時子の決断
「為末さん!警察に通報しましょう」
「ええ・・・・」
時子に促され燿子が部屋の中に入ろうとすると。
「待ってください!」
女性は必死の形相で燿子に、しがみついた。
その騒がしさに、他の部屋からも人が顔を覗かせた。
「・・・・・近所迷惑だから、とりあえず私の部屋で話しましょう」
時子が2人を自分の部屋に案内した。
「宍戸さん、真面目な貴女が何故こんな事したのか話して頂戴」
「え?2人は知り合いだったの?」
「同じ職場で働いてます」
燿子は色々と驚きが隠せなかったが、目の前の女性には色々と説明してほしかったので時子と一緒に問い詰めた。
「ねぇ、正直に話してくれない?娘の自転車をパンクさせたり空気を抜いたりしたのは貴女なの?」
改めて明るい所で見ると、宍戸は、そんな嫌がらせを進んでするような人間には見えなかったが、先程の状況は、どう見ても宍戸が犯人としか言いようが無かった。
「いったい娘に何の恨みがあるって言うのよ」
宍戸は俯いたまま気まずそうに沈黙を続けたが2人に同時に吐かれた盛大な溜息に漸く口を開いた。
「あの!確かに自転車をパンクさせたりしたのは私です、申し訳ありませんでした、掛かった修理費も耳を揃えて払わせていただきますので・・・・・」
「お金の問題じゃないわよ!理由は何なのよ!社会人の貴女が中学3年のうちの娘にどんな恨みが有ってあんな事したのか聞いてるのよ!」
燿子に激怒され、深々と頭を下げながら宍戸が打ち明けた。
「大変恐縮ですが、本当に完全に人違いでして、あの自転車に以前、係長が乗ってらしたのを見かけて、てっきり・・・・・」
言い分を理解できず思わず2人で顔を見合わせた。
「え?何?理解が追い付かないんだけど、今の言い分を素直に解釈すると貴女もしかして係長の自転車に悪戯してる気だったって事?」
小さく頷いた後、更に打ち明けた。
「奥様の目の前でこんな事を言うのも何ですけど、係長の事が私は受け入れられなくて」
弁明を続けようとする宍戸を時子の怒りを纏った声が遮った。
「ちょっと待って!係長の奥様って誰が?!」
「え・・・・・?」
「え?じゃないわよ!なんで私があんなパワハラ・モラハラ・セクハラ係長と夫婦だと思ったのよ!冗談じゃないわよ、あんな人の妻だなんて!私は独身よ!」
声を荒げられ露骨に焦って見せながら時子の左手の薬指を凝視した。
その指には先日も言っていたように「トラブル防止」の指輪が鈍く光っていた。
バツが悪そうに指輪を外すと無造作に食卓に置いた。
「そんな・・・・・私とんでもない勘違いを!苗字も同じ犬飼さんだし、いつも係長から名前で呼ばれているし、同期の間で密かに2人は夫婦だろうって話してて、深く考えず、そうなんだって思い込んでいました」
「・・・・・とりあえず自転車の事は許せることじゃないけど謎が解けたわ、お金の問題じゃないけど、お金はしっかり払っていただきます!そして2度と、こんな事しないで!」
「本当に申し訳ありませんでした・・・・・」
項垂れる宍戸に時子が詰め寄った。
「貴女に、もう一つ聞きたい事が有るの、正直に答えて!最近、頼んでない物が頻繁に届けられるようになったんだけど」
「その件も、犬飼さんの名前を語り色々と注文したり、離婚届をポストに入れたりしたのは、私のした事で間違いありません、色々と浅はかでした、申し訳ありませんでした」
「え?!貴女だったの?!家のポストに離婚届を入れて行ったの!何がしたかったの?!」
「最近、暗い顔をしている事が多のが気になって、それは係長のモラハラの所為だろうって、犬飼さんが一日も早くモラハラ夫から解放されるようにと入れて行ったんですが、まさか部屋の号数を勘違いしていたなんて、犬飼さんが以前、この部屋の真下の部屋から出てくるのを見かけたからてっきり・・・・・犬飼さんに部屋に案内されるまで勘違いに気付かず」
「何だか貴女、色々とズレてるわね!下調べも中途半端すぎるし!怒るのも馬鹿らしくなってきたわ」
「本当にズレてるわね!でも何で?ズレてるけど間違ってるけど私の平和を考えてくれてたんでしょう?なのに何でそんな嫌がらせをしたの?矛盾してるじゃない」
宍戸が俯きながら、短絡的だった作戦を打ち明けた。
「重ね重ね前置きして恐縮ですが、私は犬飼係長と夫婦だと思い込んでいたから、奥さんをにも危害が及ぶほど自分は沢山の恨みを買ってるんだって・・・・・改心のキッカケになったらって」
「呆れた!もう呆れた!しか言えないわよ」
ただただ申し訳ない気持ちで、もう返す言葉もなく平謝りを繰り返す宍戸に2人顔を見合わせた。
やがて時子が静かに立ち上がり、隣の部屋に入っていった。
残された燿子と宍戸は思わず顔を見合わせたが、程なく時子が戻ってきた。
「突然ゴメンナサイ」
言いながら腰を下ろし宍戸に一枚の紙を差し出した。
「これから貴女にしてほしい事のリストよ、拒否権は無いと思って頂戴!」
①自転車の修理費を責任もって全額支払う
②自転車の持ち主に会って、心から謝罪する
③食べ物が無駄になるような嫌がらせは絶対に二度としない事
④犬飼係長のパワハラ・モラハラ・セクハラ問題を正々堂々と糾弾する
こうして好美の知らない間に問題や疑問は解決していった。
そうして迎えた謝罪の場が設けられた週末。
緊張の面持ちで菓子折りと修理費を手に部屋を訪れた宍戸を2人で迎えた。
「初めまして・・・・・宍戸と申します」
「初めまして」
「・・・・・こちらは心ばかりですが、どうぞお受け取り下さい」
好美は微かに震えながら差し出してきた菓子折りを受け取り燿子に託した。
受け取ってもらえたことに少し安堵した後、膝を折り心から謝罪した。
「この度は大事な自転車をパンクさせたり空気を抜いたりして、不快な思いをさせ大変な迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした、こちら、自転車の修理費です、ご査収ください」
好美は正直、簡単には水に流せない心境では有ったが、心底、自分の行いを悔いて反省している様子の宍戸の謝罪を受け入れた。
ずっと懸念していた数年前の嫌がらせの再燃や、美音子達の仕業ではない事が判っただけでも安心できた。
高校卒業までは、このアパートで生活しないとならないので、あの時の加害者たちに、このアパートを突き止められたわけではないと判った事は大きかった。
とりあえず、この後も寛子たちと会う約束が有ったので、筋を通した上で引き上げていく宍戸を引き留める事はしなかった。
宍戸を見送った後、直ぐに好美達は寛子たちと合流した。
この日、よく行くショッピングモールのフードコートに新しくオープンしたバーガーショップで食事をしようと以前から約束していた好美達。
とりあえず3人に場所取りを任せて、好美が代表して、うんざりするほどの行列に、それでも健気に並んでいると。
「あれ?ヨッシーも来てたんだ?」
真希が翔と共に列に近づいてきた。
「真希ちゃん達も来たんだ?」
「うん、ヨッシーは家族と一緒?」
「うん、3人には場所取りしてもらってる、この混み方だからね、代表して私が並んでみた、それにしても凄いよね、テーマパーク並みの混み方だよね」
「確かに二手に分かれた方がスムーズかもな、悪いんだけど、小沢の分も買っておくから場所取りしといて」
「判った!翔君と同じ物でお願いね、あ・・・・・お金、先に渡そうか?」
「後で良い」
「判った、じゃあヨッシー、また月曜日にね、帰ったらLINEするね」
「うん」
2人で真希を見送った後、翔は列の最後尾に並んだ。
「美味しかった!並んだ甲斐があったね」
「うん!美味しかったしボリューミーだったね」
大満足しながら、週明けから、また頑張ろう!と個々に心に誓いながらフードコートを後にして暫し、カロリーを消費する為にウインドーショッピングをしながら店内を歩いた。
広い店内を一周して満腹感が少しだけ薄れたところで店を後にしようとした時。
歩も店内に入ってきた。
「歩」
「あー、好美も来てたんだ?」
「うん!歩、1人で来たの?」
「うん、今日は本屋さんに用があって来たんだけど、今日は異様に混んでるね」
「ねー、フードコートに今日オープンしたバーガーショップの影響もあるのかもね」
「そうか!オープン今日だったね」
「そうだよ!さっき、お姉ちゃんたちと食べてきた!」
「そうなんだ?早速食べてきたんだね!今度3人でゆっくり食べよう」
盛り上がる2人を燿子たちは少し離れた所で見守った。
程なく手を振って別れたのを確認して好美に合流した。
車に乗り込みながら寛子が確認した。
「さっきの人、同級生?」
「うん!1年の時からの友達!鏑木歩ちゃん、凄く頭が良いの!彼女のおかげで2学期の期末試験で2番になれたの」
「そうなんだ」
いつものコースで駅前を車で通った時、寛子が思い出したように好美を振り返った。
「そういえばさ、この前、バイトの帰りに駅前でストリートミュージシャンが歌ってたんだけど」
「うん」
「何かオリジナルソング歌ってるっぽかったから上手いのか下手なのか、よく判らなかったんだけど、バイトで疲れた心にメチャクチャ刺さったんだよね」
「へぇ、ちょっと歌ってみてよ」
「歌うのは流石に無理だな、でも、ちゃんと断った上で動画撮らせて貰っちゃったよ、出来立てホヤホヤの新曲って言ってた」
言いながらスマホを取り出し操作した。
それは大地たちが歌ってる動画だった。
「あ・・・・・この人たち」
「あれ?好美も既に知ってるの?もしかして結構有名?」
「有名かどうか解らないけど、これ絶対に歩のお兄さんと、その友達だよ」
ポカンとしてみせる寛子に好美が説明した。
「ほら!さっき店の出口で会った凄く背の高い」
「そうなんだ、とにかく良い曲だからさ、ちょっと聞いてみてよ」
言いながら音量をマックスにして燿子と大和にも有無を言わさず聞かせた。
『過去に置き去りにされた夢たちは、行き場無くして色褪せた
曇り増していく、ひび割れた鏡 夢の抜け殻、映してた
大人びながら、諦めながら心を満たす虚しさ
夢に破れた言い訳も喧騒で消えていく
悔し涙、北風、上手く攫っていく
あの日閉ざした扉を開く勇気あるなら
新しい靴履いて踏み出そう
鏡の向こうの見慣れたピエロがいつものように強がってる
もう一度扉、開けると決めて温かな巣を離れた
使い果たした言い訳はビルの狭間に埋めた
軽くなった心に明日の風が吹く
ゴミに埋もれた奇跡も今なら探し出せる
こんな傍で光っていたんだね
夢に破れた言い訳はビルの狭間で消した
軽くなった心に沸くのは覚悟だけ
あの日閉ざした扉を開く術は見つけた
こんな傍で光っていたんだね』
「へぇ、俺は音楽の知識は無いから偉そうに言えないけど、何だろうな、確かに何か刺さるものがある」
「うん・・・・・刺さる、私の心にも刺さった!アレ?!」
画面の端っこで音楽に聞き入る悠太の姿を見た気がして寛子からスマホを奪い取り思わずズームしていって確認した。
「ちょっと急に何?どうしたの?」
「2年の時に同じクラスだった男子も、どさくさに紛れて映り込んでたからビックリした」
悠太は最後まで聞いた後、他の通行人に紛れて足早に逃げるように大地たちの前を通り過ぎた。
「ところで寛子、本当に進学しなくて良いのか?」
「良いよ、そのまま就職で、バイト先でも私が高校卒業したら、そのまま正社員として雇うって言ってくれてるし、そんな良い話を蹴って進学したいような大学も今のところ無いし」
「そう?小さい時によく言ってた美容師っていう夢から、かけ離れてるけど」
「確かに小学校卒業するぐらいまでは、そうだったけど、今はペットショップで頑張り続けたいって思ってる」
「・・・・・私は何を頑張り続けたいんだろう、やりたい事がまだ見つからない、写真部で必然的に部長になって、折りに触れて写真は撮ってるけど、高校に行っても続けたい!っていう感じじゃないんだよね」
「大丈夫!そのうち見つかるよ!続けたいって思える何かが」
好美の次の活動は後輩たちを連れて歩と真希が最後の大会で躍動する姿をカメラに収める事だった。
そして、その活動を以って中学での部活動が終了する。
あっという間に平和なゴールデンウイークも明け歩も真希も、程なく迎える引退の瞬間を、とにかく一点の悔いも残さないように最終調整に余念が無かった。
「ヨッシー、ヨッシーの写真の腕前、私たち期待してるからね!」
「任せて!2人が有終の美を飾った瞬間をしっかりキャッチするからね!明日は悔いが残らないように全力で新記録を出してきてね!撮影に集中するから声出して応援とか難しいと思うけど」
「うん!歩と一緒に絶対に新記録を叩き出してくるからね!もう皆の前で誓っちゃったから後に引けないし」
「うん、2人なら有言実行出来るって信じてる!」
天候に恵まれた大会当日。
好美は後輩6人を連れ会場を訪れた。
危なげなく勝ち進む2人を安心して見守って迎えた決勝。
少し離れた所に咲希の姿が見えた。
そして、大地の姿も確認できた。
好きな場所を見つけて、そこでベストな写真を撮って良いと告げたが、5人は好美から離れようとしなかった。
が、2年の、次期部長の男子は仲間から離れ会場を見て回り、やがて自分なりの良い場所を見つけた。
「先輩!僕あそこのポジションから撮りたいです、行って良いですか?」
「もちろん!表彰式が終わったら此処に戻って来てね」
「はい!最高の一枚を撮ってきます」
告げて嬉しそうに駆けて行った。
それぞれ好きな場所で、ベストだと思うタイミングでシャッターを切り歩達の優勝を見届けた。
少し離れた所で写真を撮っていた後輩が何やら訝し気に後ろに居た咲希と大地を振り返った後、少し焦った様子で好美達のもとに戻ってきた。
「どうした?何焦ってるの?」
「・・・・・・何か最初、カメラに集中してからハッキリ聞いてなかったんですけど、気付いたら後ろで女の人がキレてて」
「災難だったね」
「あそこに居続けたら巻き込まれる気がして逃げてきちゃいました!良いアングルだったんだけどなぁ」
「まぁ、でも表彰式は絶対、こっちの方がアングル的には良いと思うよ」
言われて一瞬、カメラを構えた後、納得して見せた。
「あー、この部室に入るのも今日が最後か」
表彰式で真希と歩が輝いた瞬間をしっかり見届け、好美は後輩たちと共に一度学校に戻った。
その後、簡易的な送別会を催してもらい色紙を貰い帰宅後、色々と一段落着いた昼過ぎ、真希に祝福のラインを送った。
いつもは直ぐに既読になり沢山の絵文字やスタンプが送られてくるのだが、今回は既読すら付かなかった。
「疲れて寝ちゃったのかな・・・・・・・」
深く考えず、既読になるのを待ちつつ、交換日記のノートを開いてペンを走らせた。
『真希ちゃん、歩、改めて優勝おめでとう!
有言実行できる所、本当に尊敬するよ!
2人そろって自己ベスト更新なんて凄すぎる!
決して簡単な事じゃないよね!
私も約束通り凄く良い写真撮ったから週明けに掲示板に展示するね。
それにしても、今後は、ほぼ受験一色になるね、今のところ進路は見事にバラバラだけど、離れ離れになる事を考えると、やっぱ不安になるけど、第一志望の高校に合格できるように頑張ろうね。
ところで歩は来月に、いよいよスマホデビュー予定なんだね。
遂に3人でLINEが出来るね!今までより格段に連絡が楽になるね。
スマホの使用料は2人のお兄さんが負担してくれるんだね。
優しい素敵なお兄さんたちだね。
そうそう!お兄さんと言えば、以前お姉ちゃんが駅前で歩のお兄さん達のグループを駅前で見かけたらしいんだけど、オリジナルソングが滅茶苦茶心に刺さったと大絶賛してたよ。
お姉ちゃんが許可を得て動画撮影しててくれて、実は私も両親も聞かせてもらったけど本当に心に刺さる良い曲だった。
あの一曲で私たち家族はお兄さんのグループの大ファンになったよ。
あの曲の素晴らしさ、真希ちゃんともシェアしたいな。
って言うか生で聴きたい!今度3人でコッソリ聞きに行かない?
あ、別にコソコソする必要は無いね』
順調に日記を書き進めているとチャイムが鳴らされた。
思わず腰を上げかけたが。
「犬飼さん、こんにちは」
「こんにちは」
「どうぞ、あがって?」
「ありがとうございます、失礼します」
時子がリビングに通された気配を感じ好美は部屋を出た。
「こんにちは、好美ちゃん、お邪魔します」
「こんにちは」
何となく席を外していた方が良さそうな雰囲気を感じ再び部屋に戻ろうとした時。
「待って、好美ちゃんにも話しておきたい事が有るの」
言われてとりあえず麦茶を3人分注いで燿子の隣に座った。
「突然お邪魔してごめんなさい、実はね秋に部屋を退去して実家に戻る事にしたの」




