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流星疾走  作者: 夕霧沙織
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1章 脅迫電話―――85:00:00



「ただいま」


 そう言って一軒家の玄関ドアを開けたのは、四十代後半の男性。制服のボタンを外しながら、照明の点いた勝手知ったるリビングへ入っていく。左手には特徴的なフォルムの紺の帽子。どうやら職業は汽車の車掌のようだ。

 狭いながらも一国一城の主は、空のダブルソファを見て首を捻る。いつも通り二つの小さい凹みはあるものの、座面は何故か冷たかった。

(電気も点けっ放しだがまさか、二人共もう寝たのか……?)

 いぶかしみながらも廊下を抜け、子供部屋へ。だが、ベッドはどちらも空だった。シーツもピンと整えられたまま。

 振り返り、仲良く並べられた学習机も確認する。左右に取り付けたフックにはピンクと、一回り大きい迷彩柄のリュックサックが掛かっていた。

(おかしい……幾ら何でも、あの子達が玄関の鍵を掛けず出掛ける筈が無い)

 九年前に妻と別れて以来、ずっと親子三人で暮らしてきた。そのせいか二人共、特に今年十歳の長男は年齢不相応なしっかり者に育った。一つ違いの長女も、早出や夜勤のある自分の代わりに洗濯をやってくれ、とても助かっている。

(大体、買い物ならいつも下校途中に済ませて……そうだ!)

 一抹の希望を抱き、キッチンへ赴く。

 消えていた明かりを点けると、コンロには鍋が掛かっていた。蓋を取った中には、家族全員の好きなカレーが作りかけで放置されていた。テーブルにはルウの箱とカレー皿。炊飯器を開けると、炊き立ての米からは湯気が立ち昇っていた。

 落胆し、再びリビングへ戻って室内を見回したが、矢張り何処にも書き置きは無い。正に夕飯の支度中、兄妹揃って忽然と失踪、としか表現不可能な状況だ。


 プルルルル!「っ!!?」ガチャッ!「もしもし!?二人共、今何処にいるんだ!!?」


 だが、壁掛けの受話器から聞こえてきたのは、愛する家族の物ではない。機械で奇妙に歪められた、男とも女とも判別出来ない合成音声だった。


『ゼト・ビーツェだな?―――お前の大事な子供達は預かった。返して欲しければ、大人しくこちらの要求に従う事だ』「っ!!!?」


 余りに突然訪れた非日常に、二児の父は完全に頭が真っ白になった。

「う、うちに金なんて無いぞ!?この家も、まだローンが何年も残って……」

 どうにかそれだけ答えると、誘拐犯は耳障りな人工音声でくつくつ嗤った。

『知っている。安心しろ、私は身代金など取らない。ここまで男手一つで大切に育てた子供達を、こんなつまらない事で失いたくはないだろう?』

「だ、誰なんだ、お前は……!?目的は」

『―――復讐だ。そして、お前にもその責任の一端はある』

「……何?」

 恨まれる心当たりなど皆無だ。勤務態度は真面目な上、同僚や数少ない友人達との関係も至って良好。後は突然離縁を申し出て以来会っていない元妻だが、心優しい彼女が犯罪紛いの方法で子供達を奪うとはとても思えなかった。

『クックックッ……心配するな。逆らいさえしなければ、二人は無傷で返すと約束しよう』

「待ってくれ!―――頼む、せめてどちらかの声だけでも聞かせてくれないか?要求を飲むかどうかはそれから考えたい……」

 想像したくもないが、既に二人共殺害されてしまった可能性も充分ある。人質の無事の確認は、誘拐事件対処の基本だ。


『そう言うと思った。少し待っていろ』ゴソゴソ。『……お父さん?』


 受話器から漏れたのは、紛れも無い愛娘の声。反射的に名を叫び、兄の所在を尋ねる。

『お兄ちゃんは別の部屋だよ。―――ううん、縛られてない。ご飯も、さっきアンパンと牛乳もらったし……あ、分かりました』カタン。『これで文句は無いだろう?交渉成立だ』

 姿は見えずとも、相手が残忍な笑みを浮かべているのが分かった。何せこちらは絶対的弱者、最早逆らう選択肢など無いのだから……。

 ゼトは一度深呼吸し、ガックリ肩を落として降伏の意を表した。

「あ、ああ……分かった、何でもする。だからどうか、あの子達には危害を加えないでくれ……」




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