第27話 王立学園へ
長年にわたる悪夢との闘いを経てさらに半年。十五歳となったヴィオレット・ボーフォールは、心身ともに大きく成長した。
かつて怯えていた運命から顔を上げ、学問、魔法、社交といったあらゆる面で才能を開花。周囲の者たちもその変化に目を見張るほどだった。
来る春、いよいよ運命の王立学園への入学を間近に控え、彼女の胸は、新たな学園生活への期待に満ちていた。
専属執事レオンは、静謐な佇まいのまま、ヴィオレットの旅支度を滞りなく進めていた。
陽光差す部屋で旅立ち前の最終確認をするヴィオレット。傍らでは専属侍女のノエミが、学園で使う品々を丁寧にトランクに詰めている。
ヴィオレットは帯の隠しポケットから、小さな銀のメダリオンを取り出した。十四歳の誕生日にレオンからお守りに、と贈られたものだ。
繊細なリュミエールの意匠が施されたそれは、彼女にとって単なる装飾品ではなく、幾度となく心を支えてくれた、大切な宝物だった。
彼女はそっとメダリオンを握りしめ、再びポケットに丁寧にしまい込んだ。
(レオンからいただいた、大切なもの。学園で離れ離れになる時間が増えても……このメダリオンがあれば身近に感じられるわ。大丈夫。わたくし、もう一人で立ち向かえる強さも身につけたのだから)
準備が整い、ヴィオレットは両親に見送られ、ボーフォール侯爵邸を後にした。春の大貴族会議のため、両親も後日、王都へ向かうことになっている。
ボーフォール侯爵家の、勇壮な跳ね馬の紋章が輝く漆黒の馬車は、整備された街道を滑るように進んでいく。
ヴィオレットたちの乗る馬車の他に、侍女や荷物を載せた馬車が続き、周囲を騎馬の護衛騎士たちが固めていた。
馬車の中では、四人分の席が用意されており、ヴィオレットとカミーユ、レオンとノエミがそれぞれ向かい合わせに座った。
「王都ではもう春の新作ドレスでたくさんのご令嬢が着飾っているそうですよ! 素敵なドレスを多く見るだけで、気分が上がりますわよね。」
ノエミが、明るい声で言った。彼女の言葉に、侍女兼学友でもある、おしゃれが好きなカミーユも頷く。
「はい! 学園購買部にも、限定品の可愛い文房具がたくさんあると伺いましたわ。見ているだけでもきっと楽しいでしょうね。」
カミーユの声が弾む。ヴィオレットは微笑んだ。
「ふふ、楽しみですわね。わたくしは、学園の図書館に収蔵されている、珍しい歴史書やリュミエール学の本を読めるかしらと期待しております」
ヴィオレットが応じると、ノエミが身を乗り出した。
「図書館といえば、最近、学園の地下に古い書庫が見つかったとか……なんでも、読めない文字の古文書があったという噂ですよ」
ノエミの情報に、ヴィオレットの菫色の瞳が微かに輝いた。リュミエールや古代の書物に関心がある彼女にとって、それは無視できない情報だった。
「読めない文字の古文書、ですか。それは初耳です。興味深い情報ですね、ノエミ。後ほど、詳細を確認しておきましょう」
書類に目を通していたレオンが、静かに口を挟んだ。彼の声はいつも通り落ち着いていたが、ヴィオレットはその声に含まれる、好奇心を捉えた。
(レオンも、こういう話に興味があるのね。ノエミの方は噂話が好きなだけだけれど……わたくしと同じく古文書の方を読んでみたくてたまらなそうだわ)
馬車の中では、王都で最近流行している劇や音楽会の話などで更に盛り上がる。そして話題が学園生活に移り変わり、始めての寮生活に対して、ヴィオレットとカミーユから様々な話が出ていた。
レオンは、斜め前に座るヴィオレットの様子を見守りながら、穏やかな声で応える。
「王立学園は全寮制となりますので、ご両親様とは頻繁にお会いできなくなりますが、その分、新しい出会いや経験があるはずです」
「ええ、そうですね。少し不安もありますけれど、楽しみでもありますわ」
彼の落ち着いた声と、さりげない気遣いは、ヴィオレットの心に安らぎを与え、旅の疲れを癒してくれた。
やがて、六日間の旅を経て、一行を乗せた馬車は、王都へと到着した。街道の喧騒は一層増し、石畳を駆ける馬の蹄の音、人々の賑やかな話し声、商人の威勢の良い掛け声が、ヴィオレットの耳に飛び込んでくる。
壮麗な白亜の建築物が陽光に照らされ、洗練された雰囲気が漂う王都。故郷の穏やかな風景とは全く異なっている。ヴィオレットは、窓の外に広がる久しぶりの華やかな光景に、目を輝かせた。
そして、王都の侯爵邸で旅装を解き、学園入学までの数日間を過ごし、学園へ向かう日。
学園指定の制服に着替え、馬車で向かったヴィオレットの前に、威厳のある王立学園の重厚な門が現れた。高くそびえ立つ石造りの門構え、広大で緑豊かな敷地、そして長い歴史を感じさせる風格のある建物。
学園敷地内には、おそろいの制服を身につけた多くの生徒たちが、思い思いに過ごしているのが見て取れた。
楽しそうに談笑する者。真剣な表情で書物を読む者。様々な身分の生徒たちが入り混じり、活気の中に、見えない社交の規範や派閥の気配も漂うようだった。
婚約者である第一王子オーギュスタン殿下との再会が、期待に胸を膨らませていたヴィオレットの心に、一瞬重くのしかかった。胸の奥に、無視できないざわめきが起こるのを、ヴィオレットは感じた。
(あの方とは……もう、以前のような、ただ憧れるだけの関係ではないけれど……やはり、少しばかり複雑な気持ちだわ。うまくやり遂げられるかしら……)
(そして、これからは……学園では、レオンがこうしていつもそばにいてくださる訳ではない。この、当たり前になっていた安らぎから離れるのは、少し寂しいですね……)
レオンは、馬車から先に降り立ち、手を差し出してヴィオレットを優しくエスコートした。彼の指先が、ヴィオレットの手に触れる。その確かな接触に、ヴィオレットの心が跳ねた。
「お嬢様、ご心配なさらずとも大丈夫です。何かございましたら、私が学園内におりますので」
レオンは、ヴィオレットの不安な心を見透かしたように、静かに、しかし力強くそう言った。
彼の温かい眼差しと、変わらぬ忠誠心を示す言葉は、ヴィオレットにとって何よりも心強いものだった。彼女は、レオンの存在に、深い安堵感を覚えた。彼が白い手袋を直し、背筋を伸ばすその仕草一つにも、揺るぎない信頼を感じる。
ヴィオレットは、ゆっくりと深呼吸を一つすると、レオンに向かって、決意を込めた微笑みを浮かべた。
「ええ、ありがとう、レオン。わたくし、頑張りますわ」
彼女の紫水晶のような輝きを持つ菫色の瞳には、新たな生活への希望と、どんな困難にも立ち向かう、秘めたる決意が宿っていた。




