人間の心理
転移の魔術で「聖域」へとやってきたルシエルとレナン。
泉の水を飲みながら、ルシエルは聖域について語る。
その中で、レナンはある結論を見出し……?
この男には、色々な顔がある。
穏やかで人当たりがよく、優男な一面。
相手を玩ぶように、挑発する悪い男な一面。
狂気じみた力を見せつけ、捻じ伏せる強引な一面。
そして。
どこか物悲しそうに、遠くを見つめ、弱々しく咳き込む一面。
きっと。
どれも、この男なのだろう。
※
「一ヶ月しかない」
「ん?」
「キミを、手元に置いておける期間は、残り一ヶ月」
「そうだな」
「一ケ月後…………キミが取るべき行動、行くべき場所は、分かっているね?」
ルシエルの一番の顔……それは。
「先導者」としての、顔だ。
「分かってる。もう、耳たこだ。レジスタンスに…………ラナンのところへ、行く。それで、アンタは満足だろ?」
「うん、それでいい」
ルシエルは俺の答えに頷くと、優しく笑う。ルシエルの笑みは、同じように見えて色々な含みが込められているから、単純に感情を読みとることは出来ない。
ルシエルは、色々な意味で難しい人間だ。
気難しいのか、何も考えていないのか、よく分からないところもある。
ルシエル自身、「自分のことが分からない」らしい。
「さて、時間もないことだし早速はじめようか」
ルシエルは、泉のすぐ側まで歩くと、そこにしゃがみ、右手で水を掬った。そのまま、その水を口にする。
泉の水は、とても澄んでいて綺麗だ。飲めないとは思えないが、それでも、あまり衛生的ではないように思え、俺は思わず声をかけた。
健康状態が良いなら、放っておいたかもしれない。だが、ルシエルは胸を病んでいる。身体に障ったらいけないと判断した。
「大丈夫か?」
「?」
ルシエルは、何のことだか分からないようで、軽く首を傾げた。それを見て、言葉が足りな過ぎたかと、俺は後を続けた。
「この水。流れているものじゃない。邪気とか、よくない物質が流れてはいないのか?」
「あぁ……お腹を下すとか、そういう心配かい? キミは本当に、優しいね。細やかな気遣いが出来る」
「そういうつもりじゃ…………」
少しだけ、照れた。照れを隠そうと、ルシエルから視線を外してそっぽを向く。
その様子を見てのことだろう。ルシエルがククっと、喉の奥で笑うのが聞こえた。
「この泉はね、聖域のものなんだ。完全体じゃない聖域だから、治癒力は劣るけれども、それでも、病にも傷にもよく効く不思議な水だよ」
「! アンタの病気も、これで治るのか!?」
パッと振り返ると、ルシエルは眉を下げやや目を俯かせて首を横に振った。
「残念ながら。だけど、進行をある程度までなら、抑え込むことが出来る。ここまで長生き出来たのも、聖域のご加護のおかげだよ」
その後に、ルシエルは不思議な言葉を付けくわえた。
「もっとも、私の寿命を縮めたのもまた、聖域だけれどもね」
「…………聖域は、善なのか? 悪なのか?」
「そうだなぁ。殆どのものにとっては、善なんじゃないのかい? 聖域という名前がついているんだから。実際、やはり恩恵は大きかったと思うよ」
「過去形かよ」
「今の私には、特別プラスには働いていないからね」
そう言って、ルシエルは俺のことを手招きした。誘われて、俺も泉の水際まで歩み寄る。不思議と抜かるんではいない。泉と地面とが、綺麗に二分されていた。
「キミの身体の中の毒素を、取り除いてくれるはずだから。飲むといいよ」
「毒素って?」
「あまりにも、精霊に近づきすぎてしまってはよくない」
「…………」
その話は、好きじゃない。
「キミが、水の精霊長……レイディアンの生まれ変わりだったとしても、そうでなかったにしても、何らかの精霊の影響を受けていることは、確かだと思う」
「どうして?」
「キミの魔術は、人間魔術士が扱うものよりもはるかに高度で、緻密だからだよ」
「それは、ルシエルの方じゃないか。俺には、あんな転移魔術の構成は編めない」
「それを、魔力に目覚めてたったの一ヶ月で読解出来る時点で、あり得ないことなんだよ。私が使うそれもまた、人間界のそれとは違うものだ。だから、声に出して空気を振動させる必要性がない。私は、精霊長たちと契約を結んでいるからね」
「…………あぁ、もう。頭が痛くなる!」
「じゃあ、ちょっと休憩。ほら、水は飲んで欲しいな」
「分かったよ」
俺が半ば自棄になって、その場にしゃがんで聖域の水とやらを口にすると、満足げにルシエルは、それを眺めていた。
その視線を気にしつつも、俺は飲むことを進める。確かに、普通の「水」とは違う気がする。甘みがあるとか、のど越しがいいとか。そういうレベルではなく、ルシエルの言う通り、身体の中のよどんだ何か。本当に、毒素なんていうものがあるのならば、それが浄化されていく感覚があった。
飲めば飲むほど、気持ちが落ち着いていく。
不思議な水だった。
自分が何者の生まれ変わりであっても、どうだっていい。
今の俺は、「レナン」という魔術士。
その事実だけでいい。
「なぁ、ルシエル」
「なんだい?」
「カガリは、俺たちが此処に来たことを知っているのか?」
「知らないよ。どうして?」
「だって……心配しないのか?」
「心配、か。そうだね。知らせておいた方がいいかもしれない。だけど、知らせたところで、カガリは此処へは単独で来ることは出来ないからね」
「え?」
ルシエルは少し奥の方にある、一本の大きな木を指さした。
「あの木。あれが、この聖域のご神木なんだ」
「ご神木……それが、何か関係あるのか?」
「ご神木が結界を張っているんだ。許された存在にしか、この場所は見えない」
「見えないって…………どういうことだ?」
「地図にはもちろん、載っていない。ここは、存在していない村なんだ」
「だから、意味が分から…………」
「私の、生まれ故郷だよ」
「………………ルシエルの?」
「うん」
ルシエルの故郷は、滅びたと聞いた。
先代のフロート国王によって、滅ぼされている。
「じゃあ、前国王はどうやってこの場所を特定したんだ? 攻め滅ぼしたのは、フロート何だろう?」
「…………」
何故だろう。急にルシエルは言葉数が無くなった。口をきゅっと結んで、眉間にはシワまで寄せている。何を考えているのか、俺には分からない。ただ、苦い何かを必死に呑み込み、堪え、表に出さないようにしている。そう見えた。
ここで、話を終えればよかったのかもしれないけど、俺は構わず疑問をルシエルにぶつけ続けることを選んだ。
「昔は、結界なんて張られていなかったのか? だから、攻め入られたのか?」
「…………」
「違うなら……もしかして、前フロートはこの村の人間だったりするのか?」
「…………」
「なぁ…………?」
俺は、言葉を続けられなかった。
最強の魔術士と謳われている男の目には、涙が滲んでいた。
「…………悪い」
ただ、一言。
俺は短くそう謝った。
俺はバツが悪そうに視線を外し、立ち上がる。するとそれを見て、ルシエルは右手で軽く瞼を抑えてから、そのまま額にある、大きな古い裂傷に触れた。しばらく、お互いに何も言葉を発しない。すごく、気まずい空気になってしまった。
別に、この男を困らせたかった訳じゃない。純粋に、疑問をぶつけただけだった。それが、この男にとって大きな傷であるなんて、思いもしなかったからだ。
ルシエルにも、弱点があった。
きっと、「病」なんかよりも大きな「弱点」だ。
「私の、犯した罪は大きい」
「? 罪?」
先に、この沈黙を破ったのはルシエルだった。それでも、十数分くらいは沈黙していたと思う。時計がないから、おおよその時間だ。もしかすると、もっと短かったかもしれない。そして、その逆かもしれない。
「私はこの聖域を、裏切ったんだ」
「裏切った?」
「アリシアと一緒に…………逃げ出してしまった」
「アリシア……」
時折、ルシエルはその名を口にしていた。夢うつつな時に、ぽつりと呟く。誰かの名前なんだろうとは思っていた。それも、すごく大切な……誰か。誰なのかまでは、分からない。
「私の、妻だよ」
「!?」
「いや、式を挙げた訳でもないし……契りを誰かに認められた訳でもない。何も、証はないけれども…………それでも、私は彼女を愛していた」
「その、アリシアってひとは…………今、どこに?」
「…………」
ルシエルは、再び口を閉じた。苦しそうな瞳で、先ほど俺に教えてくれたご神木を見つめている。
「…………や、止めだ、止め!」
「?」
俺は、この重々しい空気に耐え切れず、遂にこの話題から逃げ出した。この男が苦しむ姿は、悪影響だと思った。やはり、最強の男には優雅に居てもらわなければ困る。ゆとりがあって、何事に関しても軽く流される……そうでなければ、他人である俺の調子まで狂う。
きっと、「世界」というものが、そういう仕組みなんだ。
大きな「力」の変動を、世界は望んでいない。
民衆は、変革を望まない。
圧政とは言いつつ、フロートに従い続ける世界の状勢、真理がそこにある。
「なぁ?」
そう思うと、俺はひとつの結論にたどり着いた。
「何だい?」
「世界は……この、フロートの圧力は、ここまで大きくなった以上、もう、どうにも出来ないんじゃないか?」
「急に、どうしたんだい?」
「人間は、大きな力には逆らえないんだ」
「…………」
ルシエルの、答えは意外だった。
「その通りだよ」
ゆっくりと立ち上がるルシエルを前に、ご神木からは優しい風が吹いた。




