禁じ手
見る見る間に迫ってくる松ぼっくりは、その一つ一つが馬ほどの大きさがあった。
真っ直ぐ正確に、密林に埋もれる僕らへ向かってきている。
なぜかと思う前に、疑問が解けた。
無意識に発動した極眼が、松ぼっくりの背からわずかに覗く銀色の毛で覆われた手を捉えていた。
三、いや四匹はいるな。
なるほど、松ぼっくり弾の背にしがみついた猿どもが、風の精霊を使って方向を調整しているのか。
さらに威力も増せると――代わりに操縦主である猿たちは、みな死ぬが。
…………はは、殺す気満々過ぎるだろ。
猿たちの行為が、僕に一瞬で深い層に来た実感を叩き込んでくれた。
さて、遥か高みから落下する自分の数倍の質量に、人は耐えられるのか?
答えは無理だとしか。
だが探求者は、人で在りながらも人に在らざる者だ。
空を睨み付けたまま、ドナッシさんが絶叫した。
「オラァァァァアアアア!!!! かかってこい、猿野郎!」
叫び終わると同時に面頬が閉じて、その怒りに満ちた表情は隠されてしまう。
だが肉体は言葉以上に、主の闘志を雄弁に物語っていた。
筋肉の塊であった身体が、一際大きさを増していく。
膨れ上がった肩の肉が、盾の内側に縫い合わせたかのようにぴったりと吸いついた。
大腿があり得ない程に盛り上がり、足首が地に埋まるほどに踏みしめられる。
隆々たる広背筋に押され、鎧のつなぎ目がメリメリと限界まで引き伸ばされた。
そして限界まで奮い立った体は、迫り来る死の使いへ解き放たれた。
――弾丸盾撃!!
巨躯が宙を疾走する。
飛来する凶器が放つ風切り音を打ち消して、凄まじい衝突音が響き渡った。
芯を強打された松ぼっくりは、一瞬でひび割れて四散する。
放り出された大銀猿たちは、荒れ狂う風圧で次々と地面に叩き付けられた。
て、痛い痛い!
めっちゃ破片が降ってくるんだけど!
一つ目の松ぼっくり弾を迎撃したドナッシさんは、弾き返されながらも地面へ何とか着地する。
その両脚がバネの如く折り畳まれ、尋常でない力をまたも溜め込んでいく。
ぶしゅるると、兜の空気穴から呼吸の音が漏れるのが聞こえた。
再び、盾が宙を跳んだ。
正面から迎え撃つ盾に、二つ目の松ぼっくり弾がぶつかり爆散する。
反動で地面に叩き付けられたドナッシさんだが、素早く首を持ち上げ空を凝視する。
すでにその鎧の端々から、鮮血が滴っていた。
続けて押し寄せる松ぼっくり弾を、決死の盾持が尽く撃ち落していく。
血を撒き散らしながら地面と空を往復するドナッシさんの姿を、木の陰に避難した僕とソニッドさんと熊は無言で見守るしかなかった。
▲▽▲▽▲
「…………ふう、やっと終わったか」
静かになった森に、ソニッドさんのあきれ返った声が響く。
辺りは大変なことになっていた。
砕けた松ぼっくり弾の破片や、進路を誤った流れ弾で周囲一面の木々は全てなぎ倒されてしまっている。
地面も大男が何度も蹴りつけたせいで、無数の穴が穿たれている有り様だ。
まさに龍や巨人がここで暴れたという説明があれば、即座に納得出来そうな状態だった。
うーん、地形が変わるほどの攻撃か……。
七層ヤバ過ぎるなって感想しか出てこないよ、これ。
そして僕らの窮地を救ってくれた英雄であるが、地面に仰向けで大の字になっていた。
すでに右手の大楯は、原型をほぼ留めていない。
鎧も半分以上が引き裂かれ、肌が露わになっている。
残った部分も、へこみや割れがない箇所を探すのほうが大変なくらいだ。
「生きてるか? ドナッシ」
暢気に声を掛けながら、ソニッドさんは瀕死の仲間の胸に耳を当てる。
心臓の音を聞き取ったのか、そのまま深く頷いてリーダーは血止め薬の蓋を捻った。
「坊主は足を頼む。あとはサリーナ司祭にお任せするか」
血止め薬をバシャバシャと振り掛けたあと、ドナッシさんを背後から抱き起したソニッドさんは僕に指示する。
両脚の間に入って、息を合わせて二人で持ち上げる。
力の抜けきったドナッシさんの体は、ずっしりと重かった。
「大丈夫なんですか?」
「ああ、流石に二度目だしな。ま、普通の奴なら確実に死んでたな」
「……凄かったです、ドナッシさん」
「そうか。コイツが起きたら、耳元で聞かせてやりな。きっと喜ぶぜ」
そう、普通の盾持であれば、あの場だと一分も持たなかったと思える。
なぜ、ドナッシさんが三分以上も耐え抜けたのか?
僕が予め聞かされていたのは、"禁じ手"を前提にした作戦であった。
禁じ手とは、金板級に上がった探求者が使用できる最終手段だ。
文字通り使用禁止の手段であり、使えば使用者にも深刻な被害を与える技である。
生きて帰るのが必須である探求者は、余程のことがなければまず使う場面はない。
しかし己を犠牲にすることで、より生き延びる人数が増えるのなら、躊躇なく使う人間もまた少なからず存在する。
特に小隊を守る盾持や、生命を助ける治癒術士に使用者が多いのだそうだ。
ちなみに僕は興味が一切湧かないので、全く習得していない。
盾持の禁じ手は、勇猛なる盾。
自分の生命力を、防御力へ変換する技だ。
防御力という大雑把な単語だが、ようは超頑丈になるのだとか。
ただ当然ではあるが、いくら耐久度が上がったとはいえ限度はある。
肉体の硬さを上回るダメージを受ければその部分は損傷するし、生命力を防御維持に回している以上、血は流れ続けるという危険性を孕む。
それに生命力も無尽蔵に湧いてくる訳ではない。
尽きれば当たり前に技が途絶え、反動として生命活動そのものが停止する結果となる。
つまり使えば数分は耐え抜けるが、そのあと確実に死が待っている技なのだ。
で、そこで出番となるのが、『命綱』の秘跡である。
生命力を注ぎこんで急場を一時凌ぎ、ピンチが去って死亡するところを秘跡が繋ぎとめる。
実はこれ、割りとメジャーな組み合せなんだそうだ。
とは言え、どこかを一歩間違えば、あっさりお亡くなりになる可能性は十分にある。
あの場面でさっくり使えるメンタルは、本当に凄いとしか言いようがない。
傷だらけのドナッシさんの両脚を抱えながら、僕は小さく溜息を吐いた。
間近で見せ付けられた"命懸け"の姿に、心の隅に残っていた甘い考えを切り捨てる。
失敗したら、巻き戻しすれば良い。
今までは確かにそうだった。
だがこの層の失敗は、小さなレベルでも簡単に致命傷となりえる。
現にほんの少し運がなかっただけで、この有り様だ。
ドナッシさんが次に参戦できるのは、一週間は掛かるだろう。
装備も買い直し、『命綱』も新たに掛けて貰わねばならない。
「傷が治ったら、また挑むんですか?」
「ふ、当たり前じゃねーか」
「…………ですよね」
木々の向こうから、誰かが近付いてくる音が聞こえた。
さっきの爆撃は森中を揺らしてたし、きっとニドウさんたちが駆けつけてくれたのだろう。
僕らを見つけた二人が、慌てて近寄ってきた。
汗まみれであったがサリーナさんの顔は、薄暗い森の中でもハッキリと分かるほど血の気が引いていた。
しかし何も言わず、僕らに指示してドナッシさんをその場に寝かせると、鎧を脱がしてテキパキと傷口を消毒して縫合を始める。
サリーナさんも、きちんと気持ちを整えていたようだ。
治療が終わるころに、ちょうど熊たちがやってきた。
二本の長い棒の間に蔦を往復させた担架っぽいものを担いでいる。
「ガウガウ」
使えということらしい。
ドナッシさんを運びながら、皆の顔をこっそり盗み見る。
諦めの表情は、誰一人浮かべていなかった。
十分に覚悟を見せて貰ったお礼の気持ちを込めて、静かに頭を下げる。
そして僕は、今日を巻き戻した。
禁じ手―技能講習での習得ではなく、教官からの直伝となる。各職業ごとに存在している




