1 生まれ堕ちる
何があったのかはよくわからない。ただ、私を迎えに来たと言った緑色の目の人についていき、私は馬車の中にいた。
「突然のことで驚いてるよね、ごめん。ああするのが一番早かったからね。」
目の前に座った緑目の人はそう言いながら笑った。ああするってなんのことだろう。
でも、そんなことは今はどうでもいい。緑目の人が目の前にいる。それだけで私の心臓は高鳴った。
私の救世主。私の光。
そう心から思えるほど、彼が私に手を伸ばした世界は美しかった。
「いえ、、とんでもないです。あの、ありがとう、ございます。助けてくださって。」
言いながら驚いた。不思議と今まで胸に掬っていた恐怖がない。音もなく、匂いも普通だった。
「気にしないで。僕が勝手にやったことだから。」
そう言って穏やかに微笑む緑目の人は美しかった。
この人は本当に人間か?
こんなに綺麗な人には出会ったことがない。
緑色の目はまるで木漏れ日に透かされた若葉のように優しく私を映す。彼の黒髪は肩につかないほどの短さに切られていて、馬車が揺れるたびに髪が光を反射しながら緩く波打つ。その色合いはまるで黒曜石のように深く、鋭く、煌めいている。
え、私死んだのかな?だって生きてる人間でこんなに美しいことある?この美しさ人外の領域だよ?天使もびっくりする美しさだよ?天使会ったことないからわかんないけど。
「おや?僕の顔に何かついているのかな?」
ハッとした。あまりに美しすぎて見惚れていたらしい。失礼極まりない。
「も、申し訳ありません。あまりにも美しいので、、、」
顔を下げて謝ると、ふふっ、と柔らかく笑う声がした。
「謝らなくていいよ。君は面白いね。」
この人が教祖の宗教ないかな、今すぐ入会したい。
大真面目に思った。だって、ふふっ、ってなに!?優しすぎるでしょ、心の広さ太平洋??
「あ、あの、、、つかぬことをお聞きしますが、、貴方の名前は、、?」
「僕?そうだねぇ、色々ややこしいから、僕の屋敷に着いたら説明しよう。ほら、見えて来たよ。」
そう言って彼が指を刺した先には、大きな屋敷があった。
あ、貴族だこれ。
なんか服装がすごく高級そうな光沢のある黒いロングコート着てるし、ツヤツヤなロングブーツ履いてるし、歴史の教科書で見たことある貴族みたいだなぁとは思っていたけど!
まさかの本物とはね!
屋敷はどことなく初期ゴシック建築を思わせる高さと尖っている塔が併設されているし、これは伯爵家以上の人間かな。豪華だけど、成金みたいな付け焼き刃じゃない、シンプルな素材の良さと素朴な美しさがよく伝わる。この人みたいだ。
「さ、着いたよ。降りようか。」
そう言って緑目の人は馬車から降りて、降りようとしていた私に手を差し出した。
流れるようなエスコートかっっこいいいい。
何も言わずにすっと手差し出してくるのすごくない??手慣れ感がすごい。この感動を表す語彙力は足りないや。友達にもっと語彙力教えて貰えばよかった。ああやばい緑目の人が輝きすぎて直視できない。手を差し伸べられてるから取らないとか失礼以外の何物でもないけどでも私の手今汚れてるんだよなぁ、この人を少したりとも汚したくない。
いや待てよ?
私如きがこの人を汚せるなんて、それこそ烏滸がましいのでは???
この人と私は生きてる世界が違うんだ。そう例えるなら人間界に紛れ込んでしまった天使と獣くらいの差だ。たかが獣が天使を汚せるなんて無礼にも程があるな。
差し出された手に恐る恐る自分のものを重ねた。
「ありがとう、ございます」
手袋質感良っっっ。
何このすべすべ感何でできてるの、え本当に人間じゃないね??指長い手大きいし触れ方優しいしなんだこれ。
そのまま手を引かれ馬車を降りて、屋敷まで案内される。
え、身長差あるの考慮して歩幅合わせてくれるし急かさないしそういうの気遣ってるそぶりを見せないくらい自然だし、熟練すぎない?
エスコートって歩きやすいんだね。
そんなことを考えているとあっという間に屋敷についた。
改めてみるとでかいな、この屋敷。柱の太さは私を三つ纏めたくらい大きいし、長さも私が6人分くらいある。扉の横にはいかにもな紳士が緑目の人に挨拶をしていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。」
「ああ、今日もご苦労様。この子を清めて欲しいのだけど、湯浴みの準備は出来てるかな?」
会話しがなら流れるように扉を開ける紳士、かっこいい。なんかザ・老紳士って感じですごく執事服似合ってる。あと流れるように緑目の人のコート取ってる。慣れてるなぁ、、、、。これが貴族か。
「そこのお嬢さん。そこにいては冷えてしまいますよ。中へどうぞお入りください。」
ぼーっと緑目の人を眺めていてたら紳士に話しかけられてハッとする。いけない、緑目の人は魅力がありすぎてすぐ見惚れてしまう。
「あ、は、はい。」
警戒心がないわけではないと思う。あったばかりの人の屋敷に入るなんて、危ないにも程がある。でも、ここには私を大事に思う人も、私が大事に思う人もいない。なにより、あの暗闇の中手を差し伸べてくれた、光を届けてくれた美しい人を、彼を、信じたかった。
恐る恐る足を踏み出す。
門を跨ぎ扉を潜れば、足が床に敷かれている絨毯に沈んだ。
、、!?ふわってした、いまふわってした!!こんな柔らかい絨毯なんてあったんだ、めっちゃ足沈むんだけど、なにこれ??
そこで思い出す。今私裸足だったわ。
そりゃ敏感に絨毯の感触が伝わるわけである。
しばらく緑目の人と執事の後ろを静かに歩く。
すると、戦闘を歩いていた執事が静かに止まった。
「こちらで準備しております。」
「ありがとう。、、さて」
緑目の人が私を振り返る。自分よりも高い彼が腰を落とし、目線を合わせる。ある緑色の目が、優しく光っている。
「とりあえず、君は一度体を清めてもらった方がいい。あまりいい気分じゃないだろう?」
ハッとして自分の姿を見下ろした。明らかにサイズの合っていない薄汚れた服。手足にはいくつもの赤い跡がこびりついていて、一気に恐怖が戻ってきた。声が出ない。喉が震えた。呼吸が辛くなった。でも、そんな動揺は、緑目の人の声であっという間に消え去った。
「それに、君は綺麗だ。綺麗なものは、もっと輝けるように整えないと。」
そう言って彼は土と赤で汚れたざらつく髪ごと頭を優しく撫でた。
目を見開いて彼の瞳を見る。
綺麗と言った?この人が?私に?
なんの冗談だろう。貴方の方が美しい。緑色の人にも、優しい手つきも、艶やかな髪も、滑らかな肌も、暖かさを与える存在も。
この世界で何よりも、この人は美しいのに。
でも、きっと彼がそう言って触れるのだから、私は綺麗なのかもしれない。
なんでもいい、彼のいうことは全部私にとって真実だ。
小さく頷いた。
「はい、、」
すると緑目の人は静かに手を離し背を押した。
「中に侍女たちがいるから、指示に従って。外にこの人を立たせておくから、何かあったら叫んでね。あの子たちは言葉が通じないから。」
そう言ってから緑目の人はどこかへ去っていき、執事は安心させるように一つ頷いた。
「旦那様のおっしゃるとおりです。何かご不便があれば、中から何でも言ってください。大丈夫です、ギリギリまで付き添いますので。」
そう言って開かれた扉を通ると、二人の女性が立っていた。黒いワンピースをきて、まるで彼女らの主人を出迎えるように頭を下げている。
「??」
なんだこの状況は。困惑していると執事が口を開いた。
「Aria, Klay. Per favore, aiutate a fare il bagno a questa bambina. Sembra che non riesca a parlare, quindi per favore datele istruzioni usando più gesti possibile.」
??
突然執事はよくわからない言葉を話し始めた。
え?本当に何を言ってるの?
目を白黒させているうちに二人の侍女は頭を下げて私を連れて歩き出した。
思わず助けを求めるように執事を見ると、執事は穏やかに笑った。
「ご安心ください。軽く身なりを整えるだけです。」
そう言って執事はその場で頭を下げて私を見送った。
わけもわからず歩いていると、突然服を脱がされた。
「ぅえ!?」
慌てて抑えてしゃがみ込む。確かに我が身はどうなってもいいが、流石に脱がされるのには抵抗がある。湯浴みと執事は言っていたから脱がそうとしただけだろう。のそりと立ち上がって服を脱いで、髪色の暗い侍女に渡す。脱ぐことに抵抗はない。脱がされるのが嫌なんだ。
髪色の暗い侍女は服を受け取るとどこかに消えて、代わりに髪色の明るい侍女が私の背中を押して奥の部屋に案内した。
扉を開けると暖かい空気が体に染みる。部屋はタイルが敷き詰められていて、湯気の出る湯が張られた湯船が一つ置いてあった。
そのまま浸かろうとすると引き止められていつから持っていたのか知らない桶の水をかけられる。
なるほど、湯が汚れるから先に洗うと。
大人しくしていると、侍女は慣れた手つきで隅々まで丁寧に洗っていった。
さて、なんかぬるぬるしたもので洗われてるけど、一体なんなんだろう。ここまでの道のりを見るに、石鹸などはなさそう。いや,あるかもしれないけど、それでも大衆のものではないだろう。
されるがままに立っていると、洗い終わったのか背中を押された。そのまま湯船に浸かる。
「あったかい、、、、」
思わず声が漏れた。
暖かい。お風呂ってやっぱ最高だな。これが日本人のサガか。髪が湯船に沈むことも厭わずに体を浸からせる。この地域は水が貴重だろうに、お風呂を用意してくれた緑目の人が優しすぎて泣けてくる、泣かないけど。そのまま目を瞑れば寝れそうだ。あれ、でもお風呂で寝るのって寝てるんじゃなくてただの気絶なんだっけ?そんなことをぽやぽや考えていたら、外から執事の声が聞こえた。
「旦那様のご用意ができたようですので、そろそろお上がりください。」
旦那様、つまりは緑目の人の準備が終わった。一体なんの準備かは知らないが、とりあえずあの方を待たせているということだけはわかった。慌てて湯船から出て服を預けた部屋まで戻ろうとすると、髪色の明るい侍女に止められた。邪魔だ。あの人を待たせているんだ。手を払い除けようとしたが、自分が布に包まれていることに気づいてやめた。拭かれている。
確かに、緑目の人の前にみっともない格好では出られない。髪が濡れているなど言語道断だ。水が飛んで緑目の人を濡らしてしまったらいけない、そんなことはあってはならない。まあ確かに緑目の人は例え濡れていようがどんな姿だろうが変わらず美しいのだけど。
ぱっと布が離れる感覚がした。拭き終わったようだ。そのまま背を押され髪色の暗い侍女と別れた部屋に戻ると、その侍女がなにやら質の良さそうな布を抱えていた。
あれもしかして私が着るようの服?
どうしたものかと立っていると、あれよあれよという間に服を着せられた。
白いシャツのようなものに、青いワンピース。素朴だが生地の手触りからそこそこの物だろう。
サイズは少し大きいがまあ問題ない。
くるくる回ってスカートが翻るのを見ていると、ノックされたあとに執事が入ってきた。
「準備が整ったようですね。ついてきてください。旦那様がお待ちです。」
慌てて後ろを歩く。緑目の人を待たせてはいけない。あの人の大事な時間を取らせてはいけない。
無意識に早足で後ろを歩くと、そこそこ歩いた奥の部屋のまで執事の足が止まり、扉をノックした。
「旦那様、連れてきました。」
「入っていいよ。」
扉越しでも緑目の人の透き通るような声が響く。執事が開けた扉を通り、部屋に足を踏み入れた。
後ろで扉の閉まる音がした。執事は外で待機しているようだったが、そんなことはどうでもいい。
部屋の真ん中には木で丁寧に作られた大きな机と、その椅子に座っている緑目の人がいた。彼の後ろには大きな窓が開かれ、彼の姿を優しく照らしている。
カメラ、カメラがほしい。まるで絵のように美しい風景だ。だれがカメラ持ってきて、いやダメだ、カメラじゃこの美しい風景の一割も切り取れない。目に焼き付けないと、焼き付けるまでもなく美しい風景だけど。
また見惚れていると、緑目の人が口を開いた。
「うん、僕の見立て通りだ。よく似合っているよ。それに一段と綺麗になった。君の綺麗な銀の髪が汚れているのがずっと惜しいと思ってたんだ。」
いえ、綺麗なのは貴方です。
まじで、きっと貴方は貴方という美しい存在を目の前にしていないから、私なんかに綺麗と言えるのでしょう。全ての宝石も全ての景色も、貴方の美しさには敵わないのに。
そのまま口に出しそうになったが、流石にやめた。口にしてしまったら、品位が下がってしまう気がした。
でも緑目の人はなにも言わない私に気を悪くするでもなく、楽しそうに微笑んだ。
え?天使?いま天使いたよ??微笑みの破壊力やばいんですけど、これ私が見ていいやつ?あもしかして今から私死ぬのかな。
「さて、じゃああまり時間もないし、本題に入るね。」
その言葉で背筋を伸ばした。
そうだ、この人は何か私に用があったのだ。
そんな感覚がした。
「単刀直入に言うね。君には、私の養子になってほしい。」
間髪入れずに頷いた。
「承りました。」
そう言って跪く。
すると、緑目の人が小さく息を呑む音がした気がする。
「、、、え?そんな即答するの?もっと悩んでいいんだよ?別に強要はしない。もし嫌だったら嫌って言っていいし、殺したりもしないよ。」
「?いえ、嫌じゃないです。」
緑目の人が意外と驚いたように言うから思わず顔をあげて彼を見る。
そんなにおかしなこと言ったかな?私。
だって緑目の人は私に養子になって欲しいんでしょう?
「私を救ってくれた、光よりも美しい貴方の頼みを、断るはずないでしょう。」
なにを驚くことがあるのか。そう思いながら言うと、緑目の人は目を一瞬小さく見開いてから、楽しそうに笑った。
「君、面白いね。うん、気に入った。」
そう言って立ち上がると、未だに膝をついている私の目の前に手を差し出した。
ならばその手を取る以外選択肢など存在しない。
手を迷いなく重ねると、緑目の人は私を引き上げ立たせた。まるで踊り出しそうに言った。
「君の意思を信じよう。色々とお互い気になることもあるだろう。不安も多いだろう。でも大丈夫。私がいるよ。」
そう言って優しく笑うものだから、不思議と疑いなく信じられる。彼の言葉は魔法のようだ。
その幻想的な姿を見て、この人をもっと知りたいと思った。自然と疑問が口を出る。
「貴方の、名前はなんですか?」
そういうと緑目の人はふっと笑った。
「ああごめん。自己紹介が未だだったね。」
緑目の人は私から手を離して貴族然とした美しい所作でたった。
「私はレオン・クラーナハ。トゥアグレア伯爵家当主をやっている。」
レオン・クラーナハ。
心の中で反芻する。
なんて美しい響きだろう。どこか力強く、優しく、それでいてそこの見えない魅惑的な響き。
レオン様。私を助けてくれた、私の光。
そのまま手招きをされて、彼の机の前に歩く。
「君の名前は?」
名前。そう聞かれて浮かんだのは、かつて父親につけられた名前。もう二度と呼ばれることのない音。もう死んだ言葉。
「、、、ない、です。」
今更、自分のような存在が、中身のない自分が、レオン様の隣にいるのが恥ずかしくなった。
思わず下を向きながらいった。
「なら、私がつけよう。」
顔を上げる。
レオン様が、私に、名前を?
呆然として彼を見ていると、当人は何かを思い出すように窓の外を見て、私に視線を戻した。
風が吹いて、彼の髪を揺らす。
「グラセ。」
「君の名前は、グラセ・クラーナハだ。」
グラセ。
それが、この美しい人が、私の光が、私にくれた名前。
意味なんて知らない、聞いたこともない。
なにもわからない言葉なのに、でも、その声で紡がれると、どんなことも胸の奥にすっと溶け込んだ。
私の、存在をくれた。
「、、、、は、い」
この人に、私はなにを返せるのだろう。
私に光と、存在と、名前と、役割まで与えてくれた。
そんな彼に、私はなにができるだろう。
この人のためなら、なんだってしたい。
心の底からそう願った。
だって、きっとそれが、私がこの世界に生まれ堕ちた意味だから。
次の更新日は7月10日15:00予定です




