やくそくのとき(3)
収束した力が、光の奔流となって空の彼方へと吸い込まれていく。惑星を砕く大質量物体であるタイソエイを貫いて、星喰みは更にその勢いを増していった。
「アル、もう充分だよ!」
アリサが悲鳴を上げた。アリサの身体を通して、母星の魔素が吸い上げられて打ち出されていく。既にタイソエイは崩壊を始めていた。後は砕けた大型の破片を処理しなければ、母星中に被害が広がってしまう。それには星喰みの放出を止めなければならなかった。
宇宙空間では、星砕きが大混乱に陥っていた。魔素の持つ力を最大限に活用し、究極の破壊をもたらす星喰みの技術は地球では失われて久しいものだ。それがこんな辺境の、それも流刑地の避難惑星などに残されていた。魔女の真祖が残した、最後の遺産だ。隕石砕きをものともしなかった防御壁を破られて、無数の命がなす術もなく真空の宇宙空間に散っていた。
「ダメだ……制御出来ない!」
アルの持つ砲身から、火の手が上がった。そのまま小さく爆発して、アルはアリサのホウキから転落した。
「アル!」
咄嗟に追いかけようとして、アリサもまた、ぐらり、と体勢を崩した。おかしい。魔力が上手く操れない。
――魔素が、吸い取られてる!
気が付いた時には、もう手遅れだった。これが星喰みの真の力だった。星に満ちた全ての魔素を、破壊のための光に変換する。タイソエイの残骸が降り注ぎ始めたニューワージの上空で、アリサはそれでも必死になってアルの姿を追いかけ続けた。
「フミノ隊長、魔素が足りません。破片の追跡続行不能」
「落ちる、うわ、うわぁぁぁああ!」
「全機、現在の状態を維持したまま地上に下降せよ。自己の生存を最優先に」
「タイソエイが、落着します!」
もう自由落下と変わらない。それでも、アリサはアル目掛けて加速した。自分の中にある魔素が、急激に減っていくのが判る。仮にアルに手が届いたとしても、助かることは難しいかもしれない。
「アル!」
だから、なんだ。ここでアルと一緒にいられなければ、アリサが頑張ってきたことは皆意味をなくしてしまう。母星を守るため。星砕きを倒すため。アリサから何もかもを奪っていった者たちに、復讐を果たすために。
それが全て終わって、その先に残るものは――アルしかいない。アリサが命をかけて戦ってこれたのは、アルがいてくれたからだった。たとえ世界がどうなってしまったとしても、アルだけは傍にいる。アリサと並んで、母星の大地の上に立って。
明日を、未来を……創ってくれる。
「アル! 手を伸ばして!」
満身創痍のアルの掌を、アリサは力強く掴んだ。もう、離さない。絶対に。引き寄せて、抱き締めて。その背後で、星喰みが最後の輝きを放った。
その日、母星から全ての魔素が消失した。魔女たちはその魔力の源泉をなくしてしまった結果、ある者は虚空に取り残され、ある者は地面に叩きつけられて命を落とした。いくつかの破片に分解したタイソエイは、母星本体に致命的な打撃を与えることはなかった。その代わりに、人間の都市が受けたダメージはあまりに深刻だった。
指揮系統を失った星砕きは、魔素の補充を受けることがかなわず、母星を周回する月の一つであるボダラクに身を潜ませた。そこでまた気の遠くなるような年月を眠りに費やして、地球からの増援が到着するのを待つ算段だ。それを探し出して追撃するような力は、魔女にもワルキューレにも残されていなかった。
今はそれよりも、一人でも多くの生存者を探し出すこと。魔女であろうが何であろうが、関係ない。この母星の上で、生き抜いていく。
それが、最優先の課題だった。
短大の講義が始まると、客足は自然といつも通りの水準にまで回復した。経理を担当しているフミカの顔にも、笑顔が戻っている。チカは学校が始まっているので、平日のランチタイムはケンキチが一人で回す必要があった。カウンターの端っこですっかり置き物と化しているテルアキが、何かの役に立ってくれるのなら良かったのだが。
オーナー様は結局の所、二週間ばかりの日々をグダグダと悩んで過ごすばかりだった。チカももう、相手にもしていない。毎朝開店と同時にやってきて、軽食を頼んでもそもそと食べて、日が暮れる頃には帰っていく。「待ってたってユミコさんはこないよ」と、よせば良いのにチカが辛辣なツッコミを入れていた。
「よお、いよいよ約束の日は超えたんだが。これは根負けってことになるのか?」
テルアキとユミコが愛人になるという日は、ついに昨日になってしまった。特別に何かがあった訳でも、お祝いごとも何もない。いつものように夜が明けて、いつものように終わっていった。何気ない日常の一部として、その特別な記念日は通り過ぎていってしまった。
「部屋の名義を、俺からユミコさんに切り替えてしまおうと思ったんだが。当たり前だけど上手くいかなくてね」
そんなことを嘯いて、テルアキはその日何杯目かも判らないアイスコーヒーに口をつけた。テルアキの部屋に、ユミコがいるという状況だけを回避しようとしたのか。小手調べも良いところだ。仮にそれが出来ていたとしても、ユミコが納得するとは到底思えないやり口だった。
「ユミコさんとは連絡をとっているのかい?」
「いいや。向こうからも何もない。多分まだ、マンションの部屋にはいると思う」
ユミコが未だにマンションの部屋に居座っていることは、フミカやチカを通して判っていた。後はお互いに、意地を張っているだけという状態だ。ユミコは気が強くて頑固な性格をしているし、テルアキもこうなってしまうとなかなかに面倒だった。
「テルアキ、お前さ、いい加減腹くくれよ」
――恋がしたかった。
テルアキのその願いを、ユミコは見事なまでに叶えてくれた。二十二も年の離れたテルアキに対して、真っ直ぐに正面から向き合ってくれて。半同棲の生活を続けることで、温かい恋の感情をテルアキの中に芽生えさせた。
「恋愛っていうのはさ、相手がいて初めて成立するもんなんだよ」
ユミコに感じた淡い想いは、テルアキの中だけにあったものではない。テルアキがユミコを大切にしようとする気持ちは、ユミコの内でも小さな花を咲かせていた。
ユミコは、テルアキに恋をした。愛するようになっていた。
この人なら、信じられる。それは理屈ではない。一緒にいて、自らの肌で感じ取った本能みたいなものだ。フミカがケンキチに引き寄せられたのと同じ。全てのものは、収まるべきところに集まるように出来ている。その感覚を、ケンキチは何となくだが理解出来る気がした。
「お前がやったことに責任を持ちたいなら、やれることは一つしかないんだ」
そういえば、半年くらい前もそうだった。こうやって店のカウンターで一人で沈んで、テルアキは何も動こうとしなかった。フミカが「あの暗いの、邪魔」と、オーナーでなければ叩き出しているとまで豪語していた。
そんなテルアキに――ケンキチは春も近付いてきたある日、こんな提案をしたのだった。
「ほら、気分転換にこんなのはどうだい?」
テルアキの目の前に差し出されたのは、映画のチケットだった。夏の終わりの方であれこれと公開された話題作の一つだ。ユミコと観にいく約束をしていたのが、ドタバタとして結局お流れになっていた。それなりに人気が出たお陰か、上映はまだ続いている。今からなら、乗り遅れた人間か余程の物好きしかいないのでガラガラに空いていると思われた。
「チカちゃんにやろうかと思ってたんだがな。時期を外して夏休みが終わっちまった。平日に暇してるお前にはぴったりだろう」
ここで腐っているよりは、少しはマシな時間の使い方であると言えるだろう。映画鑑賞はユミコと出会って、ようやく見つけられた趣味らしい趣味でもある。家に帰っても、どうせ寝るしかやることはないのだ。
テルアキは映画の券をそっと指先でつまんだ。
「いぇーい、おめでとう」
かちん、と烏龍茶のグラスを触れ合わせた。気分的にはアルコールがあっても良かったのだが、そこまで盛り上がれないという事情もある。今それをやると、ユミコはヨリを相手に延々と愚痴を語ってしまいそうな予感がしていた。
「おめでとう、なのかどうかは判らないけど」
チェーンの居酒屋の、隅の方にある座席でユミコはヨリと二人で祝杯を上げていた。大学の後期課程が始まって、いよいよユミコは約束の期日を超えてテルアキのマンションに居続けた。これにて、契約条件は満了。晴れてユミコは、テルアキの愛人となった。
……ということで、良いのだろうか?
テルアキからは、電話もメッセージも何もなかった。それならそれで、ユミコからも言うことはない。自分がムキになっているとは思ったが、だからといってどうすることも出来なかった。
とにかく、ユミコはテルアキの愛人だ。これからもあのマンションで生活するし、テルアキの傍にいる。金銭的な事柄については、とやかく言うつもりはない。テルアキがユミコの存在を認めてくれるのならば、それで。
そこまで考えて、ユミコはじわり、と涙が滲んできた。
「やっぱり私、迷惑かな……」
時間が経って冷静な思考が戻ってくると、ユミコにもテルアキの意図していたことが段々と理解出来るようになってきた。金持ちの中年男性に、養われているという事実。ユミコとテルアキが並んでいれば、そういった世間の目は常に突き刺さってくる。二人の気持ちがどんなに真剣なものであったとしても、貼り付けられたレッテルはそう簡単には剥がせなかった。
テルアキはユミコにそんな醜聞がついて回ることを、良しとは出来なかったのだ。ユミコのことを、それだけ大事に想ってくれた結果の行動だともいえる。
ユミコの生活を支える、パトロンという立場にはあり続ける。ただし、『愛人』という関係からは一歩引いておきたい。男と女としてユミコの近くにいるという状態だけは、解消しておきたいという意思だった。
「良いんじゃないの。今のユミコは、お金目当てじゃないんでしょ?」
ヨリの言う通りだった。ユミコが欲しいのは、パトロンなんかではない。お金だけの関係なら、こんなに思い詰めることはなかった。それなら最初から、マンションの部屋で暮らそうだなんて思わない。ユミコがテルアキに求めているのは、もっと素直な感情のあり方だった。
テルアキは自分に、財力以外の何もないことを気にしていた。あるなら、それで良いじゃないか。それすらも持たない人間は、世の中にごまんといる。ユミコに声をかけて、興味を引くだけの材料は所持していたのだから構わないだろう。
入り口は確かに、色々な条件がそろっていただけの、あまり褒められたものではなかったかもしれない。
でもユミコの中には、しっかりとテルアキへの好意が生まれていた。今なら、胸を張って言える。ユミコは、テルアキのことが、好きだ。一人の女性として、テルアキという男性を愛している。
年齢とか、職業とか、出会いとか。そういうところは、何度考え直してもあまり問題とは思えなかった。これでたとえばテルアキが既婚者とか、裏社会と付き合いがあるとか、お金で数々の犯罪を揉み消しているとかだったら、流石のユミコも二の足を踏んでいる。
しかし実際にはテルアキはれっきとした独身であり、善良で良心的な部類に入る投資家であり、犯罪行為とは真逆な生活を送っていた。ユミコへの対応も常に紳士的で、いつでも律儀すぎるくらいに約束を守ってくれる。お金だけではなく、ユミコが毎日を快適に暮らせるようにと、常に気配りを絶やさなかった。
そんなテルアキだから、恋をしても良いと思った。いや、知らない間に好きになっていた。お金があることを鼻にかけないし、会話も自然で知的で面白い。考え方の波長も合う。特に映画の話題になると、時間を忘れて語り合ったりもした。
――ダメだ。
ユミコは目を閉じると、ふぅ、と息を一つ吐いた。今はテルアキのことを、どうこねくり回しても肯定的に捉えてしまう。これはこれで、冷静ではない。ちゃんと落ち着いて、ユミコとテルアキの今後について考えを巡らさなければ。
いつまでも、こんな状態でいて良い訳がなかった。テルアキのマンションを半ば不法に占拠して。自称愛人を名乗って。ユミコは一体、何をしようとしているのだろうか。
いよいよその期日は過ぎた。契約が生きているのなら、ユミコはテルアキの愛人となっている。ただし、テルアキがそれを正直に認めれば、という条件付きだ。ユミコはテルアキの『愛人』になりたいのか。それとも――
「ユミコ、ちょっと気分転換してきた方が良いんじゃない?」
ヨリにそう言われると、確かにその方が良いのかもしれないと思えてきた。ここ数ヶ月はあまりにも沢山のことがありすぎて、気の休まる暇がなかった。考えがまとまらなくても不思議ではない。大学も始まっているし、何らかの方法で精神的なリセットを図りたかった。
「今、良いもの持っててね」
バックの中から出てきた映画のチケットを、ユミコはぼんやりと見つめた。この夏の話題作。そういえばテルアキといくという約束が、反故になって宙ぶらりんのままだった。




