幼児時代を思い出そう(2)
作・R7代表:花船
(あ~就活の情報が解禁されていくけど、付いていける気配全く無いな~)
(兼部先の手助け思ったより重労働だったな~)
(休憩ついでに、幼児時代を思い出そう)
「幼児時代を思い出そう (2)」
・・・
(スモッグの材質と着替えの手間、そして指で使う工作のりがけっこう嫌いだった。のりについて、食べると痛い!ってなるよ~、インストラクションで先生が見せた「痛い!」の演技が印象的で、今も前振りからその動作が脳裏で蘇る。)
(工作するときの頭の働きようと夢は実によく似ていて、動くときはすいすい半無重力みたいに動けるのに、動けないときはてんで駄目)
(私めの常識をどうしても理解できなかったらしい同じ組のコがいた.遅れて登園した際,玄関ドア前で所属組がちょうどそこに集まっていたときの、「え、誰?」という発言からその様子は顕著になる。背の順列での私の場所に陣取るそのコと、「違うの!」と泣きながらそれを止めていた子を数歩先で眺めていた。こっちの子はしっかり者だったし、「同じ組のコ」も、アルバムで将来の夢にお医者さんを選んでおり、場当たり的な私とは違いがありすぎた。)
(かつて私に、ゲームセンターの滑り台型大遊具の2階から連れと共に、この2階に来てはダメ、1階の大スペースにも入ってはダメ、この小っちゃい_1Fの1区画_部屋ならいい」と命令を下してきた子供と「同じ組のコ」は同一人物である可能性がある。このときの私はまだ、何だそれは、こっちだって自由に遊びたいのだ!などと考え、【どうしても強いもん勝ちの世界がある】ということを受け入れられずにいた。四方を出入口付きの壁に挟まれ、狭い天井に押されるように、私は許可されたスペースに無言でうずくまっていた。)
(手当たり次第に大人しい子や保護者に話しかけにいくような鬱陶しさを持ちながら、言葉よりも先に涙を出すような不肖な子供であった。「同じ組のコ」に、紙粘土製で作った自分の顔を、”これは私が作った”と主張されていたと分かったときは、泣いて先生に訴え出た。先生が手に取った私の作品の裏に、他人の名前が先生の文字で書かれていたことへの恐怖を、よく覚えている。)
(声を出すことと同じくらい、黙ることもまた多かった。叱りにきた先生曰く、そんなキンギョみたいに口をパクパクさせるだけでは分からないよ、と。 )
(同じ組の子どもたちにスプーンの持ち方を直された。褒められても心の底からは嬉しくなかった。私が園児らの機嫌を良くすることができたということだけが嬉しかった。)
(給食を食べた時間より箸やスプーンを舐っていた時間の方が長い)
(冷えた食材を食べるのは苦痛だし、やりたくないことを強制されるのは輪をかけて苦痛だった.おかげでかぼちゃの煮物は吐き戻したが、無理にでも給食を食べさそうとした先生のことは昔も今も全く責めていない.他、自力で、泣きながら、大根の煮物を頂いたこともある.)
(月一誕生日を祝うときに限って牛乳がフルーツ牛乳に変更されるのが大嫌いだった。毎日のノーマル牛乳と、たまに温食缶に運ばれてやってくる牛丼だけが、給食嫌いの私の数少ない栄養源だった。)
(一回給食の席を外し、トイレで時間を潰していたことがある。トイレはとても立派で好きだった。低い洋式便器に座っていて、外に出ると窓の向こうは曇り空だったのにとても眩しかった気がする。仕方なく組に帰ったら先生と園児の皆が私の机と残った給食を囲んでいた。)
(机の畳まれる音や構造が好きだった。)
・・・
(まともに給食完食できるようになったのは小学校高学年、それに給食を半ば諦めから食べるようになっただなんて、特に後者はたとえ事実でも絶対禁句だよな・・・)
(けど幼稚園でバナナ一本まんま出たときは平気だったし、フレンチクルーラー1個が出てきたときもなぜか完食できたな~)
(にしてもあの牛丼、最高に美味しかったな~/特に温度が良い)
(やべ、時刻はAMを回っている)
(続きは今度かな~)
読んでくれてありがとうございました.
是非またいつでも読みに来てください.




