第40話
リリアーナ王女の無邪気な一言は、私の心の奥底に、それまで蓋をしてきた感情を揺さぶり起こした。
「両思いじゃないの?」
その言葉が、私の頭の中で何度も反響する。
まさか。そんなはずは。
そう自分に言い聞かせても、胸の高鳴りは止まらない。
王子殿下の優しい言葉や、私を見つめる時の眼差しが、まるで新しい意味を持って私の心に蘇る。
もしかして、本当に……?
淡い期待と、それ以上に、身分の差という現実が、私の心を締め付けた。
私は、リリアーナ王女を抱きしめながら、その小さな温もりの中で、自分の感情と向き合おうとしていた。
その夜は、ほとんど眠ることができなかった。
目を閉じれば、リリアーナ王女の言葉が耳元で囁かれ、心は激しく波打つ。
夜空のどこかで、王子殿下が戦っている。
彼の無事を祈る気持ちと、私自身の揺れ動く感情が、混ざり合い、私を一層苦しめた。
夜明けが訪れる頃、私は重い体を起こし、いつものように執務室へと向かった。
数日後、ついに王子殿下の帰還の知らせが届いた。
私は、その報せを聞くと、安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになった。
喜びと、そして彼の無事を確かめたい一心で、私は王宮の広場へと駆けつけた。
広場には、多くの民衆が集まり、歓声が沸き上がっていた。
そして、その中央に、泥と血で汚れた鎧を身につけた王子殿下が立っていた。
彼の顔は疲労困憊していたけれど、その瞳には、戦を乗り越えた者の強さと、確かな光が宿っていた。
私は、人混みをかき分け、彼の姿を追いかけた。
彼が、無事に帰ってきてくれた。
その事実だけで、私の心は満たされた。
王子殿下は、国王陛下に戦況を報告した後、真っ先にリリアーナ王女の元へと向かった。
リリアーナ王女は、彼の姿を見つけると、小さな体を弾ませて駆け寄った。
「お兄様!おかえりなさい!」
リリアーナ王女は、王子殿下に抱きつき、その小さな体で彼にべったりと寄り添った。
王子殿下は、優しく彼女を抱きしめ、その頭を撫でていた。
その光景は、見る者の心を温かくする、兄妹の愛情に満ちたものだった。
しかし、私には、その光景が、まるで遠い世界の出来事のように見えた。
彼の優しい眼差しが、私に向けられたものではない。
その事実に、胸の奥で、かすかな痛みが走った。
私は、彼の傍で、ただ静かに佇んでいた。
彼の無事な姿をこの目で見ることができて、本当に嬉しい。
それなのに、どうしてこんなにも切ないのだろう。
私の心は、喜びと、そして報われない恋の苦しみで揺れ動いていた。
その日の夜、王子殿下の無事帰還を祝う宴が、王宮で開かれた。
豪華な料理が並び、音楽が奏でられ、人々は彼の帰還を心から喜んでいた。
王子殿下は、多くの賓客たちに囲まれ、その労をねぎらわれていた。
私は、彼の傍で、給仕に当たっていた。
彼の笑顔を見るたび、私の心は温かくなる。
しかし、彼が他の女性と話す姿を見るたび、胸の奥で、言いようのない痛みが走った。
それは、私には許されない、嫉妬の感情だった。
そんな感情を抱いてはいけない。
そう自分に言い聞かせても、募る想いは抑えようがなかった。
宴の途中、王子殿下は、少し疲れた様子で、人混みから離れ、テラスへと向かった。
私は、すぐに彼の後を追った。
テラスには、夜風が心地よく吹き抜けていた。
夜空には満月が輝き、星々が瞬いている。
王子殿下は、月を見上げ、深く息を吐いた。
その横顔は、疲労の色が濃く、どこか物憂げに見えた。
私は、彼の傍に寄り添い、そっと温かい紅茶を差し出した。
彼は、何も言わずにそれを受け取り、一口飲んだ。
その顔には、安堵の表情が浮かんでいる。
「ロゼ…お前が淹れてくれる紅茶は、いつだって、俺の心を癒してくれる」
王子の言葉は、静かだったが、その中には深い感謝と、そして私への特別な感情が込められているように聞こえた。
私の心臓は、激しく脈打っていた。
「いつだって、俺の心を癒してくれる」
その言葉の響きに、私の頬は熱くなる。
彼が、私をそこまで必要としてくれているなんて。
それは、ただのメイドへの言葉なのだろうか。
そう自分に言い聞かせるけれど、胸の高鳴りは止まらない。
私は、彼に視線を合わせることができず、ただ俯くことしかできなかった。
こんなにも嬉しいのに、こんなにも苦しい。
彼の温かい視線が、私を包み込んでいる。
その温もりが、私の中に、新しい感情の嵐を巻き起こしていた。
王子は、私の反応を見て、わずかに口元を緩めた。
その笑顔は、月の光に照らされた夜のように、優しく、そしてどこか切なげだった。
彼の指が、私の手に触れる。
その温かさに、私の心臓は小さく跳ねた。
熱い電流が全身を駆け巡るような錯覚に陥る。
私は、慌てて手を離そうとしたが、彼は私の手をそっと握った。
彼の指が、私の手の甲を優しく撫でる。
その感触に、私の心臓はさらに激しく脈打った。
頬が、みるみるうちに熱くなっていくのがわかる。
まるで、全身の血液が顔に集中しているかのようだった。
息をするのも苦しく、鼓動が耳元で大きく鳴り響いている。
こんなにも、彼の指先一つで心が乱れる自分に、私は驚きを隠せないでいた。
これは、メイドとしてあってはならない感情。
そう自分に言い聞かせるけれど、募る想いは抑えようがない。
「ロゼ…戦場では、いつだって死と隣り合わせだ。そんな中で、お前のことを…何度も思い出した」
王子の声は、静かだったが、その中には、はっきりと私への特別な感情が込められているように聞こえた。
私の心臓は、激しく跳ねた。
「お前のことを…何度も思い出した」
その言葉の真意を測りかねて、私の頭は混乱した。
それは、一体どういう意味なのだろう。
彼が、私に、個人的な感情を抱いているのだろうか。
そんなはずはない。
そう自分に言い聞かせるけれど、胸の高鳴りは止まらない。
私の頬は、火が付いたように熱くなり、彼の目を見ることができない。
まるで、全ての感情が顔に出てしまっているかのようだった。
言葉が、喉の奥に詰まって出てこない。
私は、ただ、彼の手を握り返すことしかできなかった。
彼の言葉の響きが、私の心を甘く、そして切なく締め付ける。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
王子は、私の手から紅茶のカップをそっと取り、テーブルに置くと、私の顔を両手で優しく包み込んだ。
彼の親指が、私の頬をそっと撫でる。
その感触に、私の心臓はさらに激しく脈打った。
彼の琥珀色の瞳が、私を真っ直ぐに見つめる。
その眼差しに、私の心臓はさらに激しく脈打った。
彼の表情は、普段の冷静さとは異なり、どこか熱を帯びているように見えた。
「ロゼ…俺にとって、お前は…もう、ただのメイドではない」
王子の言葉は、まるで深い溜め息のように、静かに紡がれた。
私の心臓は、激しく跳ねた。
「ただのメイドではない」
その言葉の真意を測りかねて、私の頭は混乱した。
彼が、私と、個人的な関係を望んでいるのだろうか。
そんなはずはない。
そう自分に言い聞かせるけれど、胸の高鳴りは止まらない。
私の頬は、火が付いたように熱くなり、彼の目を見ることができない。
まるで、全ての感情が顔に出てしまっているかのようだった。
言葉が、喉の奥に詰まって出てこない。
私は、ただ、彼に身を委ねるしかなかった。
彼の言葉の響きが、私の心を甘く、そして切なく締め付ける。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
その時、不意にテラスの扉が開き、リリアーナ王女が顔を覗かせた。
彼女は、眠気を擦りながら、私たちの方を見て、目を丸くした。
「お兄様!ロゼ!ここで何してるの?」
リリアーナ王女の突然の声に、私と王子殿下は、ハッと我に返った。
王子殿下は、慌てて私の顔から手を離し、一歩後ろに下がった。
私の頬は、まだ熱く、顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
王子殿下の顔も、心なしか赤くなっているように見えた。
私たちは、何も言えず、ただ立ち尽くしていた。
リリアーナ王女は、私たちの様子を見て、きょとんとした顔で首を傾げた。
「…何でもない。リリアーナ、どうしたんだ?もう寝る時間だぞ」
王子殿下は、かすかにどもりながら、平静を装おうとしていた。
しかし、彼の声は、わずかに震えていた。
リリアーナ王女は、小さくあくびをすると、首を傾げた。
「んー、眠れなかったの。ロゼの声が聞こえたから、来てみたの」
彼女は、そう言って、私の服の裾をぎゅっと掴んだ。
その小さな温もりが、私の心を温かくする。
王子殿下は、重い息を吐き、困ったような表情で私とリリアーナ王女を見つめていた。
彼の視線は、再び私に向けられたが、すぐに逸らされた。
私の心臓は、未だ激しく脈打っていた。




