路地裏の激闘
絶叫が轟く。
――喊声。
――漲力。
――気張り。
――沸血。
盾を掲げる護り手は、即座に全ての技能を解き放った。
全滅の危機を前に、出し惜しみなぞあり得ない。
体中を巡る血が一瞬で煮え立ち、死へ立ち向かう力と化す。
前脚を持ち上げて盾に圧し掛かってきた人犬を、豚鬼は血走らせた眼で睨み付けた。
対峙するモンスターの背後からは、無数の影人が押し寄せる。
狭い路地に殺到してくる群衆は、まさに圧倒的な数の暴力であった。
武器を持たない彼らは、ひたすらに掴みかかろうとしてくるだけだ。
声も上げず、両の手を突き出し、ただ前へ前へ。
なりふり構わない影たちの働きは、路地を塞ぐ人と猟犬が混じった異形を恐ろしい勢いで奥へ押しやった。
数十人分の体重がモンスターを通じて、一息に豚鬼の盾に加えられる。
たちまちのうちに、盾持の身体は地面すれすれに押し付けられた。
さらに盾を踏みつける人犬が、手に持つ凶悪な鉄球をこれでもかと足元に叩き付ける。
鉄を抉る硬音が路地裏にこだまし、無数の手がその音を掴もうともがく。
津波の如く押し寄せる影の群れに、為す術もなく全てが呑み込まれ押し潰されかけたその時――。
低い唸り声が、盾と地面の隙間から発せられた。
同時に傾いていた盾が、急激に垂直の角度へ戻り始める。
面盾の下から現れた豚鬼の身体は、限界まで盛り上がる筋肉に包まれていた。
肉体を覆う白い鎧が、今にも弾け飛びそうなほどにだ。
メキメキと音を立てて僧帽筋が山を作り、表面の血管を浮かび上がらせる。
凄まじい膂力を見せつけながら、豚鬼は見事体勢を立て直した。
押し返された人犬がバランスを失い、後ろから押し寄せる影人に挟まれて歪に形を崩す。
絶対的な不利を振り出しに戻してみせた豚鬼は、鼻頭を愉しげに持ち上げた。
「ブシュルゥゥルルルル!!!!」
凄まじい鼻音が、閉所に鳴り響く。
同時に豚鬼の足首を支える筋肉が、はち切れる寸前まで膨らんだ。
――盾撃!
ズズンと巨岩が動くような音と共に、影人の塊が通路を逆流する。
密着状態から押し返し、わずかに隙間を作り出した豚鬼。
間髪をいれず盾を引き、その空隙を利用して再び豪快に叩きつけた。
――盾突!
地面がひび割れるほどの踏み込みと、大胆な体の捻りから生み出された猛打が目の前の壁に炸裂する。
渾身のぶちかましを受けた影人たちの先頭は、全身をひしゃげさせながらバラバラと宙に舞った。
そのタイミングで、狭い路地の空から猛烈な勢いで降り注ぐ矢の雨。
一斉に落ちてきた矢は影の群れに突き刺さり、核を撃ち抜かれた数人を消し去った。
さらに地面すれすれを跳ね回る紫色の閃光が、左右の壁にぶつかりながら影どもの足首を刈り取っていく。
瞬く間に支えを失った影人どもが床に転がり、土嚢のように積み重なる。
「下がるのじゃ、アーダ殿!」
少女らしからぬ掠れた声が響き、同時に黒い骨片がその出来たての空白地帯に投げ入れられた。
――屍骨召喚。
身を翻した盾持と影人の間に、骨の柱が生み出される。
狭い路地いっぱいに広がった黒骨魔柱は、同胞を踏みつけて再び押し寄せた影人の流れを食い止める。
後退する豚鬼の動きに合わせて、さらに二本の柱が追加された。
呼び出された障壁は一瞬で通路を塞ぐことには成功したが、堅いとはいえ骨は骨だ。
ひしめき合う影人の手によってガリガリと嫌な音を立てながら、骨柱は見る見るうちに削り取られていく。
「やはり、ちょびっとしか時間は稼げぬのう」
「ここは、私が食い止めます! 皆さんは早く門へ」
「うぬぬ。やむを得ん、あれをやるかのう」
心底嫌そうな表情を浮かべながら、少女はスカートの裾を捲り上げた。
染み一つない真っ白な太腿に括りつけられた革袋の留め具を外す。
「ほれ、角まで下がるのじゃ」
そう言いながら眉をひそめる少女は、革袋から糸を引く丸い何かを数個摘み上げた。
床に投げ捨てられた球体たちはベチョリと潰れ、鼻が曲がりそうな腐臭をたてる。
――屍肉召喚。
路上に現れたのは、全身のあちこちが瘤のように膨れ上がった腐った屍たちであった。
変色した眼球から呼び出された死人は、虚ろな声を漏らして骨柱へしがみつく。
「よし、今じゃ! ミミ」
「まかせて~」
路地の奥の曲がり角まで退避した狐耳の少女が、片手だけ突き出して火の玉を呼び出す。
それは真っ直ぐに、腐敗ガスを体内に溜め込んだ死者たちへ向かっていく。
結果を確認せずに、少女たちは薄暗い通路の先へ駆けだした。
背後では、骨の柱が影どもに破壊される音が響く。
そこに何かが破裂する音が加わった。
一呼吸おいて、路地裏に凄まじい爆発音が轟いた。
懸命に細い通路を走り抜ける少女たちの背中が、吹き抜ける爆風で強く煽られる。
頭上からは骨の欠片や、爛れた皮膚片が雹の如く降り注ぐ。
とてつもない臭いが立ち込める中を、小隊のメンバーはただ闇雲に走り続けた。
▲▽▲▽▲
「うむむ。臭いが取れんのじゃ」
しかめっ面のサリーちゃんが、ぱたぱたとフリルを揺らしながら残念そうに呟く。
お馴染みの黒いクラシカルなドレスはあちこちに酷い染みが出来て、古くなった卵と玉葱が混じったような臭いを放っていた。
「いや、もう助かっただけでも、御の字ですよ」
活精薬を飲み干して、一息吐いたアーダさんが言葉を引き継ぐ。
狭い路地の先頭を進む彼女の首筋は、未だ紅潮が治まらず玉のような汗が浮かんでいた。
「そうだよ、サリーちゃん。あの状況で、誰一人怪我もなかったとかホント奇跡だよ」
会話に混じりながら、ちゃんとあの後に戻ってきてくれたシャーちゃんを僕は優しく撫でた。
ゴロゴロと喉を鳴らす小蛇を愛でながら、自分の失言に気付いて急いで訂正する。
「ごめんなさい。奇跡とか失礼でしたね、アーダさん。踏ん張ってくれて助かりました。それにサリーちゃんも凄かったよ、あの爆発」
あそこから立て直せたのは、本当に凄いと思う。
流石は迷宮歴の長いベテラン。地力もすごいけど、あの咄嗟の状況判断には舌を巻いた。
僕なんて正直、ゾンビみたいな影人の群れが襲ってきた瞬間に巻き戻しかけたし。
だがあのヤバい猟犬に出会う度に巻き戻してたら、残り回数があっという間になくなってしまう。
今回凌げた一回分は、かなり大きい。
「ふむむ。まあ、そこまで言われたら、我もやった甲斐があるのじゃ」
「いや、ビックリしたよ。いつの間にあんなの出来るようになったの?」
「こんなこともあろうかと、狐娘とこっそり練習しておいたのじゃ」
えっ、何時どこで練習したんだ?
思わず、僕の背中でぐったりしたままの少女にこっそり尋ねる。
「ミミ子、本当か? そう言えばさっき、ミミって呼ばれてたな」
「ホントだよ~。ここのとこ、サリーと夜中に特訓してたんだよ」
「え、夜中に? 一体何でまた?」
歩きがてら話を聞いてみると、宵っ張りなサリーちゃんと昼寝し過ぎて寝付けないミミ子は、夜中にちょくちょく台所で顔を合わせるうちに仲良くなっていたらしい。
まあかなり人間離れした二人だから、気が合ったのかもしれないな。
「それでのう、二人で合体技は出来んかなと考えて編み出したのが、さっきの屍肉爆弾なのじゃ」
「いやもう、突っ込みどころが多すぎて言葉もないよ……」
食いしん坊どもが仲良く台所を漁るのはまだ理解できるが、そこから破壊活動へ移行する精神が意味不明過ぎる。
「切り札があったほうが、格好良いじゃろ!」
「それは否定しないけど、仲良くなったのをなんで隠してたの?」
「と、友達は、隠さねば駄目なのじゃ……」
急に前を歩くサリーちゃんの声のトーンが落ちた。
心配になって、俯く少女の顔を覗き込もうと足を速めたその時、アーダさんが凄い形相で振り向いた。
突き出された彼女の右手が、サリーちゃんの胸をしたたかに叩く。
いや、違う。突き飛ばしたのだ。
次の瞬間、何が起こったのかが、コマ送りで僕の視界に映し出される。
後ろに押される黒髪の少女。
その真下から、急激に伸びる黒く長い刃。
尖った先端がゆっくりと、アーダさんの右手首に突き刺さっていく。
そのまま刃は綺麗に、肉を貫通し切り離す。
アーダさんの右手首から先が宙を舞い、白い骨が見える切り口に血の雫が盛り上がる。
そこで僕の金縛りが解けた。
機械的に左手が弓を持ち上げ、矢と化したシャーちゃんが右手に滑り落ちてピタリと収まる。
アーダさんの手首を切り飛ばした黒い刃が地面へ引っ込む寸前、僕の弓の弦が震えた。
足元の影に突き刺さる紫の矢。
何もなかったはずの床が、大きく体をくねらせた。
地面から現れたのは、人の頭ほどの魚であった。
真黒な体を痙攣させながら、床の上で激しくのたうち回る。
その背には、黒く長い背びれが突き出していた。
「地面に隠れていたのか――って、大丈夫ですか!? アーダさん」
切り落とされた手首を慌てて拾い上げ、うずくまるアーダさんに駆け寄る。
だがすでにアーダさんは左手で器用に傷口の側を堅く縛り上げ、腰のポーチから血止め薬を取り出すところであった。
「はい、すぐに戻せば行けるはずですよ。ナナシの旦那」
「イリージュさん!」
僕の呼び掛けに、治癒術士のイリージュさんが慌てて駆け寄ってくる。
「手を貸してください。まずは血止めをしてから。えっとその後は、ぴったりと断面が重なるように」
「はい、こうですか?」
「少し傷みますよ」
「慣れっこですよ、こんなの」
眼を閉じたイリージュさんが、優しくアーダさんの手首に触って治傷を掛け始める。
言葉通りアーダさんは治療を受けている間、一度たりとも苦痛の表情を浮かべなかった。
同じように手を治療してもらって、大袈裟に痛がっていた僕とは大違いだ。
「よく気付きましたね、あの魚に」
「ええ、ヤバい臭いがしましたから。もっと早く気付いていれば、こんなドジを踏むこともなかったんですがね。お手数をお掛けして申し訳ない。でもサリドールさんに怪我がなくて良かったですよ」
「おかげで助かったのじゃ。アーダ殿は良い盾持じゃのう。亡くなる時には是非、骨を譲ってほしいものじゃ」
アーダさんは本当に男前だなあ。女性だけど。
それと影魚のヒレに切り裂かれても、サリーちゃんならたぶん平気ではあったと思う。
その辺りを伏せて、きちんとお礼を言えるサリーちゃんも偉い。
でも後半の台詞で色々と台無しだよ。
「どうもさっきのモンスターは影に潜んで、後衛を狙ってくるようですね。確証はまだ取れてませんが」
「私もそうだと思います。鎧の音を、聞き分けているのかもしれませんね」
「だとすれば、僕が前に出れば良いだけか」
常時、極眼発動状態は滅茶苦茶に疲れるが、ここで泣き言をいう訳にもいかない。
「よし。それじゃ、行けるとこまでは路地を進みましょう」
「引き返すべきだと進言したいところですが、どうやら複雑な事情がおありのようですね」
「お察し頂きありがとうございます」
それからが大変だった。
路地裏と本道と行ったり来たりで、猟犬を回避しつつ面倒な影魚を仕留めて回る。
途中で気力が尽きたイリージュさんがひっそりと物陰で気絶してたり、猟犬どもに挟み撃ちにあい、ぎりぎりで路地裏に逃げ込んだりと。
それでも一時間以上かけて、ようやく僕たちは大通りの突き当たりへ辿り着くことができた。
喊声―戦士の中級技能。雄叫びの上位技。味方にも効果がつくよ
漲力―盾持、戦士の上級技能。筋力アップとダメージ耐性アップ
気張り―盾持の上級技能。ピンチの際に限界一杯まで力が出せるよ
沸血―有角種の固有技能。闘血の応用技で肉体と精神を戦闘モードに切り替えちゃうよ
盾突―盾持の上級技能。盾撃の上位技。発動するのに一歩分距離が要るよ




