第1話 灯りなど、誰でも点けられる
芯を、三分の一だけ切る。
鋏の刃が蜜蝋の粉を噛んで、小さく鳴った。炎が真っ直ぐに立ち直る。これで今夜、この一本は最後まで煤を出さない。明日の朝、侍女が肖像画を拭く必要もない。
「——灯りなど、誰でも点けられるだろう」
背中で、夫の声がした。わたくしは手を止めなかった。止めれば蝋が固まる。固まった蝋は、もう同じようには流れない。
「ええ」と、わたくしは答えた。「点けるだけでしたら」
燭台は十二。今夜の晩餐は八時に始まり、十一時に終わる。三時間のあいだ卓の端まで灯りを届かせるには、芯の長さを場所ごとに変えなければならない。窓際は短く、扉の近くは長く。それを六年、毎晩やってきた。
支度は日が落ちる二刻前から始まる。まず蝋の硬さを見る。夏と冬では同じ蜜蝋でも吸い方が違う。次に芯を測る。指の腹で撚りを確かめて、湿っていれば干す。それから十二本を並べて、置く場所の順に切っていく。
誰の帳面にも、その仕事は載っていない。費用が発生していないからだ。わたくしがやっているから。
「アンネリーゼ嬢は、灯りのことなど気にもなさらないそうだ」夫は言った。「そういうものだろう。誰も気にしない」
わたくしは十二本目の芯を切り終えて、鋏を置いた。
「では、離縁いたします」
コンラート・ドゥ・オルレンスは、しばらく黙っていた。
夫は有能な人だった。使用人にも礼を欠かさず、帳簿は一枚残らず頭に入っている。三年前の飼葉の値も、去年の屋根の修繕費も、諳んじて言える。
だから、わからないのだ。灯りの費用がどこにも書かれていない理由が。
「何を怒っている」
わたくしは怒っていなかった。怒るというのは、相手に届くと思っている人がすることだ。
「怒っておりません。ただ、点けるだけでよろしいのでしたら、わたくしでなくてよいと存じます」
「意地を張るな」
「張っておりません」
夫は少し笑った。取り合う価値もない、という顔だった。その顔を、わたくしは六年見てきた。
その夜の晩餐は予定どおり行われた。
わたくしは支度部屋へは行かなかった。行かなくても十二本はもう卓に立っている。切った芯は切ったままだ。
配膳の合間に、扉の隙間から広間が見えた。窓際の三本が先に短くなっていく。あそこは今夜いちばん風を受ける位置だ。だから芯を短くしてある。短い芯は炎が小さい。小さい炎は蝋を減らさない。減らさなければ最後まで持つ。
誰もそれを見ていない。見る必要がないからだ。灯りは点いている。点いていればそれでいい。
十一時に晩餐が終わった。十二本のうち、途中で消えたものは一本もなかった。わたくしは廊下からそれを確かめた。六年で最後の夜だった。
義母のベアトリクス様がいらしたのは、その翌朝のことだった。話はもう伝わっていた。この家では、悪い話だけが灯りより早く回る。
「馬鹿をお言いでないよ」
義母は扉のところに立ったまま、部屋に入ってこなかった。入る価値のない部屋だと思っておいでなのだろう。ここは灯りの支度部屋で、蜜蝋の匂いがする。
「あなたはオルレンスの名で六年暮らしたのです。手に職があるようにお思いなら、それはこの家で覚えたものでしょう」
「工房で覚えました。父の工房で、十四のときから」
「同じことです。あなたはもう、あの工房の娘ではありません」
わたくしは答えなかった。答えると長くなる。長くなると蝋が固まる。
義母は最後に一つだけ、確かめるように仰った。
「灯りの職人など、王都にいくらでもおりましょう」
「おります」
「では何も困りません」
「はい。何も困りません」
嘘ではなかった。灯り師は王都に何十人もいる。ただしその全員が組合に登録していて、登録している者には守るべき決まりがある。その決まりのうちの一つが、この家に効く。それを申し上げる義理は、もうなかった。
手続きに二日かかった。わたくしは何も要求しなかった。
持参金の返還も、住まいの手当も、慰謝の一枚も書かせなかった。書かせようとすれば、義母はきっと灯りの六年ぶんを値切りにかかっただろう。値切られるくらいなら、最初から数えさせない方がいい。
馬車に積んだ荷は、鞄がふたつ。それに、木箱をひとつ。
「その箱は、当家のものではありませんね」
義母が言った。玄関の石段の上から、荷を数える目つきで。
「はい」
「中身は」
「父のものです」
義母は箱を見て、それから手を振った。蝋燭の一本や二本、という顔だった。箱には、蝋燭は入っていない。
見送りに出たのは家令と、厨房のマルタだけだった。
マルタは前掛けのまま石段を下りてきて、布に包んだものをわたくしの手に押しつけた。まだ温かかった。
「奥様。今朝の分です」
「頂きます」
「あの」マルタは声を落とした。「厨房の裏の灯り、あれはどうすれば」
「二番目の棚の、細いほうを使って。太いのは煤が出ます」
「太いほうが長く保つのでは」
「保ちません。太い芯は蝋を吸いすぎるの。上がってきた蝋が全部燃えきらないから、余りが煙になります」
マルタは口を開けて、それから頷いた。六年勤めて、その話を聞いたのは初めてという顔だった。聞かせる機会がなかった。誰も訊かなかったからだ。
侍女たちは廊下の窓から見ていた。彼女たちを責める気はない。わたくしは公爵夫人で、六年のあいだ、夜になると支度部屋にこもって出てこない、少し変わった奥方だった。灯りが灯るのは当たり前で、当たり前のものに人の名前はつかない。
馬車が門を出るとき、家令が一度だけ振り返って言った。
「奥様。今夜の分は、どちらに」
「支度部屋の棚に、六日分だけ置いてまいりました」
「六日、でございますか」
「ええ」
それ以上は言わなかった。
残りは、もう作らない。作れない、ではなく、作らない。この違いを説明するには蜜蝋の話から始めなければならないし、それは今朝の石段でする話ではなかった。
この国では、等級のついていない蝋燭は夜会に出せない。家の格の問題で、味の問題ではない。オルレンス家の棚に残る六日分には、等級の焼き印がある。父の名の焼き印が。
七日目からは、どこにもない。
馬車は坂を下った。窓の外を、朝の荷車が上っていく。町の家々の窓はもう開いていて、どこも灯りは消えている。当たり前だ。朝だから。
夜のあいだだけ、家には灯りがいる。そして夜のあいだだけ、その家がどれだけ働けるかが決まる。良い灯りを持つ家は日が落ちても帳簿を閉じない。持たない家は日没で一日が終わる。この国の家の格というのは、つまりそういうことだ。
坂を下りきったあたりで、わたくしは一度だけ振り返った。
オルレンス公爵邸の窓には、まだ灯りが点いていた。三階の書斎、いちばん端の窓。あの部屋の一本だけは、六年間、わたくしが別に作っていた。等級の名簿にも載らない、売り物にならない一本を。
あの人は、たぶんまだ知らない。自分の書斎の蝋燭だけが、この家で一度も煤を出さなかったことを。
蝋燭の芯は、切ると炎が小さくなると思われがちですが、逆です。長すぎる芯は蝋を吸い上げきれず、余った分が煤になります。煙の出る灯りは、たいてい「切っていない」だけです。
次回、三年閉まったままの工房の戸を開けます。鍵はまだ回るでしょうか。
ブックマークをいただけますと、明日の夜のぶんの芯を切る手が速くなります。




