があふれてきた。

 すべてを包みこむような――あたたかな太陽のごとき魔力であった。


 とめどなく流れてくるその魔力は、エミリーの体をまたたくまに包みこんだ。




(これなら……もしかしたら)




 自身の両手を見つめ、ごくりと唾をのむ。


 この生命力に満ちあふれた聖なる魔力を使えば、もしかしたら生命力の枯渇したマルスの息を吹きかえさせることもできるかもしれない。


「……」


 自分にできるのか?

 いや――()()()()()()()()


 エミリーは聖女という立場から隠してはいたが、昔から卑屈な性格だった。いまもその性格は変わらず、独力で自分を信じられそうもない。


 けれど彼が――マルスが、エミリーを聖女だと言ってくれたのだ。




(貴方が信じてくれた自分(わたくし)を、信じます……!)




 エミリーはマルスの胸へと両手をかざした。

 直後。さきほどとは比べものにならない光があふれ、マルスの体を包みこんだ。


(お願いです……どうか!)


 エミリーは願った。


 彼がふたたび目を覚ましてくれることを。

 また優しく微笑みかけてくれることを。


 ただ、それだけを――――願った。




「……ッ!」




 エミリーの想いに呼応するかのように、光はそのまぶしさを増していった。牢は白い光に包まれ、いつしか視界がホワイトアウトしてしまう。


 それからどれほどの時間が経ったころだろうか。

 一瞬のことだったのか、あるいはもっと時間がかかっていたのか、無我夢中だったのでわからない。


 光はふいに、とぎれた。

 やがてあらわになったマルスの表情は、心なしかおだやかになっていた。




「……()()()




 

 マルスは端正な眉をひそめ、うめき声をあげた。

 慌ててマルスの手をとると、わずかにぬくもりが戻ったことに気づく。


「マルス……さま?」


 おそるおそる、エミリーは彼の名を読んだ。


 彼がふたたび動かなくってしまうのではないか。眼前の光景がすべて幻なのではないか。そんな不安と恐怖を打ちはらうように、彼の手を握りしめた。


「……、」


 やがて、マルスはゆっくりと目を開く。


 そしてとても人に見せられそうもないような涙でぐしゃぐしゃのエミリーの顔を見あげ、いつかのようなおだやかで優しげな微笑をうかべた。


 永遠に目覚めぬ呪いをかけられた英雄が、永劫の時を超えてついに目を覚まし、ふたたび愛するものにめぐりあえたかのように。




「貴方は……まぎれもなく、聖女だ」




 彼がそう言葉を発した瞬間。

 エミリーは、マルスをぎゅっと抱きしめていた。


 それが幻でないのをたしかめるように。

 マルスの胸に強く、すがりついてしまっていた。


 マルスはおどろいたように目を見開き、しかしやがてエミリーの背に手をまわすと、華奢な体をそっと抱きしめてくれた。


 ぬくもりが、エミリーを満たした。


 再会のよろこびを噛みしめるように。

 しばし二人は言葉もなく、ひしと抱きしめあった。




「……」




 気づけば二人の牢には、淡い水色の花弁を持つ花々が咲きみだれていた。


 聖女の覚醒を祝福するように。

 あるいは、そう――ちっぽけな二人が起こした奇跡をただただ称賛するように。


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