貴族様との戦い(2)
「てっ……! めぇっ!」
「ははははは……! 災難だったな、リフィア」
観客と化している同級生のザワつきを尻目に、貴族様は満足げな高笑いを上げる。
「まさか、訓練中の弓矢が脚に刺さるなんてな。いや~、全くもって災難だ」
「おいおい貴族様……まさか、これが偶然なんてのたまうつもりか?」
痛みと怒りに震えそうになる声を堪えながら、剣を構えようともしない眼前の男を睨みつける。
今この訓練場には、俺とコイツしかいない。
どこにも弓の訓練をしている奴なんていないのだ。
その状況下で矢の流れ弾なんて来るはずがない。
「偶然、だろ? なんせここは訓練場だ。俺とお前の決闘の場ではない。いや~、俺の剣を抜いている姿に見惚れているから、そんな訓練中の流れ矢になんて当たる羽目になるんだぞ?」
なんて見え透いた言い訳だ。
しかし、これが通るのが貴族との戦いなのだろう。
金さえあれば何でもあり。
物語の中でもよく読んできた風景だ。……まさか、実践されるとここまでにイラつくとは思いもしなかったが。
「それに、事前に確認したではないか。実戦形式で良いか? とな。それはつまり、どんな事故が起きようとも実戦同様戦うことは止めない、ということだ。ま、とはいえさすがの俺も、脚に矢が刺さっている相手と戦うのは気が引けるな。どうだ? ここいらでお前が『嘘をついてごめんなさい』と泣いて許しを請い、その女らしくもない身体で俺に抱きつきでもしたなら、許してやらんこともないぞ?」
「……ああ、そうかい」
つまり、ここで惨めに敗北を認め、魔物を倒したのが嘘だと宣言すれば……戦いは起きないということ。
この男にとって、これほど楽なものはない。
もし本当にリフィアが魔物を倒しているのなら、ここまでしなければこの男は勝てないと思っていることに他ならない。
魔物を倒したのを嘘だと思っているのは事実だろう。
だが万が一、倒したのが真実なら、自分は勝てない。
この貴族様はそう思っている。
だから、こんな手段を取ってきた。
……こんな奴が“騎士”、か……俺が把握している騎士とこの世界の騎士は、大いなる齟齬があるようだ。
だったら……コレだけで終わるはずがない。
こんな奴が準備している他の手立ても、ちゃんと考えなければならない。
「…………」
一つ息をつき、自然と零れる笑みを、そのまま顔に貼り付ける。
「アンタが、貴族であり騎士であって助かったよ」
「……なに?」
「ここから集団で襲い掛かってくるなんて卑怯なことをしてこなかっただけ良かった、と言いたいんだよ」
「……ふん。手負いの女を相手に、そこまでするものか」
今の間は……するつもりだったな。
……いや、それは俺だって分かっていた。
物語から引っ張り出してきた「卑怯な敵が取る作戦」という知識ではなく、感覚として、実際に外に敵がいるということが。
俺の記憶に付随する心が怒り一色に染まったおかげか、身体に染まる心と経験が鋭敏になっているのだろう。
俺がここまで来た出入り口とは別の場所に、複数の気配が存在しているのが“分かる”。
数にして十人ほど。
おそらくは矢が当たらなかった場合の第二の手。
それを見抜き・指摘し・否定させることで、戦闘中の妨害をさせないように出来た。
だが、コレで安堵してはいけない。
どうせコイツのことだ。自分がピンチになれば助けを呼び、素知らぬ顔で「勝負に水を差すな! 俺と彼女の勝負だ!」と諌めるフリをしながらも、その“自分で用意した援軍”に俺の相手をさせるに違いない。
だから、そんな間を与えることなく、コイツを屠る。
俺にはそれが出来る。
俺個人の感情が、この男だけの怒りに染まれば染まるほど……リフィアの身体が本来の動きを思い出していく。
現状、俺と同じ怒りを覚えながらも、がむしゃらになることなく、冷徹に相手を倒すための手段を取るための心構えが、行われている。
だから、俺がすべきことは、ただ一つ。
これから無意識に動く身体に、俺の意思を介在させないようにすることだけ。
身体に残るリフィアの経験と本能と心に、俺の思いを全て委ねることだけ。
……頭に残る心と記憶が全く戦いに向いていない以上、こうするしかない。
だが、告げている。
それでもこんな卑怯な男を相手にするには、十分だと。
「なら、お前の提案はノーだ」
脚の痛みを堪えながら、俺は崩れていた構えを自然と取る。
「流れ弾がちょうど良いハンデになる。さあ、掛かってきな。騎士の皮を被った貴族様」