その前に、彼女フィスク・ジュビリーが誰であるかを話さないといけない
フィスク・ジュビリー、愛称フィズは国際情勢では中堅どころのウィリアムズ弁護士事務所のシニアアソシエイトです。
当時の彼女の上司に紹介されたのは彼女が事務所に入所したばかりの駆け出しの頃だったので、もうかれこれ五年程度は付き合いがあることになります。今回辺りこの案件を独力でクロージングまで持っていければ、次のクラスへプロモーションするくらいの年次でした。
プロモーションの暁には彼女も部下を持つようになるのかもしれません。
そうなったら、どのような上司としての顔を見せるのか楽しみだなと。フィズと駅で待ち合わせをすませ目的の列車に乗り込んで、荷解きを終わってから思いました。
手持ち無沙汰になって、外の景色へと視線を転じます。
そこには区画整理された葡萄畑が広がっていました。ちなみに列車で目的地のトゥルッリ中央駅までは約一日の距離があります。
正確にいえば二十時間ほどの旅路の前半はずっとこの景色が御伴になります。他に目を楽しませるのは、その遥か先に聳える青々とした木々の生い茂る深い山々でしょうか。
しばらく眺めてから、ウェルカムドリンクとして用意されていたシャンパンを飲み干すとカーテンで仕切った隣のスペースへと足を運びます。
「フィズ、入っても大丈夫かな?」
「はい、ちょっと待ってください」
フィズの入るコンパートメントの前まで移動して声をかけました。ちなみに僕達の客室は三号室で中をカーテンで区切って半分ずつスペースを確保しています。一等はこの列車の編成では六室しかないので、これは非常に興味深い点でした。
半官半民のスフラハーフェンセントラル社が運営しているこの鉄道で一等列車に乗る場合は、金子とともにそれ相応の位階かコネクションを求められるのです。今回僕たちが一等室に乗っているのは契約士の地位を利用しているためでした。
契約士という特殊技能保持者は近年、国家における官僚制度に包含されたため、どこでも大概は三等官あるいは四等官相当として扱われます。
帝政国家とそれに続く国民国家の誕生といった政治情勢の変化により、近年大きく変化するかに見えた軍の位階と、貴族位、官僚制は柔軟に融合を果たして国際レベルでの位階制度を確立させました。
つまり、国際協定に参加している国家によって認定された位階があれば、あとは相手組織に対して位階に応じた階級の待遇を要求できるという形になっています。
三等官であれば軍事組織を相手にする場合には中将待遇に、貴族位で伯爵待遇です。外交上も主席大使相当となります。
列車のコンパートメントの等級は事前に購入するチケットによって決定されますが、部屋番号自体は当日にならないとわからない仕組みになっています。
この場合だと、乗客名簿を持っている一等車担当のドアマンが僕たちよりも位階が上位と判断する人間が二人かあるいは二組乗車しているということになります。国内線にも関わらずです。
食堂車などで面倒なことにならないことを祈りつつ、事前にフィズが収集しているであろう情報を共有してもらうつもりです。車窓を眺めながら待っていると入室の許可を出すフィズの声が聞こえてきました。
「もういいですよ」
「お邪魔します」
「はい、どうぞ」
大型トランクと小型トランクがそれぞれ一つずつ邪魔にならないところに置かれていました。
部屋の中の私物の配置からやはり旅慣れているなとぼんやり思います。内装は僕の部屋と変わるところはなく、全ての設備が線対称になっているくらいでしょうか。
シルクサテン地のアフタヌーンドレスに着替えていたフィズにドレスのコバルトブルーの色合いがとても似合うね、と声をかけ用事がある旨を告げました。
「それで、どうされたんですか」
「フィズが持っている情報と交換したくてね。主にお隣さんたちの情報について」
「危うきに近寄らずですか、そのあたりは旅程中でも抜かりないんですね」
フィズが微笑みを浮かべ、手帳を取り出して頁をめくり始めます。
手帳には几帳面そうな文字が書かれていますが、どちらかというと図画やスケッチらしく物のほうが多いです。彼女は単位認定の基準が厳しいことで著名なナポリ大学法学部をストレートでかつ十位以内の席次で卒業して入所していると以前聞いたことがありますので。その勤勉さは仕事を始めても失われなかったようです。
ナポリ大学はフェディリコ二世により創設された大学で、この御仁は契約士とも密接な関わりのある希少な皇帝として多少歴史をかじった人間にとって有名だった。
教科書的なナポリ大学設立の意義は、世俗の権力として初めて高等教育機関を設立したというものであるのですが、その裏で大学を拠点に宗教勢力から攻勢を受けていた魔女や魔法使、それから契約士を保護して現在に至る第四の権力である魔法の基礎が築いたということの方が今日では大きな意味合いを持ちます。
というのも当時の大学は高等教育を求める裕福な貴族や商人の師弟が自主的に集って立ち上げたものかあるいは宗教勢力によって築かれたもののみだったからです。その点で革新的とも言えました。
「乗っているのは軍関係者と大臣級の可能性が高いです」
「根拠は?」
「ついている従者がそれぞれ少佐徽章、金色の飾緒、召還陣付きと、もう片方は銀時計組でした」
「海軍さんか。ポート・レコーズの視察かな」
内心でいくつかの可能性について考慮します。
金色の飾緒はスフラーヘンハーフェ共和国海軍における参謀職を表す軍服の装飾のことです。一方で銀時計組というのは人材を戦略的な資源として考慮するこの国が認定した高等教育機関における成績優秀者、主として席次が三番手以内で人格ともに優れる人材に授与される懐中時計を持っている者のことを指します。
高等教育機関であれば授与されるので、それだけではテクノクラートなのかビューロクラートなのか、はたまた別の職種につく人間なのかは判別できませんが、まあ護衛なりおつきなりをしているここでは特別な判断をする必要はないでしょう。
銀時計。それは官僚双六で特段の不祥事がない限りにおいてゴール付近まで進める特別な切符に等しいものです。数少ない例外を除けば、公務で大臣の主席随行官として同行するのは銀時計組の次官となります。
「可能性は高いです。いずれにせよそろそろ昼餐の時間ですので、食堂車に行きませんか」
「そうですね、ここでぐだぐだしていても仕方がない」
そう言って、片手を差し出してくるフィズの手をとって食堂車までの道のりを歩きます。二つ隣の車両にある食堂車に入りました。
食堂車は一人がけのアンティークタイプの椅子と木目調の美しいテーブルが向かって左手に三組、それから反対の壁側には同じ組数の二人がけソファとテーブルが置かれています。
各テーブルの上にはアロマキャンドルが置かれ、金木犀の香りが仄かに漂っています。結構好きな香りでした。
他の客人計六名はすでに席についていました。僕達を除けば内軍服が二名、正装が四名といったところでしょうか。全員が二人がけのソファに座っており、僕たちも二人しか座っていないソファの方へ誘導されます。
一等列車の食堂車は簡易な社交場であり、静かに食べて退出したい時にはあまり向かないといえます。
つらつらと考えながら、数秒観察しているとフィズから目配せがきたので、先に挨拶を済ませておきます。
「諸兄方。お初にお目にかかります。契約士のエギュベル・オードヴィならびにウィリアムズ弁護士事務所のフィスク・ジュビリーです。束の間のひと時ですが、なにとぞよろしくお願いいたします」
この後の自己紹介タイムで、六名の人となりを大枠でつかむことが出来ました。
ざっくりと纏めるのであれば、参謀本部の軍人二名(中将、少佐)および逓信省の大臣と次官、スフラーヘンハーフェ工科大学で交通工学を教えている教授と助手という組み合わせになります。
僕達はそのうち教授たちと同席となりました。
二人とも細い体つきをしているのに、非常に健啖家のようです。シェフのオススメコースのほか、単品でもいくつか注文を出しながらおしゃべりに興じましたが、内心どこに入るのだろうと別の心配をしていました。
また話題についても知識人らしくいろいろな話をする中で僕もいくつか有益と思える情報を得ることが出来ました。
「仕事でトゥルッリへ行かれるのですか?」
「ええ。物理的な要因のほか、政治的なそれでもクライアントが動けないことも多いですからね。なので僕達、契約士も弁護士も動き回ることが多いですよ」
「納得です。私とこの助手は船舶の貨物量が増えたということで、運輸省から発注された港湾関係者や税関担当者への大規模調査ですよ。本来は明日帰る予定だったのですが、臨時の政策調査研究会が入ったという連絡を数日前にいただきましてね」
「なるほど。以前、港湾関係者の方に伺ったことがあるのですが数年内に荷揚げ量が数十トンクラスまで伸びる余地があるとか」
ポート・レコーズの港湾設備は僕が滞在していた時分も大規模な拡張工事が進められていたので、あるいはもっと早い段階で伸びる可能性もあります。
教授は嬉しげに僕の推論に頷くと饒舌に話をし始めた。多少のアルコールが入っているからか、ややグレーゾーンの情報まで詳らかにしてくれるようです。
「伸びるでしょうなぁ。すでに港湾の荷揚げ設備の最新化に伴って、荷揚げ人夫を中心とした失業者が急激に増加しております。これを上は工場労働者、あるいはポートレコーズと工業地帯を結ぶ路線を複線化する工事に投入する予定だそうですわ。私も参加しております新都市計画案も練り直しですよ、実を言うとこの計画案の練り直しが緊急の研究会の議題なのですがね」
ある程度の守秘義務はあるだろうに旅の疲れからかあるいは個人の資質ゆえか饒舌に話す御仁に話題を合わせつつ、情熱に気圧されつつあるとフィズから火に油を注ぐような質問が飛び出てきました。
「エギュさん、スフラーヘンハーフェ共和国って製薬のほかは金融とかの第三次産業中心の産業構造だという風に私たちは習ったのですけれど、工場を増強するんですか?」
「スフラーヘンハーフェだからこそ、鉄鋼生産量は他の列強国に対してある程度の水準で保つ必要があるんですよ」
教授が話出す前に、助手の方から合いの手が入ります。
「といいますと?」
「いい戦略資源つまり交渉カードになりますし、何より産業の米です。近年国家の競争力を鉄鋼生産量で測る有識者も多くてですね」
前菜を終え、御代わりをもらった白ワインと併せて白身魚のムニエルを食べながら教授たちと世間話に興じます。
そうしていると、突然奥のテーブルがあわただしくなりました。
「中将?」
そちらを見やると、御付きの少佐が怪訝そうに中将の方を見ているようです。視線の先、中将は目を見開いたまま固まっていました。意識の混濁が認められます。
数瞬の後、少佐は給仕に水を持ってくるように言ったあと、中将を横たえて襟元を強引に緩めて気道の確保を始めました。
「フィズ」
「はい」
「中将の左手の小指の付け根にかすかだけれど魔術紋がある。暗殺みたいだ」
「正確には未遂ですね。まだ」
小声でフィズにだけ聞こえるように話しかけました。彼女の方も特段取り乱したりはせず、見ないうちに場慣れしたものだと感心しながら、今後の意思決定の為のおしゃべりに時間を割きます。
「首を突っ込むおつもりですか」
「突っ込むもなにも、一等列車に他のコンパートメントの乗客は立ち入らないんだしさ。僕達含めたここにいる人たちが最有力の容疑者じゃない」
正確には乗務員達もだが、特に同室の少佐は真っ先に容疑がかかるでしょう。ここで中将を助けられなかった場合にどこまで影響範囲があるかを考慮します。
少なくともああして必死になっている彼の出世コースとこの列車のしばらくの通常運行はその時点で閉ざされるのだろうなという所感を抱いていると推定します。
「不謹慎なこと、考えておられますか」
「多少は、ね。狙いはやっぱり物流網への影響と復旧速度の調査とかなのかな」
「はい?」
「いや、なんでもない。忘れてほしい」
まとまりきっていない考えをいったん頭の中のワークスペースに退避させて、フィズとの会話に意識を割きます。気づけば中将の介助に少佐だけでなく車掌もかけつけていました。
彼等が気道の確保と、人工呼吸を行っている様子を俯瞰しながら、僕も片膝をついてそのほかの外傷がないかを仔細に確認します。どうやらそのほかに目立った外傷はないようでした。
キャメルを用いた足の長い絨毯がしいてあるためか、衣服にも目立った乱れは見受けられません。
見て取った要件事実を反芻するために目を瞑って上を向く。肩や首を回しつつ息を吸ってゆっくりと吐きながら目を開けると、視線の先には木目調の豪奢な天井がありました。
これは、スフラーヘンハーフェに伝わる伝統工芸の木彫りと民話を再現したもので、食堂車であるここは水の精霊種とのかかわりをモチーフにしたデザインがなされています。
オーソドックスながら、確度の高い手を思いつきました。
「それで、助けられますか?」
心配そうなフィズの声。小声で返答しながら僕は立ち上がります。
「助けられると思います。いくつかの例外ケースを除けば。ひとまずは試してみましょうか」
移動は鉄道です。
寝台列車にはあこがれのようなものがありますが、北海道と上野を結ぶ寝台列車であるカシオペアや北斗星が廃止される、あるいは廃止予定などなかなか厳しいみたいです。
今乗るならサンライズ瀬戸・出雲なのでしょうか。




