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お前のような冷血女に彼の遺品は触らせない  作者: 秋月 もみじ


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12/12

第12話 生きていくための手紙

 カイルの葬儀は、それから四日後に執り行われた。


 王宮の北の丘にある、クロイツァー家の墓所。

 母親が白百合を手向け、参列した騎士たちが一人ずつ頭を下げる。白金星章は授与箱に収められ、式が終わるまで墓前に置かれていた。


 すべてが済んで人が少なくなった頃、私は墓碑の前へ進んだ。

 証拠品は、まだ法務院が預かっている。

 遺品の整理も、カイルを失った悲しみも、終わってはいなかった。


「……カイル様」


 名前を呼ぶと、風が木の枝を揺らした。


「あなたのお手紙を、読みました」


 それだけ言ったところで、喉が詰まった。

 何を報告するか、昨夜は順番まで考えていた。何一つ、そのとおりには出てこない。


「花を、まだ持っています。最初に、いただいた花です」


 墓碑に刻まれた名が滲む。


「次にお会いしたら、お伝えしようと思って……」


 次は、なかった。

 そのことを、頭ではずっと知っていた。

 身体の方が遅れて理解したように、膝から力が抜けた。


「もっと、お話ししたかったです」


 涙が落ちた。

 今度は、すぐには拭かなかった。


 隣に立っていたレナート卿が、少し屈んだ。


「ここにいて、いいか」


 私は頷き、彼の右の袖を掴んだ。

 肩の傷を避けるよう、彼は私の背へ右腕を回す。


「まだ、片付いていないのに」


 泣きながら、そう言ってしまった。

 父の声は、なかなか消えてくれない。


「途中でも、いいだろう」


 レナート卿が答えた。


「続きは、休んでからできる」


 私は彼の上着へ額を寄せた。

 泣けば、すべてが洗い流されるわけではなかった。喪失は残るし、言えなかった言葉は戻ってこない。

 それでも、泣いている私のそばから、誰も立ち去らなかった。


 やがて顔を上げると、彼の目元も濡れていた。


「……手巾を、お返ししなくては」

「洗ってからでいい」

「今、あなたにも必要でしょう」


 私が新しい手巾を差し出すと、彼は不意を突かれたように目を瞬いた。

 それから受け取り、自分の目元へ当てた。


「ありがとう」


 私は墓碑へ向き直った。

 別れの挨拶は、うまく言えなかった。

 だから、次に来る日を決めた。


「また、来ます」


 白百合が風に揺れた。

 それをカイルの返事だと決めつけずに、私はしばらく見ていた。

 彼を好きだった気持ちは、返事がなくても、ここへ持ってきてよかった。


 帰る前に、勲章は母親が持ち帰った。

 私も手紙を鞄へしまう。雨に濡れるところへ、大切なものを置いたままにはしない。

 花だけを残し、私たちは丘を下りた。


 ***


 事件の判決が出たのは、二か月後だった。


 装蹄を担当した者の証言、針と送信器の鑑定、ゴドウィンへの指示書が揃い、カイルの死は計画的な殺人と認定された。

 倉庫の武器は、帝国北部の反乱勢力へ渡す予定だったことも、商会の取引記録から裏づけられた。

 バルツァーには、武器の不正売却と殺人を命じた罪などで終身刑が言い渡された。職と爵位を失い、不正な取引に関わる財産は没収された。

 ゴドウィンや関与した幹部たちも、それぞれの行為に応じて裁かれた。


 判決の日、私は法務院で証拠品の返還手続きを確かめていた。

 カイルの外套を保管袋から出す。

 袖口の明るい糸は、今もそのままだった。


 家へ返す品を一点ずつ数え、最後の受領書を母親へ渡す。


「これで、あの子も帰ってきたような気がします」


 彼女は外套を膝へ置き、そう言った。

 私は、ええ、とだけ答えた。

 戻らないものまで戻ったとは言えない。それでも、戻せた物があることを、今は一緒に喜びたかった。


 帰り道、レナート卿から手紙が届いた。


『今日はよく眠ってほしい。返事は急がなくていい。

 追伸。教えてもらった茶葉を買った。淹れ方が分からず、家令に聞いたら、まず缶の蓋を読むように言われた』


 私は往来で笑ってしまった。

 すぐに口を押さえ、周囲を見た。

 誰も私を責めなかった。


 その晩は、返事を書いた。

 茶葉の量と湯の温度、それから、笑わせてもらったお礼を。


 ***


 私たちは、急がずに会うようになった。


 レナート卿の肩が治るまでは、屋敷の庭で茶を飲んだ。

 仕事が立て込めば会えない週もあり、その間は手紙が往復した。

 彼は事件の話だけを求めなかった。私が修復した古い玩具の話にも耳を傾け、自分が読み間違えた献立や、庭師に剪定を止められた話をした。


 一度、私が約束の時刻に遅れたことがある。

 遺族の老婦人が、夫の上着をなかなか手放せずにいた。急かしたくなくて、使いを出して面会を断った。


 夜、下宿へ戻ると、温め直せる食事と短い手紙が届いていた。


『今日はお疲れさま。次に会う日を、都合のよいときに教えてほしい』


 怒っていないか、何度も読み返した。

 次に会ったとき、私はそのまま尋ねた。


「残念だった」


 彼は隠さずに言った。


「だが、あの方を置いて来ればよかったとは思わない。お前に会いたいことと、お前の仕事を大切にしたいことは、両方ある」


 私は湯呑へ目を落とした。

 湯に映る自分が、困ったように笑っている。


「……私も、お会いしたかったです」


 言えた瞬間、レナート卿が動かなくなった。


「今のは、もう一度聞いてもいいか」

「聞こえていましたよね」

「ああ。聞こえた」


 嬉しそうに笑うから、それ以上からかえなかった。


 季節が変わる頃、私は母親に恋の相談をする娘たちを、以前ほど不思議に思わなくなっていた。

 誰かと会うために、服を選ぶ。

 読んだ本の続きを、まだ読まないでおく。次に会ったら一緒に話したいから。

 そんな小さなことが、暮らしの中に増えていた。


 それでも、カイルを思い出して沈む日はある。

 レナート卿にもあった。

 どちらかが黙り込めば、もう片方が無理に笑わせようとはしなかった。話したければ聞き、静かにしていたければ、同じ卓に座っていた。


 そうした時間の中で、彼のことを知っていった。

 眠いときは返事が短い。甘い焼き菓子は、本人が言うより好きだ。間違いを指摘されると一瞬険しい顔になるが、そのあとちゃんと調べ直す。

 そして、もう怒りに任せて私を罵ることはなかった。


 好きなのは、剣を持って私の前に立った人だけではない。

 湯を沸かしすぎて、二人分の茶を淹れ直している今の彼も、好きだった。


 ***


 カイルの一周忌が過ぎた、春の午後。


 私たちは墓参りを終え、公爵邸の庭へ戻った。

 木々の若葉に日が透け、卓には家令の用意した茶が置かれている。


 レナート卿は、私の向かいに座らなかった。

 椅子の脇に立ち、一通の封筒を差し出す。


「今日は、直接渡したい」


 白い封筒に、私の名前。

 もう、何度も受け取ってきた筆跡だった。


 封を開くと、短い手紙が入っていた。


『エルマ。

 君と会う日を待つ時間が、俺の暮らしの大切な部分になった。

 会えない日は、今日起きたことを君に話したいと思う。嬉しいことも、情けないことも、君に聞いてほしい。

 君の話を、これからも聞きたい。

 君を愛している。俺と結婚してほしい。

 仕事を続けてほしい。それは君の大切なもので、俺が好きになった君の一部だから。

 君が望む暮らしを、二人で相談して作っていきたい』


 読み終えるまで、彼は黙って待っていた。

 私は便箋を下ろした。


「……お返事も、手紙の方がよいですか」

「いや。だが、考える時間が必要なら待つ」


 私は首を横に振った。


「今日は、今、言います」


 言えなかった言葉を、後悔したことがある。

 だからというだけではない。

 目の前で返事を待つ人の、緊張した顔を早く笑わせたかった。


「私も、あなたを愛しています」


 彼の目が揺れた。


「お手紙をもらうと、嬉しいです。会えないと、寂しい。何かあると、あなたに話そうと思います。……そんなふうに毎日、あなたを好きになりました」


 私は素手を伸ばした。


「あなたと、暮らしたいです。よろしくお願いします、レナート」


 名前を呼ぶと、彼が息を吐いた。

 ようやく息ができた人のようだった。


 私の手を取ったまま、片膝をつく。

 取り出した小さな箱には、白金の輪に青い石を留めた指輪があった。


「仕事の邪魔にならない形を選んだつもりだ。合わなければ、一緒に選び直したい」


 石が引っかからないよう、低く留められている。

 彼が私の手元を思い浮かべながら選んだことが、形から伝わってきた。


「これがいいです」


 指輪が、私の左手へ収まった。

 私は彼を立たせ、繋いだ手を両手で包んだ。


「一つ、お願いがあります」

「何でも」

「何でもと、すぐ約束しないでください」


 彼が困った顔をする。

 私は笑って、続けた。


「私がまた、平気な顔で無理をしていたら、聞いてください。でも、返事を決めつけずに待ってほしいのです」


 彼は真剣な目で頷いた。


「分かった。俺が怒りで話を聞かなくなったら、そう言ってほしい。途中でも、止まる」

「はい」


 完璧な人ではない。

 私も、何もかも上手になったわけではない。

 それでも、間違えたときに話せる人となら、一緒に暮らしていけると思った。


「抱きしめても?」


 私は答える代わりに、一歩近づいた。

 温かい腕が背に回る。

 顔を上げると、彼が少し屈んだ。私も目を閉じ、そっと唇を重ねた。


 離れたあと、彼は私の額へ自分の額を寄せた。


「嬉しい」


 それだけの言葉が、とても好きだった。


「私もです」


 私は隠さずに笑った。


 ***


 結婚して、半年が過ぎた。


 私は王宮遺品整理官として働き続けている。

 レナートは監察部の立て直しを担う長官になった。私の仕事の評価と承認は、従来どおり人事局と別の整理官が行う。夫婦だからといって、検分の確認が一人分で済むことはない。


 忙しい日には、帰宅の時刻も違った。

 そんな晩のために、玄関脇に小さな文箱を置いた。


 私が先に帰れば、彼への手紙を入れる。

 彼が先なら、彼が書く。

 夕食の場所や、明日の予定に混じって、ときどき不意打ちのような一行がある。


 今日の文箱にも、一通入っていた。


『今日は早く帰れた。庭にいる。

 会いたかった』


 朝も顔を合わせたのに、と笑った。

 けれど、その続きを胸の中で打ち消す必要はなかった。

 私も、会いたかった。


 道具鞄を棚に置く。

 廊下の窓から見ると、庭の卓に二つの湯呑があった。

 彼がこちらに気づき、椅子を引いて立ち上がる。


 私は文箱の脇の小机で、便箋を一枚取った。


『私も。今日、あなたに話したいことがありました』


 封筒には入れなかった。

 まだ乾ききらないインクに気をつけて持ち、庭へ出る。


「おかえり、エルマ」

「ただいま、レナート」


 差し出した便箋を読んで、彼が笑う。


「どんなことだ?」

「聞いたら、笑うかもしれません」

「もう笑っている。お前が帰ってきたから」


 私は彼の隣の椅子へ座った。

 手袋を外すと、差し出された手に指を重ねる。


 話したいことは、いくつもあった。

 けれど最初に言うことは、もう決まっていた。


「今日も、あなたが好きです」


 彼が私の指先へ口づける。


「俺も。明日も、聞かせてくれ」


 私は頷いた。

 明日も、明後日も、照れながらでも伝えていこう。


 大切な言葉を、最後の手紙に残さなくていいように。


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