そうは問屋が卸さない
魔族の長たる若き王、漆黒の魔王レイヴァーンは苦悩していた。
「はぁ~~~……」
「如何なされました? お疲れになりましたか?」
空色の髪と瞳を持つ宰相テューロは、書類の山に埋もれながら深く長いため息を吐く主君に対し、さして心配している様子もなく声を掛けた。
「疲れていることには違いないんだが、仕事に疲れた訳じゃないよ」
「ああ、彼のことですか」
レイヴァーンが頭を痛めているのはまさにテューロの言う『彼』についてのことであった。
とある事情で王城の地下牢に投獄されている一人の人間。その人間は、かつては敵意すら抱いていた魔族の王にあろうことか恋をしてしまったのだ。ちなみにその人間の性別は先程テューロが『彼』と呼んだ通り、男である。
心の内に秘めたる恋ならばまだ許されもしただろう。しかし、その人間に耐え忍ぶという気は全くないらしく、脱獄を繰り返しては強烈なアプローチを仕掛けていた。そちらの趣味は持ち合わせていないレイヴァーンはもとより、脱獄の度に打ち倒される見張りの兵士達にとっても気の毒な話である。
「一度、貴方様が抱くなり抱かれるなりすれば解決する話のように思えますが」
「何度も同じことを言うが却下だ却下! ……何が悲しくて初めての相手を男で済ませなければならないんだ……」
「そもそも、未だに女ですら知らないというのも問題かと」
「ぐ……っ」
その話題になると言い返すことが出来ない。王族の男は年頃になると情婦の一人や二人あてがわれるものであるが、王位継承順位下位であったレイヴァーンにはそのような機会は与えられなかった。結果、色恋沙汰に奥手な性格も相まって未だに童貞である。
「世継ぎの問題があります。王たる身、些細なこだわりを持ち続けていてはいつまで経っても子を残せませんよ。男の貞操など、さっさと野良犬にでも差し上げてしまうべきです」
「待て。うっかり丸め込まれるところだったが、世継ぎ問題を前提とするならばますます想いに応える理由にはならないじゃないか」
「そうですね」
企みが暴かれたからといって特に悪びれる様子もなく、テューロはさらりと同意してみせた。
「……お前、面白がってるだろう」
「多少は」
「そこは嘘でも否定して欲しかったよ! 前々から思っていたが、俺のことを敬おうという気が全くないよな?!」
「そのようなことはございません。陛下が靴を舐めろと仰るならば私はそれに従う所存。貴方様にそのような趣味があればの話ですが」
「だからそういうところを言っているんだ!」
怒鳴り疲れ、レイヴァーンは机のわずかな隙間に突っ伏して肩で息をした。そんな主君の状態に構うことなく、テューロは話を元に戻した。
「それはともかくとして、現状、鋼鉄の部隊を中心に城内での被害は甚大。このままの状態が続けば軍部全体の士気にも係わります。扱いを見直す必要はあるでしょうね」
そう言って一枚の紙を書類の山の上に重ねた。
「アレクサンドルの今後の処遇についての案です」
*
「だー……疲れた~~」
だらしない愚痴を洩らすリドリーを先頭に、ベルナート、セイラムが続いて兵士詰所の扉を潜った。
他の兵士との配置交代の都合上、この三人は休憩時間が重なり共に時間を過ごすことが多い。ベルナートとセイラムが剣や鎧といった装備を外している間、リドリーは装備を外すより先に薬缶を火に掛け、茶を淹れる準備を始める。休憩時間に茶を淹れるのは専らリドリーの役割だ。自ら率先しての行動とはいえ先輩に任せ切りにするのも失礼だと思い、セイラムは一度自分が茶汲みをすると申し出たことがあったが「俺の聖域に触れるな」とよく意味の解らない断り方をされて以来、口出しをしないことにしている。軽い性格には似合わず茶を淹れるのが趣味のようで、自ら美味しい茶を淹れることが仕事でのストレス解消にも繋がっているらしい。
「しかし、今日は珍しく平和だったな」
「そうですね、今日の悪鬼は珍しく大人しくしていたようですね」
『悪鬼』とは地下牢に囚われている人間の、鋼鉄の兵士内での通称である。日々脱獄を繰り返す悪鬼の制圧・捕獲に走り回っている彼らであるが、この日は珍しく悪鬼脱獄の報告を受けることはなかった。
「嵐の前の静けさってヤツかもな~」
茶の準備を終えてようやく装備を外し始めたリドリーがそんなことを言った。
「やめて下さいよ、縁起でもない――」
セイラムの声は、勢いよく開かれた扉の音に掻き消された。
「誰かいる?」
ノックも無しに扉を開け放ったのは、銀髪の華奢な青年――噂の悪鬼であった。
「「アレックスーーー!!?」」
三人が三人とも、その名を叫んで外したばかりの剣を手に取ろうと慌てふためいた。
「ヒトの顔見て叫んでるんじゃないわよ、化物じゃないんだから!」
悪鬼は手近にあったテーブルの端を掴んでひっくり返した。幸い三人とも直撃は避けられたものの、椅子が一つテーブルの下敷きになって壊れた。
「別にアンタ達に危害加えようと思って来たワケじゃないんだから、怯えなくたっていいわよ!」
そうは言うが入室早々危害を加えられているので説得力はない。哀れ椅子。リドリーは倒れたテーブルを盾にして恐る恐る顔を出した。
「えーと……アレクサンドルさん? 言葉遣いがサーシャさんに戻っちゃってるんですけど……」
「アレックスで構わないわ。言葉遣いについてはまだちょっと慣れてないだけだからいちいち気にしないで」
サーシャとは悪鬼――本名アレクサンドル――が女性として振舞っていた頃に使っていた名である。サーシャとして生きてきた期間が長い所為か、そちらが地である所為か、まだ男として振る舞うことに慣れていないらしい。
「それで、こんな所に乗り込んできて一体何の用だ?」
ベルナートがテーブルの陰で剣を抜く用意をしながら尋ねる。悪鬼が牢を破って向かう先は魔王の下と決まっているため、王族がまず寄り付くことはない兵士の詰所に現れることは異例であった。現在この場に兵士は三人しかいないが、いつも障害として立ち塞がる兵士達を纏めて叩くべく、本拠地を占領しに来たのだろうか。
「ちょっと相談に乗って欲しくて来たのよ」
「そ……相談、ですか?」
思いもよらぬ用件に、セイラムはどうしたものかとベルナートを見た。ベルナートもどうすればいいか解らないと言うように首を振りリドリーを見たが、やはり同じようなジェスチャーで返された。
「だってこの国に知り合いなんて、毎日顔合わせてる貴方達くらいしかいないんだもの。邪魔さえしなければ理由もなく襲い掛かったりはしないわ。たまには、ゆっくりお茶でも飲んでお話しましょ?」
タイミングを見計らったかのように、薬缶の湯が煮立って噴き零れる音がした。
そのような訳で兵士達は倒れたテーブルを立て直し、椅子の残骸を部屋の隅に追いやり、テーブルを挟んで悪鬼と茶を飲む羽目になっていた。流石に仲良くテーブルを囲む気にはなれず、一面にアレックス、その対面に三人が横並びになって着席するという偏った配置になっている。妙な緊張感があり、まるで一対三の面談か何かのようだ。
茶はいつも通りリドリーが淹れてくれたのだが、味など判らない。休憩中だというのに全く安らげやしない。
「それで、我々に相談というのは?」
お茶会を長引かせたくないのは三人共通の意思である。席に着いて早々、年長者のベルナートが進行した。
「魔王様のことよ。私は魔王様のことが大好きで、毎日毎日障害を乗り越えてまで想いを伝えに行っているというのに、魔王様はどうして私の気持ちに応えてくれないのかしら……」
日々乗り越えられている障害は目の前にいる三人を含む鋼鉄の兵士達である。悪鬼の相談事は想い人の魔王関連だということはある程度予想していた。よって三人は、すぐさま相談内容に対する解答を導き出すことが出来た。
「男だからだ」
「男だからだよな」
「男だからですよね」
「そこは問題ないわ」
何故自信満々に違うと言い切れるのか。
「だって魔王様、初めて逢った時に情熱的な告白をしてくれたもの! 性別なんて気にする小さな男ではないわ!」
『そうなのですか』と悪鬼と魔王の出逢いの場面を知らぬセイラムは動揺した様子で先輩兵士を見た。アレックスの前で直接口に出すのは憚られるため、二人はハンドサインで『誤解に誤解が重なった上に都合の良い解釈が為された結果だ』と伝えた。戦場では直接声で伝えられず、ジェスチャーだけで指示や状況を報告しなければならない場面もある。大抵の事が言葉無しに伝わるのは戦場の絆によるところだ。
「それなのに振り向いて貰えないのは、私の努力が足りないからだと思うの」
これ以上の努力はただひたすらに鋼鉄の負担を増やすことに繋がるだけのように思えてならない。
「彼に求めるばかりじゃなくて、彼が求めているものを与えることだって必要よね。魔王様ってどんなコが好みかしら?」
「我々のような下っ端が陛下の個人的な趣味嗜好など知る由もない」
「それもそうね。じゃあ一般論でいいわ。私はどんな風になれば好かれると思う?」
「暴れない」
「ヒトの言う事をよく聴く」
「大人しくする」
それは理想の恋人ではなく模範囚である。
「なるほど、慎みを持てということね」
都合良く解釈されてしまったが、あながち間違ってはいないのでよしとした。
「けど根本的な話ですね、どう頑張っても正妻にはなれないと思うんすよね……ほら、世継ぎの問題もあるし……」
妙な緊張感の所為で先程から中途半端に敬語交じりのリドリー。言っていることは正論である。万が一魔王がアレックスを傍に置くことにしたとしても、王の立場としては子孫を残せぬ婚姻は無意味である。『普通に女の子が好き』とは魔王本人の談なので、一生独身で通すつもりもあるまい。
「そんなこと解ってるわよ」
またテーブルを返されるかと身構えたが、意外と殊勝な応えが返ってきた。
「性別も身分も種族も、何もかも道ならぬ恋だってことくらい解っているわ。そりゃちょっとは嫉妬しちゃうだろうけど、将来的に魔王様がどこかの女を一番に選んだって仕方がないと思う。私はその女の次でも……ううん、あのヒトは国のことも愛しているから、三番目――…それより下でも構わないわ。何番目だって構わない、でも、ちゃんと見て貰いたいのよ。『人間の』友人としてではなく『私』自身を」
日頃の言動から視野狭窄だと思っていただけに、魔王に多少なりにも政治的な目線で見られていることを理解しているとは、兵士達は思っていなかった。もっとも『ちょっとの嫉妬』の程度までも客観視出来ている、と思える程には楽観的な見方はしていないが、目の前の悪鬼の見方をほんの少し変える材料にはなったようである。セイラムに至っては涙目になっている。
『泣いたら負けだぞ』
ベルナートからのハンドサイン。
「す……すみません……」
額を掻く振りをして涙を拭った。実を結ばぬ悲劇的な恋の話に極端に弱いセイラム。思わず出そうになった応援の言葉をぐっと飲み込んだ。
「なんだか久しぶりにゆっくりとヒトと話をした気がするわ。お茶も美味しかったし。やっぱり暗くて狭いところに閉じ篭ってると気分も滅入っちゃうしダメね。」
果たして一日でも大人しく閉じ篭っていた日があったであろうか。
「貴方達の言った事は参考にさせて貰うわ。休憩中に付き合って貰っちゃって、悪かったわね」
ともあれ、アレックスは兵士達に礼を言って席を立った。
兵士達の想いがどれほど伝わったかは定かでないが、これを期に悪鬼が少しは落ち着いてくれることを期待する。
「さーて、そうとなったら早速アドバイスを実践しに行かなくちゃ♪」
「「ちょっと待てぇぇえ!!」」
兵士達の想いは欠片程も伝わっていなかった。
結局、この後いつもの大乱闘へと発展し、三人は休憩時間にも係わらず全く身体を休めることが出来なかったのであった。
*
「……ええと……なんと言うか、これは……」
テューロに渡されたアレクサンドルの処遇改正案の書類に目を通し終え、レイヴァーンはなんとも渋い顔になった。
「日々彼が脱獄を繰り返しているのは、囚われの身でありそれしかすることがない、というのが原因の一つだと考えられます。ならば、我々の方から日々を過ごす目的を与えてやり、情熱の矛先を変えてやればよろしいのではないかと」
「いや、まぁ……理由としては納得出来るんだが……」
補足の説明を受けて尚、微妙な表情のレイヴァーン。
「今考えられる最善の手だと思われますが、何かご不満が?」
「不満というか……実行するとなると、彼らがあまりにも不憫だという気が……」
書類の文面にもう一度目を通し、生贄となる彼らの苦労を思う。
「この案を却下されるのでしたら、あとは陛下が身を捧げるしか手がなくなります」
「二択?!」
「二択です」
正に究極の選択。どちらを選んでも誰かに災難が降りかかることは避けられない。
「如何なさいますか?」
「うぅ……背に腹はかえられないか……」
そうは言うが、王の立場としてまだ背中の痛みにも慣れていないレイヴァーン。罪悪感に苛まれつつ、書類に判を捺した。
*
「――という訳で、連絡事項は以上だ」
明くる日の朝、セイラムは定例のミーティングに寝惚け眼で出席していた。昨日は休憩時間を丸々潰されてしまったため、身体を充分に休めることが出来ず翌日に疲れを持ち越してしまう結果となった。共に災難に巻き込まれた二人も同様で、リドリーは頻繁に欠伸を噛み殺していた。
「他に、何か報告のある者はいないか?」
これが終われば円陣を組んでの気合注入が待っている。気合を入れて目を覚まさなければ、と思いつつセイラムも欠伸を噛み殺した。
「特にないようだな。それでは――」
部隊長が円陣の号令を掛けるべく、仁王立ちになって大きく息を吸い込んだ――と同時に、勢いよく詰所の扉が押し開かれた。
「お邪魔するわよ!」
ノックも無しに扉を開け放ったのは、銀髪の華奢な青年――切って貼ったかのような展開に、セイラムの眠気が一気に吹き飛ぶ。前日も似たような経験をしたばかりの三人は比較的落ち着いていたが、他の兵士はそうはいかなかった。
「「アレックスーーー!!?」」
突然の悪鬼登場に兵士達は一斉にドアの方へと向き直り、剣を抜こうと慌てふためく。
「だからヒトの顔見て叫んでるんじゃないわよ!」
悪鬼は手近にあった扉をもぎ取り投げ付けた。数名の兵士が直撃をくらい、バタバタとドミノ倒しのように倒れた。
「な、何をしに現れた!?」
「何って、魔王様の勅命を伝えに来たのよ」
「ちょ、勅命だと……?」
アレックスは一枚の紙を掲げ、簡潔にその内容を読み上げた。
「本日付けでこの私、アレクサンドルは鋼鉄部隊の特別訓練教官に任命されました!」
「何だと!?」
部隊長はアレックスの手から書簡を引ったくり、内容を検めた。数名の兵士が後ろから覗き込み、目を通し終えると隣の兵士に回した。セイラムも回って来た書簡を検めたが、それは間違いなく王の署名と判の捺された正式な勅命書であった。
「私にしか出来ない仕事だって言って、魔王様が直々に指名してくれたのよ。こんな嬉しいことってないわ!」
頬を紅潮させるアレックスとは対照的に、兵士達は顔を青くさせた。
「そんなワケで――……」
アレックスは一歩踏み出すと男らしく足を開いて踏ん張り、胸を張った。
「私が貴方達をビシバシしごいてあげるから、これから改めてよろしくね♪」
アレックスは仁王立ちのまま可愛らしくウィンクを飛ばし、鋼鉄の兵士達の悲痛な叫び声が王城に木霊した。
魔王城の平和は名も無き兵士達の活躍によって保たれています。
色々なものを削って働く兵士さん達のお陰で、王城は今日も、一部を除いて平和そのものなのでありました。




