やくそくのとき(5)
世界は一変してしまった。崩れ落ちた都市の廃墟が、地平線の彼方にまで続いている。アルは空を見上げた。雲の隙間から、陽の光が指し込んでくる。そこを飛ぶ魔女の姿は、もう当分の間は見ることがかなわないだろう。
念話が使えなくなったので、今の母星の状況を正確に知ることは難しかった。それでも途切れ途切れの機械通信によって、世界がどうなってしまったのかの概要はなんとか掴むことが出来ていた。
大型都市の七割は、タイソエイの破片やその余波によって壊滅した。大規模な破壊を免れた国であっても、ほとんどの政府組織は致命的な打撃を受けていた。まともに機能しているものは、一つとして存在していない。被災者、難民の総数は多すぎて不明。救助の手は、世界の各地で圧倒的に足りていなかった。
そして事態を更に深刻なものにしているのが、惑星単位での魔素の枯渇だった。
魔女もワルキューレも、魔素がなければ魔力を行使出来ない。星喰みは母星に満ちていた魔素を、根こそぎ破壊の力へと変換してしまった。生命の力そのものである魔素を失って、母星は急速にその環境を生存に適さない形へと変化させつつあった。
長い時間をかけさえすれば、魔素は生き物の内部から再び大地に満ち始める。それはかつて人工の大地、ワルプルギスでの実験によって明らかになっていた。しかしその規模が、母星全体となってしまってはどうだろうか。この星が再び魔素の力によって覆われるまでにどれだけの時間を要するというのか、見当もつけられなかった。
そして問題は、魔素だけではない。星砕きは全滅した訳ではなかった。星砕きが活動をするのにも、魔素は必要不可欠なものとなる。地球からの増援が到達すれば、星砕きはそこから補給を受けて再び侵攻を開始するに違いなかった。
そうなれば、もはや母星にはそれを防ぐ手立てはない。いや、そんなことになる必要もない。この星で人類が生きていくのは、充分すぎるくらいに過酷なものとなりそうだった。
「アル」
背後から声をかけられて、アルは振り返った。傷だらけのアリサが、片足を引きずりながら近付いてくるところだった。慌てて駆け寄って、肩を貸す。こんな姿になってしまってまで、アリサはアルの命を助けてくれた。星喰みの爆心地にいて、生きていられること自体が奇跡だった。
アルの放った星喰みは、この星を救ったといえるのだろうか。目の前に迫った直近の危機であるタイソエイを破壊することには、確かに成功した。ただしその代償はあまりにも大きかった。人類だけでなく、魔女たちまでもがこの先どう生きていけば良いのか。その希望を見失いつつあった。
他に出来ることは、何もなかったのか。星喰みの力を、もっと上手に制御することは出来なかったのか。後悔をしだせばきりがない。アルはアリサの方にかけた掌に、ぐっと力を込めた。
この世界を、こんな風にしてしまったのは――アルの責任だ。
その場で泣き崩れてしまいそうになるのを、アルは必死になって耐えた。嗚咽と共に、吐き気がこみ上げてくる。このまま、ここで死が訪れるのを待つしか手はないのか。アリサと手を取り合って、お互いに苦しむ姿を見ていることしか出来ないのか。それが、そんなのが。
母星に住む者たちに認められた、最後の運命なのか。
「大丈夫だよ、アル」
アリサの声は、力に満ちていた。アルが顔をあげると、アリサは笑っていた。このどこまでも続く絶望の中で、毅然としてアルの瞳を見つめ返していた。
二人には、もう何もない。故郷も、家族も、友人も。魔力も、魔素も。二人を取り巻く世界自体も、緩やかに最後の時を迎えようとしている。
それなのに、アリサは希望を亡くしていなかった。今と、明日がある。どうしてそんな、真っ直ぐな目をしていられるんだ。アルはアリサから手を離した。よろよろと、おぼつかない足取りで二、三歩たたらを踏んで。力をなくした愛しい魔女と、滅びゆく世界の只中で対峙した。
「アリサ、僕たちはもう――」
アルには、判らなかった。アルたちは失敗したのだ。母星はもう、死んでいくしかない。ほんの僅かな時間、苦しみが伸びただけだ。それをやったのは、アルだ。自分の中にある正義を信じて、アリサや、他の人類みんなを巻き込んで。このどうしようもない結果を招くだけで、何一つ成し遂げることが出来なかった。
戦いは、星砕きの勝利だった。母星に生きる者たちは、滅びる。それが一瞬であるか、数年であるかの違いでしかない。
アルは拳を握り締めた。血が滲んで滴って、廃墟の中に染み込んでいく。アルのこの足の下にだって、無数の人の命が埋もれている。これが、最後だ。流刑地に送られた、壊すことしか出来ない哀れな劣等種の行く末――
「アル」
それでも、アリサの言葉には強い意志が込められていた。諦めていない。『魔女の真祖』から千年以上の時を経て、魔女たちはずっと受け継いできた。その御心を。願いを。
たとえ全てが失われたとしても。
愛し合う二人がいるのなら、そこから花は再び開く。
ならばきっと、母星は助けられる。
何故なら――
「Don't be true」
ここには、アルと、アリサがいるのだから。
目が覚めて最初に感じたのは、『恥ずかしい』という気持ちだった。手を握って、一晩眠ったこともあるというのに。それと比べれば大差はないのかもしれないが、やはり色々と『特別』であることに違いはなかった。
ユミコが寝ているのは、マンションの普段は使わない主寝室だった。掃除のために立ち入ったことは、今までにも何度かある。キングサイズのベッドは、設置されてからこっちまともに機能したことは一度もなかったはずだった。
夕食にシャワーと、テルアキはちゃんとユミコの準備を待ってくれた。どことなく手慣れた感じなのが、少々気になるところではある。しかし考えてみれば四十を超えた男がそういった経験の一つもない、というのもおかしな話だった。ユミコはテルアキに全てを委ねて、優しく最後まで面倒を見てもらった。
ことを終えると、テルアキはユミコを強く抱き締めてきた。汗にまみれたテルアキの胸板に顔を押し付けると、ユミコの内側は幸せな感情でいっぱいに満たされた。ああ、これ、良いな。好きな人と愛し合って、一つになれたという達成感。ちょっとだけ、癖になってしまいそう。大学にはまだ二年以上は通わなければならないのだから、溺れてしまわないように気をつけておかないと。
世の中の他の愛人契約というものがどういうものなのか、ユミコには判らなかった。やはりお金が主たる目的で、もっとドライであったり、逆にドロドロとした関係であるとネットで調べると書かれている。ヨリが心配しているような愛人関係とは、そういったあり方のことだろう。
ユミコとテルアキは、それとは違っていると断言出来た。だって、愛してる。半年という準備期間を使って、ユミコはテルアキという男性を理解して、愛せるようにまでなっていた。それを狡猾な手口と呼ぶのなら、確かにそうかもしれない。ゆっくりと時間をかけて、ユミコはテルアキという男に飼われることを受け入れてしまった。それどころか、自分から望んでしまった。
「ユミコさん、おはようございます」
テルアキが、むくりと上体を起こした。シーツが落ちて、逞しい上半身が顕になる。ユミコは思わず赤面した。少し前なら、何とも感じなかったはずなのに。今ではそれが、急にユミコが女であることを意識させてくる。さっきからユミコは、本当にどうかしていた。
「お、おはようございます。あの、朝のご奉仕とか……」
「ああ、いりませんよ。昨日も言ったじゃないですか。無理はしなくて良いです」
愛人は、ご主人様に対してあれこれと身体を使った『ご奉仕』をするものだ。ユミコもそういう無駄な知識だけは、一応一通りは仕入れてあった。実際にテルアキの愛人になった暁には、そういったこともきちんとこなすのだという覚悟は持っている。昨日の夜、ベッドの上ではちょっとした醜態を晒してしまっていた。今度は上手くやろう、と心構えだけは作っておいたのだが。
「講義は午後からなんですよね。ユミコさんはまだゆっくりとしていてください。朝食は俺が用意します」
ふわり、とユミコの髪をひと撫ですると、テルアキはベットから降りてテキパキと着替えを済ませてしまった。身体の調子がちょっとおかしいと感じるのは確かだが、ユミコはぽかんのその背中を見送るしかなかった。ええっと、愛人って、もうちょっと蕩けるような、というか。水っぽい印象だったんだけど、違うのだろうか。
テルアキの好意に甘えて数分ほど微睡んだ後で、ユミコはダイニングの方に向かった。美味しそうな、チーズの焼ける匂いがする。ピザトーストだ。それに、いつものコーヒー。テルアキがユミコの姿を見て、にっこりと笑った。最高の一日の始まりだった。
「テルアキさん、愛人って、こんなんで良いんですかね?」
ご主人様に金銭的に補助して貰う代わりに、身の回りの世話とか、その、性的な行為とか。そういったサービスを提供するのが所謂『愛人』なのではなかろうか。
それに比べてユミコは、朝起きてから寝坊はさせてもらうわ、食事の準備はしてもらうわで、至れり尽くせりだった。テルアキに対して、何一つ提供出来ている気がしない。世の中の他の愛人の皆様に、失礼になったりはしないだろうか。
「前にも言ったじゃないですか」
テルアキはピザトーストの皿をダイニングテーブルに置くと、ユミコの方に歩み寄ってきた。テルアキの気配と、匂いを感じる。そうそう、この人のものになったんだった。ユミコは自然とテルアキに向かって倒れ込んだ。不思議だ。抱き止めてもらうところまでが、決まりきった一つの所作として成立している気がした。
「ユミコさんがいてくれるだけで、俺は幸せなんです。末永く、大事にさせてください」
六ヶ月の猶予期間は、テルアキの心にも様々な変化をもたらしていた。人生の激流の中で掴んだ一本の藁は、かけがえのない命綱と化した。決して消えることのない、新しい家族の源。テルアキにとってユミコは、愛人などという言葉だけで済まされる関係の女性ではなかった。
身体が触れているだけで、昨夜のことを思い出してユミコは恥ずかしくなってきた。
まさか自分が、あんなにテルアキを求めてしまうとは思いもしなかった。好きだという感情が溢れてしまったのは仕方がない。想像していたよりも肉体的につらくなかった、というのも要因の一つだった。
しかしそれにしても、だ。初めての女性としては、あまりにもはしたなかったのではなかろうか。特に他にも女性経験のありそうなテルアキの目には、ユミコの痴態はどう映ってしまったのか。それを考えると、ユミコは今にも叫び声を上げて部屋の中を暴れ回りたい気分だった。
「あの、テルアキさん。ご飯、食べましょう」
コーヒーが冷めてしまう前に、それを飲んで落ち着きを取り戻したかった。せっかくテルアキが準備してくれたのだし、朝の甘々な時間は食卓ですごすべきだ。ユミコの言葉を聞くと、テルアキはするり、とユミコの身体から離れた。そのまま上品に背中に手を回して、エスコートする。さながら、お姫様を扱うみたいに、といった感じだ。
「了解しました。積極的なユミコさんも、俺の好みですけどね」
「なっ!」
ご主人様は、ちょっとだけ意地悪だった。食事の後で、ゆるゆるとデザートを頂くつもりだ。愛人なのだし、それを求められたのならば逆らうことは出来ない。お気に召すまま、お望みのままに。
ソファで新聞を読んでいるテルアキの背中に寄りかかって、ユミコは文庫本を開いていた。何ともあっさり風味なスイーツだ。テルアキがこれをご所望だというのだから、ユミコには何の文句も言えなかった。
お昼になったら大学にいって、ヨリに報告をしなければ。週末には『翡翠の羽』か。しばらくはそんなことばかりで、忙しくなってきそうだった。
お正月にはいよいよテルアキを連れて、実家に顔を出しておく必要がある。気が早いかもしれないが、あの父親が生きているうちに挨拶ぐらいは済ませておくべきだろう。いきなりだと間違いなく心臓にとどめを刺してしまうから、何らかの方法で遠回しに事情を説明しておかなければ。
「ユミコさん」
うんうんと悩んでいるところに、テルアキに名前を呼ばれた。はいはい、と身を起こしてそちらの方に顔を向ける。テルアキは二十二歳も年上なのに、中身にはまだ子供じみた部分が残っている。それを察して優しく受け止めてあげるのが、愛人であるユミコの役目だった。
「テルアキさん、好きですよ」
ちゅっ、と唇を触れさせる。忘れた頃に確認しておかないと、気が気ではないのだろう。しっかりと自分のものにまでしてしまったくせに。困った人だ。
テルアキはそれで満足したのか、また新聞に視線を戻した。ユミコもすぐに元の体勢に戻って、文庫本の続きに目を落とす。内容がちっとも頭に入ってこない。ああそうだ、実家だ。父親もそうだが、ヒロキはテルアキを見て何と言うだろうか。想像するだけで面倒臭くなってきた。
――もう、いいか。
手紙でもメールでも、端的に事実だけ告げてブッチしても構わないだろうか。ユミコの気持ちはもう決まっている。反対されようがどうされようが、何もかもは手遅れだ。どうにでもなってしまえ。
月緒ユミコ――愛人契約、はじめました。
第10章 やくそくのとき -了-
本編部分はここまでで終了となります。
後はいくつかのエクストラエピソードをお届けいたします。




