後篇
なんでこんなところで会うんだよ。
まず最初に思ったのはそれだった。
「えー、なんでこんなところで会うの。まさかとうとうカノジョできたの?」
「うるさい、その言葉そのまま返してやろうか」
「やだなあ、それだとわたしがレズビアンみたいになっちゃうじゃん」
「ひねくれてんじゃねえっての」
声をかけてきた女の名前は藤巻チサト。おれの女友達で、大学の文芸サークルの同輩だった。
彼女は冬物の白いコートを着て、顔をなかば暗い赤のマフラーに埋めていた。それに加えて下を向いているためか、マスクをつけているみたいにくぐもった笑い声がする。
「ていうか、冗談はさておいて。おまえは何やってんだ。おれはただ高校んときの友人と飲んでただけだが」
「へぇえ、じゃあ、いまひとり?」
「そうだな」
「なら今夜付き合って。終電逃した」
「はあ?!」
「知らないとは言わせないわよ。わたしのうち千葉のローカル線だから、いまからじゃもう間に合わないの」
「お、おう。おれもう帰るとこなんだが」
「そこをなんとかしてよ。でないとあんたの家に乗り込む」
「バカやろ、それこそやめてくれ」
うちは実家暮らしなのだ。
野郎と飲んだ帰りに女を拾ってきた、とか字面からしてダメな感じがするし、もうそろそろ親が寝る時間なのでいろいろ問題が発生するに違いない。
そんなことになるぐらいなら、おれはこいつの要求に従うほうがまだマシだった。
「わかった、わかったから。とりあえず金を降ろさせて」
「いいよ。わたしもお金必要だし」
ということで、なぜか聖夜に、カップルでもない男女が歩くことになった。
はなはだ不本意である。
とりあえずその場で親に「明日帰ります」とだけ連絡を打ってから、駅を出た。すぐ近くのコンビニで数千円余計に降ろしてから、藤巻は言った。
「さすがにここら辺だと高いから、移動しない? べつにホテルじゃなくてもいいし」
「賛成だけど、どこがいい?」
「大学の近くでいいんじゃない」
「うわーっ、マジかよ」
「いいじゃん。定期の圏内だからお互い安く済むよ」
そこで、終電間際のメトロを乗り継いで、おれたちは大学最寄り駅に向かった。
そのあいだ、おれたちは他愛のないことばかり喋っていた。近況のこととか、就活のこととか、をだ。
藤巻チサトはおれとは学部がちがう。おれは経済学部であったが、彼女は文学部だ。したがっておれたちの交友関係はサークルで築かれたものになる。
大学生なりたてだったあの頃、自己紹介に失敗して学部でぼっちだったおれは、少しでも話せる相手を探していた。そしてたまたま隣りにいた彼女に声をかけ、意気投合したのだった。
とりあえず何かしら小説やら、マンガやら、アニメやゲームの話題で盛り上がれるだけでよかった。こういうとなぜおまえは文学部に入らなかった? と訊かれることが多いのだけれど、文学部は現実的じゃないと思ったのだ。 おかげで、よくわからない経済の数理理論の公式だとか、学者の名前だとかのために単位を振り回される日々を送るハメになっている。
まあ、そんなことはいい。
それでいつのまにか、おれと藤巻は仲良くなっていた。なんとなく気を張らずに済むし、波長が合うのだ。
ただ、付き合ってるんじゃないか、と同輩に邪推されるほどにふざけあったり、話し込んだりもしていたけれども、おれたちはべつに付き合ってはいなかった。なぜならお互い、べつべつに好きなひとがいたからだった。
ふたりともそれを知っていた。だから、ほどよく応援し合ったり、相談に乗ったりしていたというだけのことなのだ。友人としてはこのうえなく貴重だが、それ以上でも、それ以下でもない。
「進路ねえ。藤巻は出版社志願?」
「んー、どうだろ。司書さんもいいかなぁと思ってるんだけど」
「そうか、そっちのコース取ってたんだっけな」
「うん。まだやってるから。そっちは教職?」
「だな。実習に向けていろいろしんどい」
「そっかあ、たしかに教育実習はしんどいねぇ」
だからだろう、ほんとうに何気ない会話しかなかった。当たり障りのない、まるで本題があるはずなのに、言い出すのが億劫で堂々巡りしている心地だった。
けれども、そこに踏み込むのはなんだか悪い気がした。きっと、今夜だけは、そこに触ってはいけない腫れ物がある。そう、カンが告げていた。
意味のない言葉だけのやり取りをして、おれたちは大学の最寄り駅に降りた。そして終電を見送ると、冷たい夜の中に歩き出す。
身を刺すように寒い冬の夜は、野郎たちといても、そして傍らに女性がいても寒かった。たぶん、酒のせいだろう。頰は火照るが、血管が広がっているから冷えやすくもなると聞いたことがある。
浮かれたヤツほど冷たい現実に覚まされる。そういうことなのだろうか。
「で、どうするの。着いちゃったよ。おれも終電逃しちゃった」
「いえーい、仲間〜」
「一緒にすんなや。二十四時間営業のファミレスでも見つけて、テキトーに駄弁るか、寝る?」
「うーん。気分的には歌いたい」
「はあ? カラオケ?」
「よし決めた。徹カラしよう」
冗談じゃない。
まさか酔っているか、と思ったが、藤巻は真剣だった。なので否定するわけにもいかず、しぶしぶついて行くというカタチで、少し歩いた。
さいわいにしてカラオケはすぐ見つかり、深夜の料金がドリンクバー付きでそこそこするということ以外は、難なく部屋を確保することができたのだった。
そこは窓のある部屋だった。縦長い一室で、テレビ画面とテーブルを挟んだ距離が遠い。そのいっぽうで、長く伸びた側面には窓が広くあって、暗い、閑散とした通りを一望できた。
おれたちはそれぞれ、ホットコーヒーとホットティーで寒さを癒しながら、ぽつりぽつりとしゃべった。
「まさか、なんとなくの流れで徹カラするハメになるとは思わなかったよ」
「そうだね。わたしも終電逃さなかったらさっさと帰ってた。ほんとは帰りたかったもん」
「まあ、そうだろうな」
「……じつはさ」
わたし、フラれたんだよ。
その言葉は唐突に、ぽつんと空を舞った。
やっぱり、て思ったいっぽうで、それに対して自分がどう声掛けしていいかわからなかった。へんになぐさめるのは、おれ自身が同じ立場だとしたらされたくはない。
だから、ほんの少しだけ間を置いて、「そうか」とだけ言った。ただ、その後にしばらく積もった沈黙がなんだか煩わしくなって、
「泣きたきゃ泣いてもいいんだぞ」
と付け足してしまった。
そしたら、藤巻はむしろムッとなったのか、「泣かない」と言った。
「ぜったい、泣かない」
奥歯を噛みしめているようだった。キッと睨むように立ったひとみは、なんだかここではない時間と場所を見つめているようで、おれはもう何も言うことがなかった。
「そうか、なら頑張れ」
「うん。頑張る。フって損したと思わせる」
それだけ言うと、彼女はマイクを取って、歌いはじめた。よりによって失恋ソングだ。一種呪いのような側面も有している気がしたが、あえて何も言わないでおいた。そしておれも調子に乗って、失恋ソングを歌い、まるで競い合うように、さまざまな曲を、喉が枯れてもなお歌った。
まったく、クリスマスに恋人同士が過ごすなんて風習はどこから生まれたのだろう。今夜会った連中を見てみるがいい。リア充ですら相手といっしょではなく、そうでなければ敗者が傷を舐め合うようにいるだけだ。
舐め合うだけまだマシなのかもしれない。クリスマスにひとりぼっち、略してクリぼっちという言葉すら生まれる現代では、孤独な人間は多くいる。
付き合いがないわけではない。
けれども、いっしょにいたい相手といっしょになれない、というそれだけなのだ。むしろ、いっしょにいたいと思うだけの人間が身の周りにいないことのほうが、寂しいことなのかもしれない。カレシやカノジョがいたところで、なにが満たされるというのだろう。自分の虚栄心なのか、それとも……
冷たくて空っぽなこころを振り絞るようにして、おれたちは歌った。声の高いロックバンドの曲から、低音のバラード調で歌うもの、古いアニメソングや、よくわからないアイドルグループの曲まで歌った。
おれたちの歌う、彼らの歌詞には意味があった。けれどもおれたちはその意味を踏みにじるように歌っていた。バカみたいに声を枯らした。シャウトじみたふざけもした。本人をマネしようと背伸びして、枯れた喉を痛めることもあった。けれども、なぜか歌うのはやめなかった。もう意地だった。
とにかく声を出したかったのだ。温かい飲み物を飲んで、喉を潤しながら、それでも絶えない渇きと肌寒さをごまかすように、ひたすら選曲し、画面に映していたのだ。
なんとも情けないクリスマス。けれどもおれたちは恥も外聞も忘れていた。忘れていることができた。それがなんとなくしあわせだった。酒を呑んで、浮かれ騒ぐの延長線上にあるみたいに、愉快で、ほろ苦かった。
時間はあっという間に過ぎていた。
入ったときには零時少しすぎたころだったのが、もう五時になっている。お時間十分まえですが……というコールを受けて、おれたちは部屋を出る。支払いは、まあ、けっこうな額した。これで当分遊びに行けないだろう。
まだ外は暗かった。日の出なんてまったく来る気配がなかった。ただ死んだように静まり返っていて、もう明日なんてないのではないかという、不安すら湧いて来る。
そしてとにかく寒かった。当然といえば当然だが、そこそこ温かい飲み物と暖房があった空間から投げ出され、まるで酔ってる場合じゃないぞとささやかれた気分になる。おかげで浮かれて笑って火照った身体が、また冷えて来るのを感じていた。
「少し、歩こうよ。まだ電車始まるまで時間あるし」
おれがそう言うと、藤巻はうなずいた。
ひと気のない都会を歩くのは、なかなか面白いものだった。ときたま見聞きするのは、トラックと朝の新聞配達のバイクぐらいだ。あとは静寂そのもので、よくいえばふたりきりの空間だった。
けれども特別な空気なんてこれっぽっちもなく、夢から覚めたあとみたいな、疲れと、倦怠感と、後悔がしょっぱい。あとなんとなく、ファミレスで呑んでたときのつまみがニンニク臭い気がしてイヤになった。
おれたちはもうしゃべらなかった。しゃべる以上に歌ったので、もうめんどうくさかったのだ。これ以上なにを語れと言うんだ。そう、なんとなく思ってすらいた。
しかし、うつむきがちだった藤巻の表情は、どこか泣きはらしたあとみたいにさっぱりとしていた。もう大丈夫、と目が言っている。だからおれももうなにも言わなかった。
ただ、別れ際、おれたちは駅前で、少しだけ話した。ハスキーな声で、聞きとりにくさを我慢しながら、だ。
「ねえ、今日は、ありがとうね」
彼女は微笑んで、それだけ言った。
だから、おれも「おう、またな」とだけ言った。手を振る彼女を尻目に、おれは歩き出す。あとはもう何もいらない。まだ明けようともしない暗い、寒い闇に向かって、進むのみだ。
けれども、なぜかもう寒くはなかった。




