第二十三話
ガレスの荒い息が整う時間を待つことなどなく、黒怨は斬りかかる。
先程と同じ猛攻、体勢も立て直している。
だが、決定的に違うことがある。
その漆黒の剣はガレスの体に確実に届いていることだった。
致命傷ではない、だがその細かな傷はガレスの動きをより鈍らせる。
黒怨に油断はない。
大技を繰りだすこともなく確実に、正確にガレスの命を削り取っていく。
距離を少しでも離そうと、ガレスは黒怨の剣を強く弾く。
その瞬間、ガクリとガレスの膝が僅かに落ちる。
体力の限界だったのだろう、勝機と判断した黒怨は距離を僅かに広くとる。
黒怨の左手に魔力が急速に集まり高まっていく。
『黒雷よ…ッ!?』
(間合いが…開いた!)
膝が沈んだことは体力の限界が理由だった。
だがそれすらも罠だったと言わんばかりに、ガレスはの両目と体は黒怨を完全に捉えていた。
黒怨は驚愕する。
その僅かな隙を逃さぬと、ガレスの体は弾けるように飛び出していた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」
左下に剣を構え、瞬く間に距離を詰める。
そして左下から右上に向けての逆袈裟斬りが、天を昇る竜のように黒怨の体を駆け上がった。
ガレスの渾身の一撃は黒怨の鎧を割き、その兜を弾き飛ばす。
だが、そこまでだった。
ガレスの視界が黒く染まり上がる。
『堕ちろ!!!!!!』
天より飛来せし黒き雷がガレスの全身を撫で下ろした。
その一撃により、決着は着いた。
ガレスの体は崩れ落ち、視界は歪む。
すでにその眼には、ぼやけた映像しか映っていない。
だが、ガレスはしっかりとその眼に捉えた。
膝を着き、右手の剣を支えに何とか崩れ落ちることを耐えている。
そして兜が飛んだことにより、露わになったその素顔をだ。
(あぁ、なんということだ)
ガレスは絶望する。
初めて彼はその運命を呪った。
やはり継承の呪印は呪いだった。
そのことをはっきりと理解してしまう。
(勇者が勇者を殺す。 そんな悲しい現実があっていいのだろうか)
黒怨のその素顔をガレスは知っている。
彼が誰よりも尊敬の念を送り、そして信じて送り出した。
国に虐げられ、世界に裏切られた。
その素顔は紛れもなく、初代勇者ウィーゼルだった。
青き呪いが眩い光を放ち、ガレスの首から飛び立とうとする。
だがその光を、ガレスはその手に掴みとった。
その手に力はなく、魔力も籠ってはいない。
ただその手には、たった一つの…願いが籠っていた。
(ゲラード…)
伝わるはずがない。
届くわけがない。
継承されるのは知識だけである。
だがそれでも、その願いをガレスは込める。
ただ、ただ…願いを。
そして、その手から力が抜けて崩れ落ちる。
青き光は天高く飛び上がり、ツヴァイド王国へ向けて流星の如く降り注いでいった。
それを見届け、黒怨は立ち上がる。
黒天の回復魔法により、傷は塞がっていた。
完全に治ったわけではなかったが、立ち上がるのには十分だった。
ガレスの黒焦げた遺体に近づき、黒怨は跪き語りかける。
「…ガレス将軍。 なぜ逃げてくれなかった。 俺はあなたを殺したくなかった」
強く拳を握るウィーゼルの目から一筋の光が零れ落ちる。
それを最後に、立ち上がり兜を付け直す。
黒怨の目に宿りしは怨嗟。
その背中から重いものが一つ減り、そして新たな重いものがまた一つ圧しかかる。
殺したくなかった、だが殺した。
その眼の先に映るものは、漆黒だけだった。
『紅蓮の王の前に現れし勇なる者。 その強気意志だけが、この永き混沌を終焉に導くであろう』
ゲラードは目を覚ます。
何か不思議な光に語りかけられた覚えがある。
そして、そこには祖父の気配も感じた気がした。
立ち上がると、顔に違和感を感じる。
その目には一筋の涙の跡があった。
理由も分からずに、ゲラードは外に出て空を見上げる。
空を流れる青き流星が、ツヴァイドの城へと降り注ぐのが見えた。
そして自分に流れていた涙の意味を知る。
逝ったのだと。
ゲラードは声無く涙を流す。
その涙を拭うこともせずに、すでに消え去った青き流星の幻影をずっと睨み続けていた。
早朝、ゲラードはシルベア王女に呼び出される。
呼び出されることを分かっていたゲラードは、すぐさま王女の待つ場所へと向かった。
到着した場所にいたのは、シルベア王女のみであった。
御付の人もなく、たった一人で窓を見ていた。
まるでその顔を見られたくないと、背を向けている。
「…ガレスが逝きました」
「はい。 分かっております」
言葉は紡がれない。
話すべきことはいくらでもある。
だが、震える声を抑えることでシルベアは必死だった。
「三代目勇者が身罷られた以上、次の勇者を選抜する必要があります」
「シルベア様、そのことでお話したいことがあります」
ゲラードの言葉に、シルベアは察する。
「なりません」
彼女はその言葉の先を拒否した。
確かにガレスが死んだ場所はアインツ城の王の間。
必要な情報は集まったのかもしれない。
だが、四天王を倒す方法を模索する必要がある。
そうシルベアは考えていた。
(いいえ、それは言い訳ですね)
彼女はゲラードを失いたくなかった。
例え誰を犠牲にしてでも、未来のために生きる覚悟をしていた。
だがガレスはシルベアに伝えていた。
ゲラードこそが最後の勇者であると。
そして、まだその時ではない。
そう思い込むことで先延ばしにしようとした。
ガレスの次にゲラードを失ってしまったら、それに耐えられる自信がなかった。
「…神託が下りました」
「神託? やめてください! その言葉でアインツ王族は初代勇者を騙し、国民を騙し、アインツ王国を滅ぼしたのです!」
背を向けたままこちらを向かないシルベアに近づいたゲラードは、彼女の肩を掴み自分の方を向かせる。
その目は赤く、泣いていたことはすぐに分かった。
「やめて! 離してください!」
「シルベア!」
ゲラードの強い言葉にシルベアは肩を震わせた。
「…神託が下ったんだ。 俺に継承をしてくれ。 たぶんそれで全部分かる気がするんだ」
「だめです! まだ四天王の情報は集まってなく、不十分です!」
ゲラードは優しく首を横に振った。
「俺が最後の勇者だ。 分かるんだ。 信じてくれないか」
その決意は固く、シルベアに映るゲラードの顔は知っている彼であり、そうではないようにも見えた。
シルベアは青の首飾りを強く握りしめ下を向く。
そのまま二人の間に静寂が訪れる。
しばらく経つと、シルベアは顔を上げた。
その顔は、王族としての彼女の顔だった。
「信じましょう。 我が忠勇の騎士ゲラードよ。 次の勇者はあなたです。 …これが、最後の勇者とならんことを私は望みます」
「お任せください。 必ずやご期待に応えてみせます」
膝を着き、ゲラードは恭しく頭を下げた。
そしてシルベアの手で青の首飾りは薄く光り、ゲラードへと継承の義を済ませた。
その瞬間、ゲラードは知る。
初代勇者の絶望を。
二代目勇者の志を。
三代目勇者の願いを。
そして青き首飾りは、継承の呪印は砕け散った。
「継承の呪印が…」
驚愕するシルベアを尻目に、その青き残照をゲラードは撫で上げる。
「許容量を超えたのでしょう。 知識だけでしたら、壊れることはなかったはずです」
「知識だけ…。 何か、他のことも継承をしたのですか? でもそんなことはありえません」
「その通り、ありえません。 でも今ありえたのです。 この呪印に知識以上に込められていたものは…」
「…込められていたものは?」
胸の前に持ってきたその手を強く、強く握りしめ、自分の胸を軽く打つ。
「願いです」
毅然と、強くゲラードは言い切る。
その姿には悲しみも、優しさも、強さも見て取れる。
色々な物を、その身に内包していた。
ゲラードはマントを翻し、扉を開く。
「旅立つのですか?」
シルベアの言葉に、一度だけ立ち止まる。
「はい。 全てを終わらせにいきます。 この間違った世界を、救われなかったあの人を、この手で救い出します」
「分かりました。 私にできることがあれば言ってください。 いえ、その姿を見る限りもう何もできることはないのでしょうね。 では最後にこの祈りを送らせて頂きます」
シルベアは胸の前で両手を重ね合わせる。
「勇者に幸運を」
その祈りを背に、その願いを胸に、その手に握りしは天剣グリムカーレッジ、神託を受け今彼は旅立つ。
最初に目指すべき場所はアインツ城、旅立つは最後の勇者。
『継承の勇者』ゲラード。
永き混沌を終焉に導くために。




