嘘から本当へ
「ねえ、もう一回してもいい?」
「……スレン様、あの、もう」
ようやく唇が離れたかと思えば、呼吸を整える間もないまま、そう尋ねられて。限界なんてとうに超えていた私は、少し待ってほしいと彼の肩を軽く押したけれど。
「エルナちゃんは俺とキスするの、嫌?」
スレン様は、ずるいと思う。そんな風に尋ねられて、嫌だなんて言えるはずもない。きっと彼だって、それを分かった上で言っているに違いない。
結局、照れてしまいながらも小さく首を左右に振れば、すぐに噛み付くように唇を塞がれる。くらくらとする頭の片隅で、今日何度目だろうなんてぼんやり考えてみたけれど、やっぱりもう、分からなかった。
──スレン様との誤解が解けてから、2日が経った。少しでも彼に自身の気持ちを信じて欲しかった私は、日に何度も好きだと伝え、彼の望むことは極力叶えたいと思っている。
その結果、朝から晩までこうして甘すぎる時間を過ごすことになってしまっていた。もちろん幸せだけれど、心臓は悲鳴を上げ続けている。
「……俺とこんなことをしながら、何か考えごとでも?」
「ご、ごめんなさい。でも、スレン様のことです」
「本当に? それなら嬉しいな」
そんな会話をした後、またすぐに言葉を奪われる。彼のもう一回は、いつまでも終わりそうになかった。
「ごめんね、すぐに新しいものを淹れるから」
「いえ、温い方が今は丁度良いくらいでして……」
それからしばらくして、ようやく解放された私は温くなってしまったお茶に口をつけた。顔が火照ってしまっている今はむしろ、冷水を飲みたいくらいだ。
「さっき職場から連絡が来て、あと3日は休めることになったんだ。二人でゆっくりしようね」
「はい、もちろんです」
この休みの間に、少しでも体調を回復してもらいたい。大分顔色は良くなっているけれど、まだまだ油断は禁物だ。
今日の午前中は二人でブレットのお見舞いに行き、来週には一時帰宅ができるとの報告を受けた。ブレットもとても楽しみにしていて、スレン様には感謝してもしきれない。
「そういや幼馴染の彼、来週には国に帰るんだって」
「……そう、なんですね」
彼の隣にぴったりと座り他愛ない話をしていると、スレン様はふと思い出したようにそう言って。私はどんな顔を、どんな反応をしていいのか分からなかった。
イアンとはあれ以来一度も会えておらず、連絡も取っていないままだ。大切な幼馴染である彼とあんな別れ方をしたきりというのは、やはり心残りだった。
「やっぱり、寂しい?」
「寂しくないと言えば、嘘になります。それでも、仕方のないことですから」
もう、スレン様に嘘は吐きたくない。だからこそ正直な気持ちを口にしたけれど、彼は怒ることもなく笑顔のまま「そっか」とだけ言い、私の髪を撫でている。
ちなみに誤解が解けた後、机の上に置いたままだった彼への手紙をイアン宛だと勘違いされていたという話を聞き、紛らわしいことをしてしまった申し訳なさに私は頭を抱えた。
必死に弁明し、学生の頃から彼に惹かれていたと話せば、スレン様は信じられないという表情を浮かべていたけれど。
『……正直、信じられないし驚いたけど、すごく嬉しい。過去の自分が報われたような気がするよ。ありがとう』
やがてそう言って、ふわりと微笑んでくれた。
「あの、良ければ今度、手紙を書いてもいいですか」
「イアン・ボウエンに?」
「はい。あっ、もちろん心配でしたら、送る前にスレン様にも読んでいただいて大丈夫なので」
イアンはあの後も知人を通して、ブレットにお見舞いの品を贈ってくれていたのだ。それに対するお礼と、これからもずっと彼の幸せを願っているということを伝えたかった。
「うん。どうぞ」
「ありがとうございます。本当に色々、ごめんなさい」
「……ねえ、あの男より俺の方が好き? 大切?」
スレン様とイアンに対する「好き」も「大切」も、全く別のものだ。それでもすぐに頷けば、スレン様は安心したような笑みを浮かべ、私をそっと抱き寄せた。
「ありがとう。俺もエルナちゃんが一番好きで、大切だよ。他には何もいらないくらいに」
こうして少しずつ、彼への本当の「好き」を信じてもらえますように。そう祈りながら、私は再び近づいてくるスレン様の唇を受け入れたのだった。
◇◇◇
「エルナちゃんは温かいね。よく眠れそうだ」
ベッドで横になったまま、私の肩に顔を埋めているスレン様は「人生で一番、幸せかもしれない」と呟いて。そんな言葉に、私もまた幸福感で満たされていくのを感じていた。
私と一緒なら絶対に快眠できる、夜も一緒に居たいというスレン様のお願いを悩んだ末に聞き入れ、私はあれから毎晩彼の部屋で眠るようになった。
その結果、本当にぐっすり眠れているようで、この数日で彼は見違えるくらいに顔色が良くなっていた。一方で、私は少し寝不足になりかけているのだけれど。
「来月からは結婚式の準備も本格的に始めようと思うんだ」
「はい、わかりました」
つい暗い声が出てしまい、スレン様は顔を上げた。
「俺と結婚するの、嫌だった?」
「い、いえ、まさか! ただ、やっぱり侯爵夫人という立場になることに対して、不安があって」
「そんなこと気にしなくていいよ。俺が上手くやるから」
スレン様はそう言ってくれているものの、いつまでも甘え切っているわけにはいかない。彼の休みが終わったら私も再び勉強に励まなければと、心の中で気合を入れる。
「ああ、そうだ。君の義母と義姉はどうしたい?」
「どうしたい、というのは?」
「ずっと使用人のような扱いをされていたって、ブレットくんから聞いたんだ。今すぐ消せる準備はできてるよ」
「け、けせ……?」
彼の綺麗な顔には似合わない物騒な言葉が出てきて、戸惑ってしまう。冗談かと思ったけれど、どうやら本気のようだった。優しいスレン様にも、冷酷な一面があるらしい。
腹は立っていたし大嫌いだけれど、今の私はとても幸せなお蔭で、最早二人のことなど気に止めてすらいなかった。何より放っておいても、勝手に身を滅ぼしそうではある。
思ったことをそのまま告げれば、スレン様は「エルナちゃんがそう言うのなら」と微笑んでくれた。
「あの、そう言えばスレン様って、いつ私が嘘を吐いているってことを知ったんですか?」
「……もしかして、知らなかった?」
「はい。1ヶ月以上前というのはお聞きしたんですが」
そんな中、ふと気になったことを尋ねてみると、彼は「俺達って、どれだけ噛み合ってないんだろうね」と深い溜め息を吐いた後、可笑しそうに笑った。
首元に吐息がかかり、くすぐったさに身を捩らせれば、逃がさないとでも言うように、更にきつく抱きしめられる。
「知らない方が良いんじゃないかな。全部話したら、俺のことが嫌いになるかもしれない」
「もう、絶対に嫌いになんてなりませんよ」
そう言って、彼の背中にそっと手を回す。すると「好きすぎて死にそう」なんて返事が返ってきて、笑みが溢れた。
「俺はエルナちゃんが思ってるよりもずっと、君のことが好きな面倒な男だよ。君のためなら、何だって出来る。だから正直、どこまで曝け出していいか分からないんだ」
私に嫌われるのが何よりも怖いと、彼は呟いて。そんな不安が無くなるまで、好きだと伝えていきたいと思った。
「大丈夫です。私は、どんなスレン様も好きですから」
「……本当に?」
「はい。だから、何でも話して欲しいです」
そして、これからは二度とすれ違ってしまうことがないように、お互いにどんなことでも伝え合っていきたい。
きっと今の私と彼ならば、大丈夫だという自信があった。
「ありがとう。エルナちゃん、本当に好きだよ」
「私も、スレン様が大好きです」
だって私達は、両思いなのだから。
これにて本編は完結になります。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
二人のいちゃいちゃする後日談の番外編なども、今後書いていきたいなと思っております。
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