序章 大事故寸前―――00:30:00
「お客様方は最後尾の車両に避難して下さい!」
爽やかな朝日の下、走行を続ける豪華寝台列車、トワイライト・スターレイン二号車。その車両管理者、併設するカフェバーを取り仕切る女性乗務員は、残った乗客達に大声でそう呼び掛けた。
まだドキドキする心臓を押さえつつ、先程まで着いていたカウンターテーブルを見やる。皿にはあいつの残した、パンケーキの最後の一口が。融け切ったバターに浸り、すっかり黒くビチャビチャになってしまっている。だからさっさと食えって言ったのに……!
「し、しかしパレットさん。この加速では、仮令七号車まで引き返しても……!?」
一眼レフカメラを首から提げた、分厚い眼鏡の学生が慄きつつもそう反論する。と、奴の後ろから腕捲りした二十代の女が前へ出、腰に手を当てた。
「いえ、脱線しても死ぬとは限りません。少なくとも、このままここに留まるよりはマシです。それに」
緊張からか、短く息を吐く。
「―――大丈夫。まだ駅の到着まで時間があります。私達で犯人を確保し、列車を停止させれば万事解決です」
「なら政府員さん、俺も連れて行ってくれ!多少なら運転経験もあるし、それに……あの人をこのままにはしておけない」
いの一番に挙手した体格の良いコックは、脱いだ白帽子を女性乗務員に託す。
「乗客の事は任せたぞ、パレット」
「ええ。グランダも充分気を付けて」
ビンビンに立つ死亡フラグに、自分の身ぐらいは自分で守って下さいね、私も出来る限りフォローはしますけど、公務員はそう忠告した。
「我輩は行かんぞ、小娘!?」
離れた席からそう言い、踏ん反り返る中年男。彼と、彼の隣に座る盲目の婦人を見、溜息を吐くリーダー。
「分かっていますよ。犯人は銃火器を所持していますし、ハッキリ言わなくても先生はお荷物です。代わりと言っては何ですが、栗花落さんを頼みましたよ」
「フン。言われるまでもないわ」
「旦那様、そのような言い方をなさらなくても……那美さんも十二分に気を付けて下さいね」
見事に真逆な性格の夫妻からの餞別の言葉を受け、政府員は力瘤を作る。
「大丈夫ですよ、私には祖母譲りの“鬼憑き”がありますから。必ず無傷で帰って来ます」
「まあ、頼もしい」ぱちぱち。
事情はよく分からないが、本気で彼女は素手のまま奴と渡り合うつもりらしい。殺人の道具を持ち、しかも二人の人質まで取っている犯罪者と。
(本当に、大丈夫なのか……?)
「狭い場所で本気を出す以上、少数精鋭で行かせてもらいます。済みませんが先輩達も残っていて下さい」
「止むを得ないな……分かった。但し、危なくなったらすぐに引き返して来るんだぞ?」
七号車二号室の乗客、小さっぱりした銀髪に茶目の優男が忠告する。確か裁判官とか言ってたか。彼の言葉に頷く政府員。
「勿論。こんな所で命を投げ出すつもりは毛頭ありません」
「ホントに二人だけで大丈夫?」
ピンク髪の長身女、妹の治療者が首を傾げる。
「一応私も夢世界側から付いて行こうか?流石に人質回収は無理だけど、気を引くぐらいなら手伝えると思うよ」
「是非お願いします、セミアちゃん」
ふと握り締めた掌を開くと、汗でぐっしょり濡れていた。数日切っていない爪が突き刺さり、皮膚に血が滲んでいる。焦っている何よりの証拠だ。
だが行きたいと言った所で、俺は所詮子供。止められるに決まって、
つんつん。「何してるのジャック?行くよ」「!!?」
唯一の例外は欠伸をし、そのまま忍び足で俺の背後を通過した。一号車、そしてその先の―――犯人達が立て籠もる運転車へと向かうために。
「お、おい!いいのかよ、あいつ等に黙って勝手な事して!?」
大人達に気付かれないよう小声で反論する。が、十四、五歳にしては老成し切った金髪女は、相も変わらず眠たそうな顔をするだけだ。その後ろに付く毛長犬も、主の突然の行動に困惑し首をふるふるさせている。
「あんな時給取りじゃ無理だよ。人質を盾にされたら、百パーセント動けなくなって蜂の巣が関の山。自分で助けに行った方がまだいい」
「自分って、俺が?」
「他にいないでしょ。ふぁ~」
欠伸しつつ二メートル四方の狭い屋外、二号車側に設置されたベランダ部分へ到達。一号車側に移ると躊躇いも無く屈み、足元の連結器をガチャガチャ弄り始める。何する気だ?
「―――それに、どっちみち停めないと、どーせ全員もれなくお陀仏だろうし」
「えっ!?」
「言ってたでしょ彼女、『列車を天国へ還す』って。凄く厭な予感しかしない台詞だよね。あ、そろそろこっち来てた方がいいよ」
ガヤガヤガヤ!後方が俄かに騒がしくなり、俺は言われた通り一号車側にジャンプした。
ガラガラッ!「何をやっているのです、クランベリー!!?」
旅の同行者達の登場にも、彼女は一切顔を上げず作業を続けた。
先頭の保護者らしき白髪男が唇を戦慄かせる横から、先程の裁判官が顔を出す。
「イスラ様!本官達はいいですから、彼女を連れて先に脱出を!!」
「しかし、それではあなた達が!?」
「全くだよ。それに私だってまだ自殺したくないし」
「あなたは茶々を入れないで下さい!」
「あう!ちょっと失礼!!」
ぶつけた額を押さえながら、大女がドアを潜り二人を押し退ける。続いて現れたのは、彼女より頭二つ分は低い金髪の兄ちゃんだ。が、やっぱり当人は連結解除に没頭中で彼等を見ようともしない。
「幾ら何でも二人きりじゃ危ないよ、くーちゃん!?」
「お前が死んだら悲しむ奴が沢山いるんだぞ!?だから戻って来い!!」
「ヤダ。ボビー」
「くーん?」
彼女はポケットをゴソゴソし、平べったい茶色の物体を取り出した。ジャーキー?
「そーれ、御褒美だよ!」ポイッ。「きゅーん!」
放物線を描いたおやつを追い、見事な同軌道でジャンプする毛長犬。結果、着地点にいた大人達は揃って奴の突撃を食らい、狭いスペースで見事に将棋倒しになった。一番悲惨なのは最奥にいた兄ちゃんで、バランスを崩して運悪く柵の隙間に挟まり、危うく落下しそうになっている。
「ちょっとボビー、早く降りてよー!」
「くーん❤」
もぐもぐもぐ。
「いたた……」
「っう……大丈夫ですか、イスラ様?」
「重いー!二人共、早くどいて!」
「ちょ、下手に動くな!?落ちる!!」
走行音と喧々囂々の中、ガチャン!不意に重い金属音が響き渡る。同時に、ようやく現れた夫妻と乗務員達が首を出した。
「それじゃあ皆様、良い旅をー!」「「「クラーーーン!!!」」」
急速に遠ざかりながら叫んだ仲間達を、変人女王はわざと可愛らしく手を振って見送ってみせた。




