本当のこと
1ヶ月前のルシエルの暴走により、大怪我を負っていたラナン。
未だにその傷が癒えないことで、自信喪失気味となり……?
本当のことほど、難しいことはない。
知ることも、隠すことも……難しい。
※
「ラナ、湯加減はどうです?」
「おう、ちょうどいいぞ! リオも入れよ」
「後で入りますよ、ちゃんと」
ルシエル暴走事件……と、俺たちは一ヶ月前のことを、呼ぶことにした。結局、カガも本当のことを喋ろうとしなかったし、きっと、ルシの「本当」も知らないんだと思えた。
カガは、俺たちフロートに盾突くレジスタンスとは違って、そのフロートに仕える身だ。それも、国王の直属の臣下。ルシの属する神子魔術士による特別部隊「レイアス」と、本来なら対等もしくは、それ以上の立場にあると考えていい。
ただ、カガがそういう立場であったとしても、「本当」はそうではないということは、知っていた。俺も、ただの義賊じゃない。一時期はフロート側に居た身だ。
いや、フロート直営の孤児院で育った。
一時期どころか、人生の大半をフロートに奉げていた。
「なぁ、サノ」
「? 何だ、ラナ。傷口が痛むのか?」
「うぃ? 違う、違う」
「神妙な顔つきを続けているから……何かあるのだとは思っていた」
一緒に狭い湯船に浸かっているのは、黒髪黒目の神子魔術士。仲間のサノだ。ここは、古びた宿だった。その代わりに、宿賃も安い。料理などのおもてなしも無ければ、風呂の水を温める薪も、自分たちで組まなければいけなかった。ただ、火おこしは野宿歴が長いだけあって、俺たちには何ら問題がなかった。
俺、リオ、サノの順番で、今は風呂の薪当番を回していた。過保護なところがあるリオは、まだ、「ルシエル暴走事件」によって、大怪我を負った俺の傷具合を心配し、当番から外れるよう提示してくれたけど、俺としては、あれはそれなりに「屈辱」であって、ここまで力の差を見せつけられた上に、未だそのときに受けた傷によって生活が縛られているなど、仲間に思われたくなくて。必死に「本当」を隠してきていた。
それなりにまだ、痛かった。
いろいろな意味で。
苦いものが、身体中を支配している。
「俺は、サノの人生をかなり狂わせた」
「……五年も昔のことを、言っているのか? クライアント王国の落城。それとも、レジスタンスとして生きている、今を言っているのか?」
「たぶん…………どっちも」
「それは…………」
サノは、言葉を切って俺の正面を見て座り直した。改めてこうして向き合うと、色白で華奢だと思う身体つきでも、俺なんかよりずっと肩幅があるし、キリッとした顔立ち。「皇子」だという気品がある。
漆黒の髪は、サラサラとした髪質で、耳に被っている。左耳にはシルバーのカフス。それは、エリオス王国の紋章が刻まれているということを、俺は知っている。
「ラナ」
「うぃ?」
「失礼だ」
「…………っ」
思いもしていなかったサノの言葉に、俺は言葉が出なかった。サノの黒き瞳は、「心外」とでも訴えているようで、俺を真っすぐに見据えていた。
「クライアントが落城したのは、私の力が及ばなかったからだ」
「…………」
「今、レジスタンスでラナとリオ、そして仲間たちと反フロートを掲げて戦っているのは、私が自分で決めたこと。命令されたから、命を救われたからなどではない」
「…………」
「同情していたのか? 悪いが、余計なお世話だ」
「…………」
「サノ」
俺じゃない。
俺はまだ、言葉が見つからない。
銀髪銀目、仲間のリオが風呂場に駆け込んできた。
「そんなにも、責めなくていいじゃないですか。ラナの不完全な言葉選びは、今にはじまったことではありませんよ」
「リオ……」
「確かに、今のラナの発言は失礼だったと思いますよ。特に、プライドの高いサノにとっては、障るものがあったのでしょう。でも、ラナは悪気があってそのようなことを言うひとではないです。それくらい、サノも分かっているでしょう?」
「…………そうだな。ラナ、すまない」
「…………いや、俺が悪かった」
俺は肩をすくめて、口元がお湯に浸かるほど、沈んだ。
このまま、奥底まで沈んでいき……消えてしまいたい気持ちだった。
「ラナ? 急にどうしたんです? 弱気になって」
「…………」
フルフルと、首を横に振る。こんな姿、旧知の仲であるこのふたり以外には、とても見せられない。ただでさえ、俺は立ち上げたレジスタンスのリーダーなんだ。弱気なところなんて、見せたら士気にかかわる。
本当は、サノやリオの方が指揮官として向いているんじゃないか。
そんなことは…………誰が見ても、明らかだった。
俺のことを、自信家だとか、革命家に向いているとか、評価してくれるひとは多い。だけど、そういうひとは、俺たちの本質を見抜いていないんだと思う。
軍師として、実際に大国を率いていたのは「サノ」だったし、統率力を持って、最下位クラスとは言え、フロート傭兵組織、ラバースで功績を残していたのは「リオ」だった。俺は、ふたりからしたら、すべてにおいて劣っている……ような気がする。
もちろん、一対一で勝てないなら、それならどうやって勝つのかを考えればいいこと。サノは神子魔術士だ。俺が、ひとりで殴りかかってみたところで、ルシとやりあったあの二の舞にならないとは、言えない。
リオは、随一の剣士だ。リオと剣を交えたのはもう、随分と昔のこと。今のリオの剣の腕を、推しはかることは出来ない。
俺が今、目の前に居るふたりを上回ることなど、あるのだろうか。
「…………ルシエル事件」
「?」
「ルシは、強かった」
俺は、ゆっくりと言葉を発しはじめた。この件について口にするのは、はじめてだった。今まで、みんな触れようともしてこなかったし、たとえ触れたとしても、本当にさらっと上辺の話をすることしかしなかった。俺のことを、気遣っていたのかもしれない。
「最強の魔術士ですからね。それはもう、強いでしょう」
「命があっただけ、ありがたいと思わないとな」
「うん……サノの言う通り。実際、そうだと思う」
のぼせてきて、俺は脚だけ浸かる形で浴槽の淵に腰掛けた。ルシの強烈な魔術の攻撃によって焼けただれた皮膚は、なんとかサノの治癒魔術と、自然治癒力のおかげで、痕もうっすらとしてきてはいた。それでも、まだ。見ればわかるだけの傷だ。
「あのルシを、破らなければいけない。革命を起こすには、フロートの前に立ちはだかる抵抗勢力をすべて……とは言わないけど、排除しなくちゃいけない」
「一番の勢力は、間違いなくルシエルさん…………ですね」
「ルシエル殿だけではない。レイアスという魔術士部隊は、手強い」
「それでも……負けられない」
俺は、静かに俯いた。
過去を、悔やむように。
「サノ。さっきは、変なこと言って悪かったな。俺さ、きっと……後悔しているんだ」
「後悔?」
「クライアントは、滅ぼすべきではなかった」
「…………滅ぼされてから言われてもな」
サノは、にこりともしていなかった。怒っている訳ではない。それは分かっている。それでも、きっと、こころのどこかでそれを考えてはいると思う。
「俺は、甘かった。間違っていたんだと思う。フロートの……ラバースの最下位クラスで、隊長任されてさ。有能な兵士の暗殺命令だとか、そういう汚い仕事は、すべて無視したり、事前に相手に連絡入れて、逃がすように仕向けることで、平和が築けると思ったんだ」
「実際はどうだったんだ?」
「ダメだった」
「そうですね。フロートの闇は、根強かった……ですね」
「うぃ」
顔を上げる。
ふたりの仲間が、俺の言葉を待っていた。
「あのままじゃ、ダメだったんだ。フロートの中からじゃ、自分がフロートの人間で居る限り、中は変わらない。そう、身に染みて感じ取った。だから俺は、フロートから手を引いて、反旗を翻した」
一拍、置く。
そして、深く息を吐いてから、決意を新たにした。
「変革を望むものが居る限り、それに応えるべくリーダーが必要だ。革命なんて、簡単には起こせない。それでも、起こす価値があるのならば……俺は、諦めたりなんかしない」
「もちろんですよ、ラナ」
「当然だ」
ズキ……。
腹部に痛みが走る。
「まずは、その傷を完治させることからだな」
「うぃ、そうだな」
俺はもう一度、仲間の顔を見た。
大丈夫。
今の俺は、幾ら情けなくとも……独りじゃないから。
本当の、仲間がいるから。




