3-8 路地裏の作戦会議
走る。走る。走る。
本来であれば、飛び道具を持つ相手に対して距離をとるなど愚行もいいところだ。しかし、正体不明の魔法に正面から立ち向かうのはもはや自殺行為でしかない。そう判断した日々也とリュシィはとにかく逃げることを選択した。
走る。走る。走る。
せめてもの抵抗にと、射線が通りづらそうな移動方法だけは心がける。角があれば曲がり、物陰を見かけては潜り込みながら、やたらめったらに路地裏を進んでいく。向かう先はどこでもいい。何よりも安全の確保が最優先だと考えて。
走る。走る。走る。
「………っ。アカン、もう無理や!」
そして、唐突にリュシィが足を止めた。横合いの壁に体を預け、荒々しく肩で息をする。
もちろん疲労もあるのだろう。とはいえ額に浮かぶ脂汗の量は尋常ではなく、異常事態が起こっていることは日々也からしてみても明らかだった。
「大丈夫か? リュシィ」
「あの子、意外と容赦ないわ。おもっきし急所を狙ってきよった」
日々也の問いかけに明確な答えを返さず、リュシィはただ自分の上着をめくりあげる。
そこには、
「お前、撃たれて……!」
「影をな。『影法師』は使用者と五感を共有しとるんや。せやから、やられてしもたら本人にもこうやって影響が出るねん。一定以上の衝撃を受けたら解除されるから、死んだりはせぇへんけどな」
だとしても、辛いことは辛いはずだ。実際、心臓と腎臓があると思しき場所にできた青黒いあざの発する鈍痛は現在進行形でリュシィを責め苛んでいる。
「治癒魔法で治せないのか?」
「あんなぁ、ヒビヤ。リリアが側におるせいで感覚狂うとるんかもしれへんけど、あれめっちゃムズいんやで。適性もそうやけど、飛び抜けたセンスがないとアカン。そっち方面の才能がある一握りのやつやないと使われへんのんや」
意外な返答であった。だが、思い返してみれば確かにリリア以外の人物が使用しているのは見た覚えがない。
「……………くそ」
自らの空っぽの手のひらを見つめて、日々也が小さく毒づく。
せっかく買い込んだ物は全て先程の騒動の最中に紛失してしまっていた。せめて風邪薬のついでに購入しておいた痛み止めが残っていれば、多少は体の不調も誤魔化せたろうにと歯噛みする。
「悪い、僕のせいで……」
「アホ。何があったんかは知らんけど、明らかに悪いんは向こうさんの方やろ。せやったら、謝るよりも先にこれからどないするか考えようや。自分があの子泣かすようなことしとったっちゅうんやったら張り倒すけど」
「そんなわけないだろ」
「せやろな。そないな甲斐性があるとも思われへんし」
「ぶっ飛ばすぞ」
「いやーん、暴力反対」
現在の危機的状況にそぐわぬやりとり。まるで平時のような冗談の応酬。それは一種の逃避、あるいは精神の防衛機構であった。
死にかけたという事実によって心の内にたまった恐怖や焦燥を『普段通りの振る舞い』で薄め、正常な判断をするために気持ちを落ち着ける。
とはいえ、時間は有限だ。いつまたロレッタに襲われるか知れない今、言葉は少なく、効果は大きくを無意識に行っていく。
そして、ある程度の冷静さを取り戻した頃合いでレイクは『さて』と切り出し、
「とりあえず、現状の整理といこか。まず、ワイらの勝利条件はロレッタを止めることや。その方法は?」
「憲兵に連絡、か? ちょっとありきたりすぎるかも知れないけどな」
本来であれば、新しく借りを作ってしまうという問題こそあるものの、理事長に助けを求めるのが最も安全かつ確実な手段ではある。しかし、国王に謁見するため今この街から離れている彼を頼る術はない。通信魔法機で学園の誰かに危機を伝えるという案も一瞬だけ日々也の脳裏をかすめたが、これ以上誰かを巻き込むようなまねは避けたかった。
となると、やはり憲兵をあてにするのが一番だろう。幸い、レオと同じ不埒な輩が紛れ込んでいないことは理事長と憲兵長が確認してくれている。仮に見落としがあったとして、なおかつその人物がロレッタと通じていようとも周囲の目がある状況でおかしな動きをすれば即座に誰かが気づいてくれるはずだ。
「ほな、そういう方針で行くとして、次はこっちの手札の把握やな。ヒビヤ、今お前が使える魔法って何があるんか教えてくれるか?」
「何がって……わざわざ聞かなくても知ってるだろ?」
そう言って、日々也は己の手をプラプラと振ってみせる。
彼がこの世界に来てから扱えるようになった魔法など一つしかない。一応、簡単なものをいくつか練習してはみたものの成果はからっきしだった。
その回答にリュシィはため息をつき、
「危機感うっす。いつ、どないなことが起こるか分からん世の中なんやから、備えは怠らんのが常識やろ」
「あいにくと、僕が元いた世界はそこまで物騒じゃなかったからな。ずっと気を張って生活するような習慣は身についてないんだよ」
わざとらしく肩をすくめる友人に皮肉で返す日々也。
軽い冗談の応酬を続ける最中、リュシィは不満げに舌を突き出す。
「そら羨ましいわ。けど、今後は一個でええから護身用に保存しといてくれや」
「……………肝に銘じておくよ」
確かに、もう少し用心するべきなのかも知れない。あまりに似ているせいで忘れがちになってしまうが、ここは日々也の世界とは違うのだ。これまでの人生で培ってきた常識が通用すると考えるのは些か軽薄に過ぎる。現にリリアの治癒魔法を『流転回帰』で保存しておけば、リュシィの怪我を治せる可能性もあっただろう。
「ま、しゃあないもんはしゃあないか。ひとまずは『七条の矢』、渡しとくわ。七個が上限やったっけ?」
「さっきの………『影法師』? あれはくれないのか? 色々あった方が役立つと思うんだけどな」
「あー、んー……『影法師』、なぁ。ええっちゃ、ええんやけど………どないしよか……………」
日々也の言葉を聞いた途端、急にリュシィの歯切れが悪くなる。
何事かを真剣な様子で思案する彼は、少しして『影法師』の魔法陣を差し出すと、
「使ってみ。実際に体験するんが一番手っ取り早いやろうし」
「すごいな、猛烈に欲しくなくなってきた」
含みのある言い方に躊躇する日々也。
しかし、どうあれ味方が持つ魔法の特徴を把握しておくのは重要だ。『流転回帰』で受け取った『影法師』を恐る恐る使用してみる。
瞬間、
「うわっ!?」
短い悲鳴を上げ、日々也が両手で頭を抑えた。
それもそのはず、自身の影が立ち上がるやいなや膨大な量の情報が流れ込んできたのだ。
「言うたやろ、五感を共有しとるって。慣れへんうちは酔うてしもうて、形を変えるどころかろくに動かされへんねん」
「ちょっ、と……静かに…しててくれ………」
自分が発した声すらも気持ち悪い。
同時に映る二つの視界。重なって聞こえる周囲の雑音。乾ききらない雨の匂いと肌に纏わり付く湿度の高い空気までが倍に感じられ、通常ではあり得ない事態に脳がパニックを引き起こしていた。
あまりの目眩と吐き気に、日々也はたまらず魔法を解除する。
「お、お前、よくこんなの扱えるな……」
「ワイかて最初はゲェゲェ吐いたわ。むしろ、一発で上手いことできとったらこっちが凹むっちゅうねん」
予想通りだと言わんばかりにケラケラとリュシィが笑う。そして、恨めしそうに自身を睨みつける日々也へ視線を返し、
「ほんで? いるか? この魔法」
「…………………………一応」
「はははっ、物好きやなぁ」
「うるさい」
正直なところ、まともに扱うのは難しいだろう。しかし、選択肢が多いに越したことはない。いざとなれば緊急時の盾くらいにはなるはずだ。そう考えた日々也は五回分の『七条の矢』と二回分の『影法師』を貰って、強く拳を握りしめる。
これが今の生命線。他人よりも魔法の使用に制限が課せられている以上、タイミングはしっかり見極めねばと自分に言い聞かせる。
アレウムのときは幸運だった。レオのときはリリアとルーに助けられた。だが今回、共にいるのは負傷したリュシィだけだ。頼ってばかりではいられない。むしろ、守るくらいの気概を持つ必要がある。
経緯がどうあれ、それが巻き込んでしまった者としての責務なのだから。
決意も新たに気を引き締め直す日々也。そんな彼の横でリュシィは大きく息を吸い、長く長く吐き出すと、
「よっしゃ! 方針も決まって準備もできたし、ぼちぼち動くとしよか!」
「もうか? 怪我してるんだからまだ休んでても………」
「ロレッタやって、じっとはしといてくれへんやろ。行動するんは早いほうがええ。第一、こんな程度は傷のうちにも入らへんわ」
あくまでもリュシィは元気な振る舞いだけを見せる。余計な心配をさせないため、なのだろう。もちろん、これがただの空元気であるのは日々也とて理解している。とはいえ、すぐに動くべきという意見が正しいのも確かだ。じっとしていては、発見される危険性も相応に高くなっていく。
「せめて、あいつの魔法が何なのかだけでも話し合っておきたかったな」
そう呟きながら、日々也はばつが悪そうに頭を掻く。
相手の魔法がどのようなものなのか。判明しているのといないのとでは大きく違うことを、今までの経験から嫌というほど思い知らされていた。
「んなもん、あの鉄砲が関係しとるに決まっとるやろ。詳しいところ詰めるんは移動しながらでもできるんやから、とっとと行くで」
「詰め所の場所は分かるのか?」
「大体はな。あっちこっち走り回ったせいで、ちょい自信ないけど。それより、問題はどこの詰め所に行くかや。いっちゃん近いんはさっきの場所の辺りやから、戻らなアカン。その場合は……」
「ロレッタと鉢合わせる可能性がある、か」
「せや」
肯定の言葉に日々也はしばし考える。一刻も早く憲兵に保護を求めたいが、ロレッタに遭遇するのは避けたい。
安全に遠回りをするか、危険を冒して近道をするか。
「戻っても大丈夫だと思うぞ。あいつはこっちを見失ってるだろうし、何より方向音痴だからな。多分、見当違いのところを探してるだろ」
二つの選択肢を天秤にかけ、彼は慎重に結論を出す。
直後、
「ふむ、今の評価はさすがに傷ついたぞ」
声は、空から降ってきた。




